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ネフシュタン

英語、他
Nehushtan(ネフシュタン),Nehustan(ネフスタン)

ネフシュタン 簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

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 「ネフシュタン」又は「ネフスタン」は、『ユダヤ教聖典?』に見られる「青銅の蛇」のこと。モーゼ?が、創造神の言葉に従って作ったことが、記されている。

やや詳しい情報

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 「ネフシュタン」は、『ユダヤ教聖典?』の『民数記?』に、エジプトを出た民を率いて約束の地に向かう途上のモーゼ?が、創造神の言葉に従って作ったことが、記されている。

 『列王記 下?』には、古代ユダ王国の王ヒゼキアが、宗教改革に際して、アシェラ女神の神像と共に「モーゼの作った青銅の蛇を打ち砕いた」ことも記されている。

さらに詳しい情報

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 『民数記』(21章)に記された物語は、次のような大筋。

 約束の地を目指してエジプトを脱出してきた人々だが、旅が長く続いた後モーゼに恨み言を言う者たちが出た。創造神の命を伝えたモーゼを恨む言葉を聞くと、神は炎の蛇を送った。神の呪い(神罰)である炎の蛇に噛まれて、民の内から多くの死者がでた。

 モーゼの下を訪れた民が罪を認めて悔いると、モーゼは神に祈った。モーゼは、祈りに応じた神の言葉に従って、炎の蛇の姿の青銅の蛇を作ると、旗ざおの先に掲げた。蛇が人を噛んでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると、命を落とすことはなくなった。物語を踏まえると、この頃は「青銅の蛇」は、まだ「ネフシュタン」とは呼ばれてはいなかったかもしれない。

 古代ユダ王国の王ヒゼキヤが、エルサレムの神殿で、アシェラ女神の神像やネフシュタンを打ち砕いたことは、『列王記 下』(18章)に記されている。


 青銅の蛇、及び、ネフシュタンに関しては、様々な議論が知られている。

 歴史学者や民族学者、聖書の研究者の間には、古代ユダヤ教が一神教として完成する以前の、多神教的だった時代の信仰、あるいは、まだ多神教的だった時代の古い信仰の痕跡を、物語に見るものが少なくない。

 考古学的な調査では、ミディアン人の遺跡から発掘された青銅の蛇の遺物も知られている。

 研究者の間では、古代ユダ王国ネでフシュタンを重んじていたのは、アロンの氏族を自称した人々で、特に祭祀たちだった、と推測している意見も聞かれる。しばしば、ヒゼキヤ王によるネフシュタンの破壊は、当時の氏族間の勢力を王が殺いだ事の反映ではないか、とも言われる。


 ユダヤ教徒やキリスト教徒の間には、モーゼが作った「青銅の蛇」自体は偶像ではなかったが、ユダ王国の民が神との契約を忘れるにしたがって「ネフシュタン」と呼ばれ、偶像崇拝がなされた、と考える意見が少なくないようだ。

 時として、ネフシュタンがエルサレムの神殿に据えられたのは、ユダ王アハズによる、とも言われるが、これは正典の物語には具体的には記述が見られない。ただ、アハズの代に、アッシリアの捕囚政策で地域に強制移住させられた諸民族が、神殿に諸国の神を据えた、との記述はある。

 内には、モーゼに由来する青銅の蛇を宗教シンボルとして扱う事は偶像崇拝にはあたらない、とする意見もある。まれに、「ヒゼキヤ王はネフシュタンを破壊したりはしなかった」と唱える意見すら聞かれる。

 中世初期の西欧キリスト教教会の内には、モーゼの尊像と共にネフシュタンを装飾にした建築もあった。例えば、ミラノ市の聖アンブロジオ教会のバシリカには、大変古いネフシュタンの装飾が遺っている。

 ヨーロッパのキリスト教では、後もしばしばネフシュタンが描かれる事があった。多くは、モーゼと共に描かれ、例えば、バチカンのシスティナ礼拝堂に遺る、ミケランジェロの壁画(天井画)などが有名。

 しばしば、円柱に螺旋状に絡みつく大蛇の姿が描かれた。

 ローマン・カソリックなどの民間信仰では、ネフシュタンに癒しの力がある、とも信じられた。

GM向け参考情報

ユダヤ教聖典のソース

『民数記』(21章)の物語(日本聖書協会の新協同訳より)
 ネゲブに住むカナン人、アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来ると聞き、イスラエルと戦い、捕虜を引いて行った。イスラエルは主に誓いを立てて、「この民をわたしの手に渡してくださるならば、必ず彼らの町を絶滅させます」と言った。主はイスラエルの言葉を聞きいれ、カナン人を渡された。イスラエルは彼らとその町々を絶滅させ、そこの名をホルマ(絶滅)と呼んだ。
 彼らは、ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海を通って行った。しかし、民は途中で耐え切れなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」 モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者ががそれを見上げれば、命を得る。」 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。〔後略〕
『列王記 下』(18章)の物語(日本聖書協会の新協同訳より)
 イスラエルの王、エラの子ホシュアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母の名はアビといい、ゼカルヤの娘であった。彼は父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでにこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。〔後略〕

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更新日時:2007/07/22 13:02:23
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参照:[小辞典ワールド編] [アーティファクツやオーパーツ・ソース] [エジプト誌] [アスクレピオスの杖]
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