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アッシュル・ナツィルパル2世

アッシュル・ナツィルパル2世

英語表記
Ashurnasirpal II
フランス語表記
Assurnazirpal II

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 紀元前9世紀の半ば頃に活躍したアッシリア王。祖父、アダド・ニラリ2世が回復した領土を基盤に、父トゥクルティ・ニヌルタ2世がおこなった遠征を継承。さらにアッシリア領を拡大した。直轄地を増やすと共に、各方面への侵攻戦で、多数の国を朝貢国として服属させた。

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小事典版推奨判定
「歴史+知性 目標値=8〜10」「情報+知性 目標値=10〜12」
簡単な情報 (必要に応じてゲーム前ブリーフィングブレイクを使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない)
 アッシュル・ナツィルパル2世の在位期間は、B.C.883年〜B.C.859年。祖父、アダド・ニラリ2世が回復した領土を基盤に、父トゥクルティ=ニヌルタ2世がおこなった遠征を継承。さらにアッシリア領を拡大した。
  アッシュル・ナツィルパル2世と、次代アッシリア王(息子)のシャルマネセル3世の統治を通じ、アッシリアは後の帝国期?に躍進する基礎を築いた。
 アッシュル・ナツィルパル2世は、ユーフラテス川中流域で、現シリア領北東部に存在していたアラム人?の国家ビート・アディニを制圧。アダド・ニラリ2世以降、アッシリアの勢力圏となっていた、メソポタミア平地部北部での支配権を固めた。アッシリア軍は、さらにオロンテス川沿いに溯って侵攻。シリア地方の諸都市、沿岸部のフェニキア?系諸都市を制圧し、朝貢国として服属させた。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 古代の記録では、新アッシリア時代以降、特に帝国期のアッシリアが、残虐な征服活動で恐れられたことが知られている。敵対国や、被征服民に対する残虐行為では、アッシリア諸王の内でも、アッシュル・ナツィルパル2世のそれは特に有名だ。彼は、「輝かしい将軍、統治者」と称したが、同時に、自らの残虐行為を、王碑文で威嚇的に記している。
 敵対勢力への威嚇効果を狙い、苛烈な征服行動を過大に記すことは、前近代の歴史記録ではまま見られることだ(例えば、中世のモンゴル征東軍による歴史記録なども同様の傾向を持つ)。しかし、アッシュル・ナツィルパル2世の代の王碑文に記された残虐行為は、話半分程度に割り引いてみても、激しいものと言わざるを得ない。古代に「アッシリアの狼」とも呼ばれた征服帝国アッシリアのイメージを確立したのは、アッシュル・ナツィルパル2世だった、とも言える。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 征服王として有名なアッシュル・ナツィルパル2世だが、おそらく、統治者として最大の功績は、古都アッシュル?から、カルフへと、王都を遷都したことだろう。
 アッシリアは、アダド・ニラリ2世の領土回復以来、バブリイな活況に恵まれていた、と見られている。ティグリス川に小ザブー川(ザーバルカビール川)に交わる位置にあったカルフを拠点にした後は、さらに南北交易と東方交易との支配権を確立。さらに、西方のアラム人の商業国家ビート・アディニを制圧して以降は、東西交易への影響力も強めた。
 ただし、南方のバビロニア?地方に対しては、政治的優位に立ったものの、アッシュル・ナツィルパル2世も服属させるところまではいかなかった。
小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値12〜14」、「魔術+知性 目標値14以上」
詳しい情報 アッシュル・ナツィルパル2世のアッシリア名、アッシュール=ナジル=アプリは「アッシュール神はわが息子の保護者」を意味した。
注:アッシリア名を記した楔型文字を直接目にしたキャラクターが、言語技能を持っていれば、ルール通り「アッシュール神はわが息子の保護者」の意味は判定なく読解できる。上記は、現代語で「アッシュル・ナツィルパル2世」の名に接したとき、アッシリア名の含意を知識として思い出せるかどうかの判定。

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値14以上」
専門的知識 アッシュル・ナツィルパル2世を、新アッシリア時代、先帝国期の王と整理する研究者は少なくない。(シャルマネセル3世になると、異論なく先帝国期の王とみなされている)
 あるいは、カルフへの王都遷都以降を先帝国期とする歴史整理もみられる。

GM向け参考情報

補足情報

  • アッシュル・ナツィルパル2世は、高校世界史級ではマイナーかもしれませんが、古代オリエント史では征服王としてたいへんメジャーな人物です。

事跡

 残念ながら、アッシュル・ナツィルパル2世の事跡を、時系列で整理した資料本はまだみつけていません。各方面に活発に征服活動をおこない、碑文類も多いようですので、専門的な研究書は、あるだろうとは思います。

 憶測の域を出ませんが、あるいは、碑文間の矛盾や、年代特定などに何かの問題や議論があって、概説書では時系列整理を書きづらい、といった事情があるのかもしれません。

 以下では、日本語の一般向け概説書でよく見る大まかな前後関係を踏まえて、アッシュル・ナツィルパル2世の事跡を整理してみることにします。


B.C.883年
アッシュル・ナツィルパル2世、父トゥクルティ=ニヌルタ2世の王位を継承。

 アッシュル・ナツィルパル2世は、父王の遠征政策も継承。特に、治世はじめの6年間は、自ら軍勢を率い、諸方への遠征で転戦を続けた。

 アッシリア本土(支配圏の中核部だったアッシリア故地)の北西方の山岳地帯に出兵。山岳民族を征討。山麓部に兵団を駐屯させると、東方との交易に支配権を確立。

 前後して、アッシリア臣民をティグリス川上流域に植民させ、領土と耕地を拡大。北方経由でタウルス山脈方面に至る交易路への支配権を確立した。北方のウラルトゥ山地にも遠征軍を派遣している。

 おそらくは、上記の北部方への移住政策との関わりで、カルフ(現ニムルド)への王宮移動が実行されたのではないだろうか(?)。同時に、カルフを軍事的首府としたアッシュル・ナツィルパル2世は、西方への遠征に本腰を入れはじめる。

 ユーフラテス川中流域で、現シリア領北東部に存在していたアラム人国家ビート・アディニを制圧。

 さらにオロンテス川沿いに溯って侵攻。シリア地方の諸都市、沿岸部のフェニキア系諸都市を制圧し、朝貢国として服属させた。

 この間、征服地から被征服民をアッシリア故地へと強請移住(捕囚政策)させた。捕囚たちは、主に、カルフの造築、拡充の労役に従事させられたようだ。(カルフの造築、拡充は、アッシュル・ナツィルパル2世の後も数代に渡り続けられた)

 アッシリアの補囚政策は有名だが、この頃はまだ、後代に見られるような政策的な計画性は乏しかったようだ。

B.C.859年
アッシュル・ナツィルパル2世死没。後継は、息子のシャルマネセル3世(在位、B.C.858年〜B.C.824年)。

人物像

 アッシュル・ナツィルパル2世の人物像を一言で言ってみると、「苛烈な征服王」これにつきると思われます。個人的な戦闘力、戦闘指揮能力にも優れていたようです。

例えば、王碑文でも、服属国が反乱をおこした、との報を聞くと、盛夏でも軍装にて長躯300〜400kmを電撃的に進軍し、反乱を制したことなどが誇られています。

アッシュル・ナツィルパル2世による戦時残虐行為の事例(アッシリア王碑文?より)

 余は士官たち、反乱に加わった王の士官たちの手足を切り落とした。多くの捕虜を焼き殺し、また奴隷とした。あるものの鼻、耳、指を切り、多くのものの目をくりぬいた。余は生きたままの人間の人柱と首の柱をつくった。また余は、首を市の周囲の木の幹にしばりつけた。若者や少女たちを火に投じた。
(訳文は、岸本通夫、他共著,河出文庫世界の歴史? 2 『古代オリエント?』,河出書房新社,1989.(1960年代刊行書の文庫化))、p.314より)

 引用は、アッシュル・ナツィルパル2世による戦闘行為の記録の一例です。これに類した残虐行為が、幾つもの王碑文で繰り返し記されていることが注目されています。古代国家にありがちな、敵対勢力を威嚇するための政治広報だとして、話半分程度に受け止めても、かなり苛烈な行動を繰り返していた、と言えます。こうした行為が、「アッシリアの狼」の名を広めただろうことは疑えません。

 こうした行為は、帝国期のアッシリアが領土を拡大していくに連れ、アッシリアの通常の政策になっていきます。ただし、アッシュル・ナツィルパル2世よりも前のアッシリアでは「そうは目立つほどでもない」――、つまり、ヒッタイトなり、バビロニアの諸国なり、エプト王朝なりが、多かれ少なかれやっていた同様の行動と同程度におこなわれていた、としか言えないことには注意が必要です。    また、アッシュル・ナツィルパル2世は、事跡をみても、その施策に理にかなったものがあり、先見の明も伺えます。ただ残虐粗暴なだけの人物とは言えないでしょう。

別称類

主要国の言語

  • 英語表記=Ashurnasirpal II
  • フランス語表記=Assurnazirpal II
  • ロシア語表記=Ашшур-нацир-апал II
  • アラビア語名の音=(調査中)
  • スペイン語表記=Asurnasirpal II
  • 中国語表記=(調査中)

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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