ヌバ山地
やや詳しい情報
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ヌバ山地の山域は、東西64km、南北145kmほど。周囲の低地よりも、450m〜900mほど高い。山域の内で、最も高い区域は、北東域。
乾燥気味の土地だが、降水量は周囲よりも多い。コルドファン地方の内にあっては、可耕地が多いが、山間の各所に散在している。年間降水量は、4m〜8mに及び、5月中旬頃〜10月中旬頃の雨季に集中。
伝統的には、ヌバ山地は、テマインなどの黒人系住民(ヌバ)と、アラブ系遊牧民バガラ?などの居住圏になっていた。「ヌバ」と総称される黒人系の人々は、しばしば、ひとまとまりの部族集団のようにみなされ、周囲からもそのように扱われているが、母語の言語系統の異なる複数の集団が混在している。
ヌバの人びと自身の意識や、周囲の理解とは別に、民族学的には、ルーツの異なる集団複数の集合体なわけだが、おそらく、彼らは、地域の先住民の末裔で、あまり広いとも言えないヌバ山地の各所に棲み分けつつ暮してきた歴史が長いのだろう。そのため、緩やかな部族連合のような関係を築き、保ってきたのだと思われる。
地域のアラブ系住民は、現在も、人口の1/4弱ほどかと目される(南北内戦の影響は定かではない)。バガラの内には、スーダン領内の西方から移住してきた部族集団も少なくない。遊牧民の他には、伝統的に交易商を生業にしていたアラブ系の少数派集団がいて、ジェラバと呼ばれている。
大まかには、定住化、農耕民化していた黒人系のヌバの人々が人口的には多数派で、アラブ系が少数派。アラブ系の内では、遊牧民バガラの諸部族が主流派、ということになる。
ヌバ山地には、現代的な道路は敷設されていない。ほとんどすべての集落が、古代以来用い続けられている山間道で結ばれていて、自動車やオートバイの類では移動不可能になっている。
その代わり、というわけでもないだろうが、ヌバ山地は、スーダン西部や、スーダン北部の各所に見られる、共同組合的な労働団体になったナフィール?が強固だし、活動も活発。ヌバ山地のナフィール組合は、アラビア語、英語双方で、地域の状況をレポートする雑誌を刊行しているほか、ウェブ上にも良く知られたサイトを開設している。サイト名もナフィール(Nafir)。
地域では、19世紀前半に、ムハンマド・アリー朝がスーダン方面に侵攻してくるまで、半ば以上独立的なタクァリ(国)が営まれていた。タクァリ国の期限は、よくわかっておらず、現状では、推定するしかない。伝えられるタクァリの創建物語は、スーダンの他の地方の歴史と噛み合わない点が多く、少なくとも創建前後の物語は、半ば以上伝説的なもの、と思われる。
タクァリ以前には、16世紀頃からフンジ朝?の支配領域に含まれていた。
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参照:[南コルドファン州] [コルドファン地方] [中部スーダン地方] [アフリカ州のランド・マーク] [ランド・マーク]