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スラーキ

スラーキ(地方) (Thrace,histrical region) 簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「スラーキ地方」は、バルカン半島の南東部で、現在のギリシア領?北東部、トルコ領北西部、ブルガリア領南東部に渡る地域の歴史的地域名。

 概ね、オスマン=トルコ末期の「東ルメリ自治州」に近い領域が3国に分割された。古代トラキアに由来する地域名だが、領域はよりは狭くなっている。

 「スラーキ」は英語名で、現代ギリシア語では「トラーケー」、トルコ語、ブルガリア語では「トラキア」。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 東は黒海?、南はマルマラ海?とエーゲ海?に縁取られている。西は広義のマケドニア地方、北は古代にモエシア?と呼ばれたこともある地域になっている。

 地域には、以下のような都市や町がある。

ギリシャ領
  • アブデラ?
  • アレクサンドロポリス?
  • オレスティアダ?
  • クサンティ?
  • コモティニ?
  • ディディモティコ?
  • ピティオ?
  • ラヴァラ?
トルコ領
  • エディルネ?
  • ゲリボル?
  • テキルダ?
ブルガリア領
  • アイトス?
  • プロヴディフ?
  • スタラザゴラ?
  • スリヴェン?
  • ディミトロヴグラド?
  • ハスコヴォ?
  • ピスティロス?

 ギリシア共和国、トルコ共和国、ブルガリア共和国のいずれでも、自国領の“トラキア”地方を、単に“トラキア”にあたる自国名で呼ぶことが多い。

 これに対し、歴史的なスラーキ地方を念頭に、西部スラーキ(ギリシア領)、東部スラーキ(トルコ領)、北部スラーキ(ブルガリア領)、などと呼ぶのは、地理学や環境研究などでの、ワールド・ワイドな研究で用いられる場合が多く、どちらかと言えば学術用語風の用法になってしまっている。

 ギリシア、トルコ、ブルガリアのいずれの国でも、領内に「トラキア大学」と呼ばれる大学が設けられている。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 古代トラキア地方は、古代末にはローマ帝国の領域だったが、1世紀頃から西ゴート族が侵出。フン族、スラブ系諸族と侵出が相次ぎ、ローマ支配は弱まっていった。

 7世紀には、北方でブルガリア国家が興り、ビザンツ帝国はバルカン山脈以北の支配圏を喪失。9世紀頃からスラーキ地方も、ブルガリア帝国、ビザンツ帝国の間で争奪されるようになった。14世紀以降ガリポリ(ゲリボル)からダーダネルス海峡を渡りオスマン=トルコ勢が侵出。エディルネを拠点にオスマン帝国の支配が広まると、トルコ語を話すムスリム(イスラム教徒)の居住が増え、民族の混交、混住が進んだ。

 オスマン帝国の統治力が弱まった1878年、北部に東ルメリ自治州がおかれたが、1886年に既にオスマン帝国から独立していたブルガリアによって併合された。

 その後も大部分はオスマン帝国の支配下に残されたが、20世紀初頭の2次に渡るバルカン戦争、第1次世界大戦を経て、エディルネよりも北がブルガリアに、エヴロス川以西がギリシアに割譲され、残る部分をトルコ共和国が確保して3カ国に分断された。

GM向け参考情報

 「増補待ち」

別称類

 「スラーキ」は英語名。

 現代ギリシア語では「トラーケー」、トルコ語、ブルガリア語では「トラキア」。

 ラテン語による古称、「スラキア」、または、「スレキア」。

活用や検討

活用

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検討

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