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スーダン共和国

スーダン共和国 
スーダンきょうわこく
暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

アラビア語?名正称(音写)
al-Jumh?r?ya as-S?d?n
アラビア語名略称(音写) as-S?d?n
英語?名正称
Republic of the Sudan
英語名略称 Sudan
(アラビア語?と英語は、どちらも、スーダン共和国の国定公用語

PCが予め知ってていい情報

 「スーダン共和国」は、アフリカ大陸の北東部にてサハラ沙漠の縁辺を占め、エジプト=アラブ共和国の南に隣接する国。北部東端で紅海に面している。通例、北アフリカ、または東アフリカの1国と数えられている。

 1980年代から南部との内戦に陥り、これに近隣諸国からの難民流入、東部との内紛、西部のダルフール紛争などが重なって混迷。2008年現在、政府の統治が行き届いているのは、首都ハルトゥーム?を中心とした、ナイル流域?中部以北の一縁のみと言える。

 1989年に、軍部とアラブ=イスラム主義組織「民族イスラム戦線 (NIF)」とが連携して、無血クーデタ。設立された「革命委員会」が非常事態を宣言し、NIFの主張に沿ったイスラーム化が推進された。

 1993年、革命委員会は解散し、権限は内閣に委譲されたが、クーデタ指導者が首相を兼務したまま大統領に就任。1998年に多党制を明記した新憲法が採択されたが、1999年に非常事態宣言が発令され、現在に至る。

 2005年に、南部政権との間で暫定政府が組織されたが、2007年11月、南部政権の代表者が中央政府や議会から代表を引き上げた、との報道が国際的に報じられた。

国名
 正称「スーダン共和国(Republic of Sudan)」、略称「スーダン」は、共に英語他で広く通用。
 アラビア語では、正称が「アル-ジュムフーリーヤ・アッ-スーダーン(al-Jumhuriya as-Sudan)」、通称「アッ-スーダン」。
 「スーダン」は、元々アラビア語では「黒い(色)」を意味し、中世アラブ人によって「黒人の土地」の意味で用いられた歴史的地域名。現在のスーダン領は、歴史的スーダンの東部にあたる。
近隣諸国
 国土の東部で、エリトリア国エチオピア連邦民主共和国と、南部でケニア共和国ウガンダ共和国と、国境を接している。南西部から西部にかけては、コンゴ民主共和国中央アフリカ共和国チャド共和国と国境を接し、北西部では大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国と国境を接している。
 北で国境を接しているエジプト=アラブ共和国との間には、未解決の領土問題を抱えている。
 紅海を挟んで、サウジ=アラビア王国の南西部と対面。
国際関係
 2008年現在、ダルフール問題への対処が国際的に求められている。
 スーダンでは、1956年の独立前から、復古主義的なイスラム系新宗派や、イスラム原理主義的な勢力が強かった。過去に、エジプトのサダト大統領暗殺に関与した疑いを持たれた容疑者をかくまう、サウディ=アラビアを国外追放されたウサマ・ビン・ラディンをかくまう、などして、アラブ諸国の内で孤立。イスラム諸国では、イラン=イスラム共和国との外交関係が密。
 欧米諸国との関係も、当然のように、よくない。
 さらに、2003年以降、激化したダルフール紛争については、人道危機、アラブ人民兵集団に対する政府の支援などについて、多くの疑惑を抱かれ、国際的非難も浴びている。
 ダルフール地方には、AU(アフリカ連合)?の停戦監視部隊を受け入れてはいる。AUは予算不足と人員不足から、国連PKO部隊の派遣を求めているのだが、スーダン政府当局は「国連軍は、欧米諸国の手先であり、派遣は侵略行為」と称して、頑なに受け入れを拒否し続けている。
 2006年4月、チャド共和国がダルフール地方と接しているスーダン国境を封鎖など、アフリカ諸国の内でも孤立傾向を強めている。
 こうした内、近年、中華人民共和国が、西部に埋蔵されている石油の買い付けをきっかけとして、スーダン政府との外交関係を深めている。
地域
 国土は、次の4地域に大別することができる。
  • 国土北部東縁の、紅海沿岸部
  • ナイル水系?流域の中部以北
  • ナイル水系流域も含んだ南部
  • 西部地域(国土で言えば、「西部の北寄り」にあたる)
 国土面積は、アフリカの現存国家で最大なので、4地域に大別した後、それぞれを細別していくと、把握し易いだろう。
 大まかに言って、北部と西部とは、乾燥地域が主体。東縁の紅海沿岸部では、沿岸山地まで乾燥地帯に覆われえいるが、沿岸部は海洋の影響を被って降水も多め。南部は湿潤地帯で、大湿地帯のサッドなどを擁す
歴史
 1980年代に、北部を拠点にした中央政府が、全土にイスラム教の宗教法を施行したため、キリスト教徒、民族宗教信徒が多い、南部と内戦状態に。紆余曲折もあったが、主にキリスト教徒が多いディンカ族を中心にした南部勢力と、北部の中央政府との対立を軸に続いた。南部勢力の中心的抵抗組織がSPLA(スーダン人民解放軍)。
 1984年、エチオピア連邦民主共和国から、内戦を逃れた多量の難民が流入、折からの旱魃が重なり、経済が困窮。1985年にクーデタが起き、1986年に新内閣発足。
 1989年、民族イスラム戦線 (NIF)も関わったクーデタ発生。
 1994年東部で、反政府闘争が激化。1997年以降、東部の反政府勢力が、エリトリアとの国境部を中心にした地帯を実効支配。
 1998年、政党結成の自由などを含む新憲法が国民投票で採決された。1999年、大統領は非常事態を宣言し、国民議会を解散。2000年、反大統領派勢力を排除した新内閣が発足された。
 2003年、ダルフールでの紛争が激化。
 2005年7月、中央政権の大統領と、南部のSPLA最高司令官が就任した第1副大統領との連立体制で暫定政府が発足。暫定政府が6年間の統治をおこなった後、南部で住民投票を実施し、北部のイスラム教徒系政権と南部のキリスト教徒系政権の連邦国家を形成するか、南部が独立するかを自決することになった。
 ところがその後、就任したばかりの副大統領が、ウガンダ共和国訪問からの帰途途中の7月30日に事故死。悪天候による事故でヘリコプターが墜落、と公表されたが、南部の中心都市、ジュバで騒乱が起きた。
国情
 中央政府の統治が完全に及んでいる地域は、ナイル水系のスーダン中部に位置する首都一縁から北の流域地帯のみ、と見た方がいい。(その他地域でも軍支配が強力な地域もある)
 中央政府が統治している地域では、非常事態宣言が発令されていて、一般市民の行動も制限(夜間外出禁止など)されている。外国人の行動への規制も多い。議会は営まれているが、近年も、反大統領派野党政治家の投獄などがあり、軍政に近い状況と見た方がよさそうだ。
 国家が分解しかねない危機に際して形成されたのだろうアラブ民族主義的な集団、イスラム原理主義的な集団が、自らの主張を暴走させているようにも見える。
 例えば「国連平和維持部隊は、欧米諸国の手先」という主張は、政府が唱えているだけでなく、首都近辺のアラブ系国民からも聞かれる。政府の政治宣伝を信じている人が多い、と言ってしまえばそれまでだが、国際的孤立を自ら深めるような、悪循環が生じているように思われる。
 2008年現在、ダルフール地方では、武装民兵集団による暴行が断続(と、想定)。政府軍、武装民兵勢力と、武装反政府勢力の交戦も断続(と、想定)。
 南部との関係も再度緊張が高まっていて、武装勢力複数の対立による襲撃や小規模戦闘が散発している。
考古学関係
 現在のスーダン政府が、統治しているナイル水系の中部地域は、概ね、古代のヌビア地域にあたる。
 重要な遺跡は多いのだが、はっきり言うと、近年の状況は、考古学研究どころではない。
 逆に、ブルーローズミッションが発令される可能性は、決して低くない地域だ。
 現地の特殊な事情に充分注意し、情勢を悪化させないよう配慮し、さらに、急変するかもしれない状況に臨機応変に対処してもらいたい。

スーダン共和国の地図

スーダン共和国の参照画像

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 19世紀初め、現在のスーダン共和国のナイル流域は、中部あたりまでが、にエジプトのムハンマド・アリー朝?に征服された。
 この時、ダルフール地方は独立を保ったが、後に征服されてしまった。南部地域の帰属は、しばらく曖昧な状態が続いた。その後、エジプトではムハンマド・アリー朝が、U.K.政府の傀儡と化し。実権はU.K.政庁が握るアングロ=エジプト体制に移行。
 1881年、ナイル流域中部で、イスラム系の新興宗教的な運動を背景にしたマフディーの乱?が起き、ナイル流域は、短期間アングロ=エジプトから独立。
 1898年、軍隊を派遣したアングロ=エジプトが派遣した軍が、スーダンを再征服。この時、ダルフールのイスラム王朝の後継者は、政府から年金を受ける立場におかれ、ダルフールもアングロ=エジプトの属国化された。現在のスーダン - チャド国境が、U.K.とフランスとの間で画定されたのは、この頃のこと。南部の支配も、アングロ=エジプト時代に進められた。
 第2次世界大戦?後の1951年、エジプトが一方的にスーダンの領有を宣言。1954年に、ダルフールや南部も含んだスーダンに自治政府が組織され、1956年に独立。
 1969年、陸軍のクーデターが起き、国名が「スーダン民主共和国」に改められた。1983年にイスラム法が全国に導入され、反発した南部スーダンの住民が武装蜂起、内戦へと展開していった。
 1985年にクーデターが起き、国名も「スーダン共和国」に戻された。翌、1986年民政に移行。
 現在の政府は、1986年に成立した政府を、1989年のクーデタで覆した政権が継承したもの。

  • 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値12〜14」
さらに詳しい情報 現在のスーダン政府が、統治しているナイル水系の中部地域は、概ね、古代のヌビア地域にあたる。
 古代エジプト王朝に直接支配された時期もあるが、基本的には、南方の南アフリカ?や、西方の中央アフリカ?東アフリカを介してのアラビア半島?との交易を、古代エジプトとの間で中継した文化圏と言える。
 こうした構図は、中世にアラブ・イスラム勢が地域に浸透した後も変わらなかった。
 地域に栄えたイスラム王国は、東方や南方から得られた黒人奴隷を、エジプトのイスラム王朝との交易品目の内に挙げ、交易を営んでいた。

GM向け参考情報

位置(再整理)

 スーダン共和国は、アフリカ大陸の北東部にてサハラ沙漠の縁辺を占め、エジプト=アラブ共和国の南に隣接する国。北部東端で紅海に面している。通例、北アフリカ、または東アフリカの1国と数えられている。

近隣諸国
 国土の東部で、エリトリア国エチオピア連邦民主共和国と、南部でケニア共和国ウガンダ共和国と、国境を接している。南西部から西部にかけては、コンゴ民主共和国中央アフリカ共和国チャド共和国と国境を接し、北西部では大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国と国境を接している。
 北で国境を接しているエジプト=アラブ共和国との間には、未解決の領土問題を抱えている。
 紅海を挟んで、サウジ=アラビア王国の南西部と対面。

基本情報

  • 目標値8〜10程度の簡単な判定で、PCが知ってることにして構わないでしょう。場合によってはプレイヤーに事前提示しても可。

スーダン共和国の基本情報 2009年版
(別ウィンドウで並べて見ると、多分便利)

用途

 内戦、内紛が続いている上、国家非常事態宣言下にある2006年現在のスーダンは、PCに政治的な情勢判断も期待されるシナリオに向いています。この意味では、「ブルーローズ」に慣れたプレイヤー向けの舞台で、少なくとも、3回以上冒険を重ねたメンバー向けでしょう。

 もちろん、冒険の導入部だけをスーダンで済ませて、ただちにワールド・ワイドに転戦。非常事態下での微妙な判断を要す冒険は関らせないで済ませる処理や、練習程度に関らせる処理は可能です。

 題材は、古代ヌビアの遺跡に、古代エジプト・ネタを絡めたり、中世まで続いたコプト系?キリスト教王国、ナイルの源流を巡る古代史ミステリーなどなど豊富です。

 国土も広く、環境も多彩なので、サッドの大湿原地帯を舞台にしたり、エチオピア領とに渡って、青ナイル流域で冒険したり、ヌビア沙漠を渡ったりと、料理しがいのある国ではあります。

 なお、2006年現在スーダン西部のダルフール地方は、同国の他の地域よりさらに難易度の高い冒険舞台になっていると思われます。

アイデア・フック

  • 近年、スーダンは経済面で中国と接近、中国から鉱工業の技術者集団が、技術支援ってことで出向いてるそうだ。「南部で、反政府勢力に、中国人石油技術者が拉致され人質にされた」とかのニュース報道を聞いた記憶もある。
    龍三合、ことに海南物産の出番か!?

地域と地勢

地勢と環境

 地勢、環境は、よく北部と南部とに大別されます。が、冒険舞台としての特性を考えるには、もう少し細分した方がいいでしょう。

 国土は、次の4地域に大別することができる。

  • 国土北部東縁の、紅海沿岸部
  • ナイル水系?流域の中部以北
  • ナイル水系流域も含んだ南部
  • 西部地域(国土で言えば、「西部の北寄り」にあたる)
    ほぼ、ダルフール地方に等しいが、同地方を含んで、やや広い。

 全般に地勢は概ね平坦だが、山地も含む。まず、国土の東辺では、紅海沿岸に走る山地がエジプト領から続き、エリトリア領を経てエチオピア領のエチオピア高原に連なっている。

 スーダン領内では、北東部で、この山地が紅海沿岸と山地以西の沙漠地帯とを区切っている。紅海に沿う山地よりも西で、ナイル川流域までがヌビア沙漠。ナイル西岸から以西がサハラ沙漠の南東縁にあたる沙漠地帯になっている。

 北部のナイル流域には、首都ハルトゥームを含む都市が点在。概ね、白ナイル流域のシャイフゴク(人口不詳、10万人未満級)のあたりまでが、乾燥気候帯に属す。

 スーダン南部は、大湿地帯であるサッドで特徴づけられる。

 サッドの北外縁は、リビア領北東辺、チャド領東辺から広がっている岩地性丘陵の南縁に縁取られている。この丘陵地は、西部でスーダン領内の最高峰であるマラ山(標高3083m)を擁すマラ高原に至る。マラ高原は、ダルフール地方の中心地で、この丘陵地までが乾燥地帯と半乾燥のステップ地帯とに属す。マラ高原の南方はステップ地帯。さらに南方がサッド

 白ナイル流域のマラカル?のあたりから南が、熱帯気候に属し、サッドが広がっている。サッドの南縁は、南部国境山地の裾にあたる乾地になっており、俗に「南部スーダンの首都」とも呼ばれるジュバ?市など都市が点在。

 北部乾燥地帯では、7〜8月が雨季で、雨季の前と雨季の後のそれぞれ2〜3ヵ月ほどが極暑の季節となる。

 南部の熱帯地域では、6月〜11月が雨季で、11月〜翌3月頃が乾期になっている。

 埋蔵資源としては、推定20億バレルとされている油床が1999年に発見され、採掘、輸出がおこなわれている。他にクロム鉱、金も産出。ダルフール地方では、ウランの埋蔵も確認されている。

地域区分

 地域は、便宜的に北部(内陸中北部)、西部、東縁沿岸部、南部に4大別していくと把握し易い。

北部
 ナイル水系流域、その他の沙漠地帯(ナイル東岸のヌビア沙漠、東岸の沙漠)とに細別するといい。
西部
 「ダルフール地方」の全域を含んでいる。マラ高原を擁し、サバンナ地帯が多い。北域は沙漠。
東縁沿岸部
 紅海に面している。
南部
 大湿地帯「サッド」と、その南縁に広がる乾地からなる。

 スーダンの行政区分は、何度かの改革を経てかなり細分化している。長年続いた内戦で、現在も機能している行政区がどのあたりかまでは、不明。

 GMはシナリオの狙いに応じて調整していいだろうが、次のような線は意識した方がいいだろう(2006年現在)。

北部
非常事態が発令されていて、国民の行動にも制限がある。当然、外国人の行動には制限が多い。
アラブ民族主義集団、イスラム原理主義勢力などの世論が、極めて強く。反欧米的な主張が声高に唱えられえいる。
南部
社会秩序は保たれているが、スーダン当局の統治は直接は及んでいない。
南部に至る途上の失湿原地帯
治安状態は良くない。
ダルフール地方
内紛状態継続中。
北東部の紅海沿岸部
南寄りのエリトリア国境部を中心に、反政府勢力が実効支配をしている。スーダン当局の統治は、及んでいない。

人口分布

【参照データ】

 2006年現在、GPWvr3のデータは、2000年現在の統計資料に基づいている。

 内戦の影響で、国内難民などが多く、現状の人口分布について、整理されたデータは事実上入手不能。逆を言えば、シナリオの都合である程度は操作する余地もある。一応、GPWv3の人口分布図を踏まえれば、ある程度のアレンジを加えても、加えなくても仕えるだろう。

 国内の都市集住率は36%ほどとさほど高くないが、北部では沙漠地帯の居住者は極端に少なく、人口は紅海沿岸の都市とナイル水系流域とに偏る。特に、首都ハルトゥーム?などの主要都市を擁すハルトゥーム県は、180万人超の人口を擁す。

 次いで、西部ダルフール地方と、国土南縁に位置する南部地域の中心都市ジュバの周辺とに人口が多い。

 2006年現在、西部ダルフール地方には、国内難民のキャンプが多い。

 西部と南部の都市集住率は、全国平均値より低くなる、と想定。

主要都市

北部ナイル水系沿い
ハルトゥーム?(首都)、オムドゥルマンハルトゥーム・ノース、ワードマダニ?
東北部紅海沿岸地域
ポート・スーダン?
北部その他地域
カッサラ?オベイド
西部(ダルフール地方)
エル・ファシェル?、ニャラ?
南部
ジュバ?

別称類

 古くは「スーダン」は、アラビア語で「黒人の土地」を意味し、サハラ沙漠以南の地域を指した。現在おスーダン領と区別する場合「歴史的スーダン」とも呼ばれるこの地域は、概ね、西アフリカ 〜 中部アフリカ 〜 東アフリカの一帯を指した。

 現在のスーダン共和国領は、概ね、歴史的スーダンの東部にあたる。

正規の出入国ゲート

スカイ・ゲート
 首都ハルトゥームの近傍に国際空港が存在。
主要国際自動車道
 エジプトとの間に4本の国際道が敷設されている。ただし、内2本は、国土北西辺の沙漠ルート。この2ルートは、スーダン領内を比較的短い距離しか通っていない。道路はスーダン領内で合流した後、リビア領に向かう。
 リビアとの間には沙漠道1本が国際自動車道として布設されているのみ。2006年現在、リビア側では国境近辺が外国人立ち入り禁止地域とされている。
 チャドとの間の国境は2006年4月にチャド側に封鎖された。スーダン領内のマラ高原北部を経由してきた自動車道と、南部を経由してきた自動車道とが、1本に合流した後チャド領に至っている。
 中央アフリカ共和国との間は、国際自動車道が2本布設されている。
 コンゴ民主共和国との間は、国際自動車道が1本布設されている。
 ウガンダ共和国との間は、国際自動車道が1本布設されている。
 エチオピア連邦民主共和国との間は、国際自動車道が2本布設されている。
 エリトリア国との間は、国際自動車道が2本布設されている。
 ケニア共和国との間は、国際自動車道は布設されていない。
国際鉄路
 スーダンと周辺諸国との間に国際鉄路は布設されていない。
水運
 エジプトのアスワン?と、スーダンのワディ・ハルファとの間のナイル川をフェリー便が周航。

別称類

主要国の言語

  • アラビア語名(音写)=al-Jumh?r?ya as-S?d?n(アル-ジュムフーリーヤ・アッ-スーダーン)
    略称=as-S?d?n(アッ-スーダン)
  • 英語名=Republic of the Sudan(リェパブリク・オブ・ズァ・スゥダァン)
    略称=Sudan(スゥダァン)
    (アラビア語?と英語は、どちらもスーダン共和国の国定公用語
  • フランス語名=R?publique du Soudan
    略称=Soudan
  • スペイン語表記=Rep?blica de Sud?n
    略称=Sud?n
  • ロシア語表記=Республика Судан
    略称=Судан
  • 中国語名=蘇丹共和國
    略称=蘇丹

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2009/10/06 20:04:08
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