ヴィレンドルフのヴィーナス
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「ヴィレンドルフのヴィーナス」は、「石器時代のヴィーナス?」と総称される、地母神像と思われる遺物の1種。
現在のオーストリア領、ニーダーエスターライヒ州(低地オーストリア)の南部で、丘陵地の裾部に位置するヴィレンドルフ?近くで出土した。
「ヴィレンドルフの婦人」とも、「ヴィレンドルフの女神」とも。
- 【参照イメージ】
(Venus of Willendorf,DEPARTMENT OF THE HISTORY OF ART,The University of Pennsylvania)
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ヴィレンドルフのヴィーナスは、石灰岩の類を丸彫りした小石像で、1908年に、考古学者ヨーゼフ・ソンバティ(Josef Szombathy)による旧石器時代?遺跡の発掘の際に発見された。(発掘は1908年から1909年に渡った)
ヴィレンドルフは、ニーダーエスターライヒ(低地オーストリア)の、ノインキルヘン県?(Neunkirchen)に位置する。
高さ11cmほどで、肥満した女性の全身像をデフォルメして刻んだ像。石器時代の女性像の最初の出土例とされている。この小像のニックネームから「石器時代のヴィーナス」の総称が生まれた。
おそらく妊婦を刻んだもの、と解釈する意見が多いが、慎重に解釈を保留する研究者もいる。特に「地母神」とみなすことについては、議論もある。
石器時代のヴィーナス?の類例と共に、多産、豊穣を祈念する宗教と関連していただろとする地母神説には、多くの研究者が同意している。しかし、旧石器文化を専門に研究する研究者の間には「肥満体は、狩猟採取集団の内で、高い地位にあった女性を形象った結果」との意見もある。
全体が、代赭石で朱色に染められていた。石材は、近傍地域では産出されないタイプの物。
像の脚部は先細りに作られていて、明らかに自立しない。このことから、携行された護符の類、と考える意見も少なくない。
1990年代に出土地の遺跡層を再分析した判断では、今から、2万4千年前〜2万2千年前頃の作例とされている。
【参照地図】
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小石像が出土した遺跡は、ディレンドルフ近傍の丘陵地帯に位置していた。地域の発掘調査は、19世紀末の1883年頃からおこなわれていた。
遺物の年代鑑定は、何度か大きく変更されてきた。発見後の当初は、1万5千年前頃から1万年ほど前の作例とされた。これは、20世紀初頭に、石器時代の遺物や遺跡から再構成される文化についての知見が不充分だった時代の判断だった。
1970年代に2万5千年前から2万年前頃とされ、1980年代には、一時、3万年前から2万5千年前とする説も唱えられた。
1990年代から唱えられるようになった「2万4千年前〜2万2千年前頃」との判断は、発掘記録に基づく遺跡層の成層を現在の知見から再検討したもので、穏当な見解と目されている。
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