ラメセス9世
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ラメセス9世は、第20王朝の第8代ファラオにあたる。その在位期間は、B.C.1126年から、B.C.1108年までとも、B.C.1124年からB.C.1106年とも言われる。
足掛けで、19年間という統治年数は、トリノ・パピルス?の記述に基づくもの。第20王朝では、ラメセス3世?、ラメセス11世に次いで長い治世になっている。トリノ・パピルスを信じれば、18年間と4ヶ月在位した、とされている。
ラメセス9世の墓所は、テーベ?の王家の谷で、谷を挟んでラメセス2世?の墓所と対面するように設けられていた。この墓所の位置は、グレコ・ローマン時代から知られていたようだ。ラメセス9世のミイラは、デル・エル・バハリ?にあるカシェ?(隠し墓所)から発掘された。
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ラメセス9世の治世は、しばしば「概ね平安だったらしく、あまり目立った記録が無い」と言われる。有名な記録には、治世16年めにあたる年の、墓泥棒についての報告書パピルスが知られている。
これは、王家の谷?で第17王朝?のファラオの王墓が盗掘されていた事件に関する報告を含んだパピルス文書。ラメセス9世当時のカルナックの知事が、王家の谷を護ることについて怠慢があったのではないか? との嫌疑についての調査報告で、「知事は、必ずしも怠慢だったとは言えない」と、結論付けられている。
後世の視点から見ると、この王家の谷での墓泥棒は、明らかにラメセス9世以降、激しくなっていく盗掘の早い時期の事例と思える。しかし、ラメセス9世当時、どの程度の危機感をもって意識されたかは定かではない。
ラメセス9世が命じた宗教建築は、主に下エジプトで建造された。ことに、ヘリオポリスの遺跡?で多数の建築、修築がおこなわれたようだ。あるいは、王朝の関心が下エジプトに比重を移したことが、テーベでの盗掘横行を許す結果につながったのかもしれない。
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参照:[ラメセス10世] [ラメセス8世] [パネヘシ] [歴史上の実在人物] [ラメセスナクト] [小辞典ワールド編]