コルドファン地方
- コルドファン地方 コルドファンちほう (province of Kordufan,province of Kurdufan) 簡易版
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コルドファン地方の総面積は、概ね376,145平方kmほど。2000年時点の推計では、360万人ほどが居住していた、とされた。
2000年当時は、スーダン中央政府と、南部勢力との内戦が続いていた。上記の推計にどこまで信頼がおけるかは不明だが、数値を比較すると、スーダン国土の15%ほどの地域に、11%強の人口が居住していたことになる。
地域の中心的な都市は、現在の北コルドファン州都のオベイド。
地域には、南部を中心に、あまり高度がなく、大きく緩やかな起伏が多い。ことに、地域南東部、現在の南コルドファン州は、ほとんどがヌバ山地に占められている。
例年6月頃から9月頃にかけてが雨季で、熱帯性の植物が急速に繁茂する。残りの乾季の間は、沙漠に似た景観を示し、乾燥に強い低潅木の茂みや、しおれたような背の低い草地が散在する。
(アメリカ映画の西部劇に見られる「西部の荒野」の情景を思い浮かべると、遠くはないだろう)
地域がアングロ=エジプト?の支配地地だった時代を通じ、アラビア・ゴムと綿花の栽培が特産品として有名になった。他に、ピーナッツや、キビなどが主要な農作物になっている。
地域の伝統的なエスニック・グループは、ヌバ族、シルック族、ディンカ族だった。アラブ系のバガラや、カバビシュも、伝統的に、広い地域を牧畜用のテリトリーとしてきている。
(バガラは、アラブ系スーダン人の半遊牧部族。カバビシュは、やはりアラブ系スーダン人でラクダを主な地区従にした牧畜部族)
コルドファン地方は、1821年にエジプトのムハンマド・アリーが、息子を司令官にした征服軍を侵攻させるまでケイラ朝?のダルフール王国の支配圏だった。
当時、地域では、白ナイル流域にあったバラの町(Bara)が、エジプトとアビシニア?、及び、他のアフリカの地方との交易中継地として栄えていたが、ムハンマド・アリー朝のエジプトに征服された。
1837年には、ボヘミア生まれのイグナッツ・パルメ(Ignaz Pallme)が、地域を訪れた。、中央アフリカ地域との直接交易路を開拓することが目的だったと伝えられている。
イグナッツは、地域を訪れたはじめてのヨーロッパ人ではなかったが、コルドファンに脚を踏み入れたヨーロッパ人としては、それまででもっとも長く滞在し、一帯を探索して歩いた。交易路開拓の試みはうまくいかなかったようだが、ヨーロッパに帰郷後、記録したノートを整理して、コルドファン地方から、上エジプトの間の地理、地域社会、諸民族と彼らの風俗を整理した著作を著した。
1881年、地域に広まった新興宗教的なイスラム教団マフディー団が、対アングロ=エジプト支配の反乱を起した(マフディーの乱)地域から、アングロ=エジプト勢力を駆逐すると、1883年にオベイドを拠点と定め、ケイラ朝のダルフール地方も支配下においた。
しかし、1898年にカイロから、U.K.(連合王国)のウィリアム・ヒックス将軍に率いられた氾濫討伐軍が派遣されると、マフディー国家は短期間で崩壊。地域はアングロ=エジプト政府に再支配された。移行、コルドファン地方は、スーダンの一地方として扱われ、現在に至っている。
さらに詳しい情報
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コルドファンは、1919年にアングロ=エジプト当局が、当時のスーダン領に策定した8つの大地域圏行政区(Province)の1つに数えられていた。当初8つの地域圏の領域には曖昧な点も少なくなかったが、第2次世界大戦?がはじまった頃には、領域の整備も進んだようだ。
1974年、スーダン民主共和国政府(当時)は、コルドファン大地域圏を、南コルドファン州と北コルドファン州とに分割。当時は、大地域圏が州の上位の行政区として扱われていた。
1994年、スーダン共和国政府は、全土を現行の26州に再編成。行政区としてのコルドファン大地域圏は、行政実体を失い、コルドファン地方も現行の、北、南、西の3州に再編成された。
GM向け参考情報
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参照情報
領域名 | 面積 | 面積比率 | 人口推計 | 人口推計順去年 | 人口比率 | 平均人口密度 |
コルドファン地方(全域) | 376,145平方km | 100% | およそ360万人 | 下記データの総計による目安概数 | 100% | 9人ほど |
北コルドファン州 | 185,302平方km | 49%強 | およそ140万人 | 2000年 | 39%弱 | 7人ほど |
西コルドファン州 | 111,373平方km | 30%弱 | およそ110万人 | 2000年 | 30%強 | 9人ほど |
南コルドファン州 | 79,470平方km | 20%強 | およそ110万人 | 2000年 | 30%強 | 13人ほど |
スーダン共和国全域 | 2,506,000平方km | 666% | 3109万3千人 | 2000年 | 863% | 12人ほど |
人口分布
【参照地図】
- Sudan(Gridded Population of the World, version3)
統計に基づいた人口分布地図が公開されています(コンテンツの上部に記されている統計準拠年には注意)。
「増補待ち」
主要交通路
「中部スーダン地方」の項を参照のこと。⇒ 中部スーダン地方
活用や検討
活用
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(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) - 2007-01-19 (金) 16:10:11 鍼原神無 : 「さらに詳しい情報」と「GM向け参考情報」とを増補(のみ)。
検討
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キーワード:
参照:[北ダルフール] [ハルトゥーム州] [南ダルフール] [上ナイル地方] [北スーダン地方] [青ナイル地方] [南コルドファン州] [オベイド] [アフリカ州のランド・マーク] [中部スーダン地方] [北コルドファン州] [ガザル川地方] [ヌビア人] [エカトリア地方] [ヌバ山地] [ダルフール地方] [ランド・マーク] [北部州,スーダンの〜] [オールド・ドゥンクーラ] [クルドファン地方]