トリポリタニア
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「トリポリタニア」は、現大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国領の北西部にあたる一帯を指す歴史的地域名。この地域は、キレナイカ、フェザーンと共に、リビアの歴史的な3地域の1つ。
フェニキア系古代都市の遺跡を擁す。
- 【参照地図】
- リビア領の歴史的地域大別概略図(Wikimedia Commons)
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 現在のトリポリタニアには、一説に社会主義人民リビア=アラブ国?国民の7割が居住すると言われる。
- 北高南低の微傾斜を持ち、平均すると標高100m内外程度の低い高地を成している。特に沿岸部では、地中海性気候を活用した農牧業が営まれる食物供給地で、リビアでは、比較的豊かな地域を成している。
- 【参照地図】
- リビア領の歴史的地域大別略図(Wikimedia Commons)
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 「トリポリタニア」の地域名は、ヘレネス(ポリス時代の古代ギリシア人)がカルタゴ系のフェニキア都市3つを指して呼んだ地域名「トリポリス」に由来する。「トリポリス」は、歴史的地域である「トリポリタニア」の古称にあたる。
- フェニキア系の古代3都市とは、サブラタ、ローマ時代にレプティス・マグナと改称されたレプティス、現在のトリポリ?の位置に存在したオエアの3つを指す。後代、ローマ都市として利用された遺跡も含まれている。
- これらの都市が創建されたのは、紀元前9世紀頃から紀元前6世紀末にかけてのこと。古代の地域名「トリポリス」の成立も紀元前6世紀末以降と考えられる。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 ヘレネスが呼んだトリポリス(3都市)の内、サブラタでの集住は紀元前10世紀頃まで遡る。カルタゴ?の姉妹都市が建設されたのは紀元前6世紀末のこと。レプティスが築かれたのは、おそらく紀元前9世紀頃のこと。それ以前にもフェニキア系交易船の寄港地が現地民との定期的交易地を兼ねていただろう、と推測される。現在のトリポリの位置にオエアが創建されたのは紀元前7世紀頃と目されているが、考古学的裏づけは皆無ではないが乏しく、定かではない推測が主になっている。
- これらの3都市は交易都市として栄え、ペンタポリス地方がギリシア系殖民都市を中心に栄えたのに対し、カルタゴ系の都市圏として繁栄した。紀元前2世紀にカルタゴが古代ローマに滅ぼされた後、弱体化。サブラタが一時ベルベル系?の古代ヌミディアに征服された他、3都市はそれぞれローマ帝国の属領とされ、属州アフリカに再編されていった。大まかには、ここまでを古代トリポリスの歴史と概括しても構わないだろう。
- 古代ローマの属州アフリカでは、帝国の穀倉地帯として大農園が経営され、都市も交易で栄えたが、紀元5世紀にヨーロッパから侵攻してきたヴァンダル族に征服された際に、かなりの破壊を被った。地中海交易が衰微したビザンツ時代には、かつての穀倉地帯は衰退。地域は、沿岸部の城塞に護られたビザンツ領として続いたが、7世紀にアラブ・イスラム勢の侵攻を受けた。古代の3都市は、この間に遺跡と化しており、省みられなくなっていた。
- 地域には9世紀頃から11世紀頃にかけ、アラブ人の集団が入植。12世紀半ばに、短期間シチリア島?から侵出したノルマン勢に征服された時期がある他は、アラブ系のイスラム王朝が盛衰。マグレブ地方で成立したファーティマ朝?が、一時、エジプトやシリア・パレスティナ?地域までを支配するなどした後、16世紀半ばにオスマン=トルコ帝国に征服された。
- 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」「情報+知性 目標値14以上」
- さらに詳しい情報 15世紀初頭、現リビア領の沿岸部、特にトリポリタニアではイスラム王朝の統治力が弱まり、沿岸の港湾はアラブ海賊の拠点になっていた。1510年、イスパニア王国の艦隊が海賊を討伐しトリポリ?を征圧。1582年にトリポリはイスパニア王国からマルタ島の聖ヨハネ騎士団に委ねられたが、1538年、アラブ人海賊“赤髭”のバルバロッサこと、ハイレッティンに奪取された。ちなみに、バルバロッサの通称は、トリポリタニアの沿岸部がヨーロッパ側から“Barbary Coast”(野蛮な海岸)と呼ばれていたことに由来する。
- 1551年、オスマン=トルコ帝国がトリポリを含むマグレブ各地を征服(モロッコ王国は、独立を保った)。バルバロッサら海賊の主流は、オスマン=トルコに服属しトルコ海軍の一翼を担うようになった。トリポリタニアは、トルコ帝国の属領として編成され、1565年に、トリポリタニアに帝国からパシャ(太守)が派遣された。
- オスマン=トルコのパシャは、ベイと呼ばれる地方官僚たちを置いて地域を統治したが、トリポリタニアのベイは概ね元海賊の首領格やイスタンブールから派遣された軍人に占められた。ベイたちは、徐々に土着化し、並行して地位の世襲化も進んだ。こうして、トリポリタニアやマグレブ地方ではオスマン帝国に服属しながら、半ば独立した地方勢力が育った。1711年〜1835年の間は、トリポリタニアのパシャ位も在地のカラマンリー家に世襲され、トリポリタニアは、事実上、カラマンリー王朝のようにオスマン帝国に服属した。
- 1835年、オスマン当局は太守制を廃し、トリポリに直轄支配を及ぼしたが、かえってキレナイカやフェザーン、チュニスやアルジェリアなどの周辺地域では反帝国の機運が高まった。
- 1912年、バルカン戦争(第1次)に見舞われたオスマン帝国は、当時続いていたイタリア・トルコ戦争を外交決着で講和。トリポリタニアとキレナイカはそれぞれイタリアに植民地統治されることになった。第2次世界大戦前の1934年、トリポリタニア、キレナイカ、フェザーンが統合され、イタリア領リビア発足。
- 第2次大戦中、トリポリタニアは、U.K.軍に占領された。2次大戦末期クーデタでムッソリーニ政権を倒して連合国側に転じたイタリアは、戦後トリポリタニアをイタリア領として確保しようとしたjふしが見られるが、1951年、キレナイカ、フェザーンを併せたリビア連邦王国が独立した。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど。
用途
- トリポリタニアは、古代フェニキア・ネタ(特にカルタゴ系)や、古代ローマと絡めた題材が第1に有望。
参照地図
- トリポリタニアの古地図(Wikimedia Commons)
1913年作成、とのこと。
補足情報
地勢と環境
- 北高南低の微傾斜を持ち、平均すると高度100m内外の低い台地になっている。
- 沙漠の占める割合は多いが、地中海沿岸部では、地中海性の気候を利用し、農牧業も営まれている。リビア国内の食料供給地の役割を担っている。
- 6月〜10月の夏季は高温乾燥、冬季は温和で降雨もみる。季節の変わり目に、時折気温が上がり砂嵐が吹くことがある。
人口分布
沿岸部を中心に都市への集住率が高い。社会主義人民リビア=アラブ国全体での都市集住率は、平均で85%強(2004年)。
正規の出入国ゲート
「社会主義人民リビア=アラブ国」の項を参照のこと。⇒ 大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
主要交通路
- 空港
- 首都トリポリ?の南東に国際空港が存在。
- 海港
- トリポリ、フムス、ミスラタが主要な沿岸都市。
- 他に、小さな沿岸都市も複数存在。これら沿岸都市間の船舶通航は盛んと想定。ただし、社会主義国式の管理は厳しいと想定。
- 鉄道網
- リビア国内に長距離の鉄道は敷設されていない。
- 主要自動車網
- キレナイカ地方から沿岸部を通り、首都トリポリまで至る自動車道が基幹道。このルートは、トリポリの西では、地方都市ズワーラを経て、チュニジア共和国に至る国際自動車を兼ねている。
- 他に、沿岸基幹道上の、トリポリ、ミスラタなどから、内陸部に向かう主要地方道が分岐している。
別称類
主要国の言語
- アラビア語名の音=Tar?bulus(タラーブルス)
- 英語表記=Tripolitania(トゥリポリティニア)
- フランス語名=Tripolitaine
- スペイン語名=Tripolitana
- ロシア語表記=(調査中)
- 中国語表記=(調査中)
その他
- イタリア語?名=Tripolitana
- 古典ギリシャ語の古称=トリポリス
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[アフリカ州のランド・マーク] [トリポリ] [ランド・マーク] [フェザーン] [キレナイカ] [トリポリス] [大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国] [古代リビア]