メンチュヘテプ4世
- メンチュヘテプ4世 メンチュヘテプよんせい (簡易版)
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メンチュヘテプ4世は、後世に伝えられた第11王朝の王統譜を踏まえれば王朝の第7代めと思われる。上下エジプトを再統一したメンチュヘテプ2世から数えれば3代目。
しかし、サッカラの遺跡?から出土した王名表、アビュドスの遺跡?から出土した王名表、どちらにもメンチュヘテプ4世の名は記されていない。先代にあたるメンチュヘテプ3世の後、アメンエムハト1世(第12王朝?)がファラオ?の地位に就いた、と記されている。
アメンエムハト1世のミイラが発掘されたアル-リシュト?から出土した遺物の内に、メンチュヘテプ4世の名を刻んだ、容器砕片が見られる。他に、東方沙漠のワディ・ハンママートで発見された岩窟碑文にもメンチュヘテプ4世の名が見られる。
他方、トリノ・パピルス?の断片には、メンチュヘテプ3世の没後、アメンエムハト1世が即位する間、7年間ファラオの位が空位だった旨、記されている。
これらの情報を総合して、現在、普通はメンチュエムハト4世は、メンチュヘテプ3世の没後即位した第11王朝最後のファラオだった、と考えられている。
メンチュヘテプ4世がファラオだった時期は、前後のファラオの即位時期との関係から推定計算されている。B.C.1998年〜B.C. 1991年とする説が強く、他に、 B.C.1997年〜B.C.1991年とする説、B.C.1944年〜B.C.1937年そする説も聞かれる。
メンチュヘテプ4世の墓所は、現在までのところ未発見だ。
さらに詳しい情報
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メンチュヘテプ4世の名をファラオとして記したワディ・ハンママートの岩窟碑文は、「ファラオの宰相、兼、上エジプト総督」だったアメンエムハトによって刻まれていた。
かなりの長文で、ファラオの命でファラオの石棺に相応しい石材を探すべく1万人の部隊を率いてワディ・ハンママートに遠征した顛末が記されている。
現在、多くの研究者は、この碑文を刻ませた、「ファラオの宰相、兼、上エジプト総督」アメンエムハトを、第12王朝初代ファラオのアメンエムハト1世と同一人物とみなしている。
ワディ・ハンママートの碑文によれば、王の石棺を作る石材を求めて、ワディに到った部隊は、身ごもったガゼルに導かれて、相応しい石材を見出し、持ち帰ったと言う。
GM向け参考情報
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「増補待ち」。
別称類
主要国の言語
- アラビア語名の音=(調査中)
- 英語表記=Mentuhotep IV
- フランス語表記=Montouhotep IV
- スペイン語表記=Mentuhotep IV
- ロシア語表記=Ментухотеп IV
- 中国語表記=(調査中)
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キーワード:
参照:[メンチュヘテプ3世] [アメンエムハト1世] [歴史上の実在人物] [小辞典ワールド編]