連邦直轄部族地域,パキスタン=イスラム共和国の〜
- パキスタン=イスラム共和国の連邦直轄部族地域 パキスタン=イスラムきょうわこくの れんぽうちょっかつ ぶぞくちいき 簡易版
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パキスタン=イスラム共和国の連邦直轄部族地域
パキスタン=イスラムきょうわこくの れんぽうちょっかつ ぶぞくちいき
簡易版
- 英語表記
- Federally Administered Tribal Areas(of Pakistan),FATA
- フランス語表記
- Federally Administered Tribal Areas
- 中文表記
- 〓邦直〓部落地区
(〓は表示できない漢字)
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パキスタン=イスラム共和国の「連邦直轄部族地域」とは、パキスタン領内の西部山岳地帯で、中央政府が先住山岳民の部族自治を認めている地域。略称で“FATA”、「トライバル・エリア(Tribal Areas)」とも。
エリアの居住者は、伝統的生活スタイルを色濃く残してきたパシュトゥーン人?が多数派。
自治区の領域は、西でアフガニスタン=イスラム共和国南東部に隣接し、パキスタン領内では、北から東にかけて北西辺境州南部と、南縁の概ねでバローチスタン州と、南東縁の極、短い境界線で、パンジャーブ州?と隣接している。
欧米のメディアなどで、しばしば「パキスタン北西部」と呼ばれて、「北西辺境州」と一括して扱われることもある。連邦直轄部族地域から北西辺境州にかけては、2002年からU.S.軍とパキスタン軍とが展開。アフガニスタンから逃れてきた旧アル-クァーイダ・メンバーの掃討作戦に取り組んだ。他に、U.K.軍を主体にしたNATO軍部隊が、麻薬組織壊滅作戦に従事している。
2004年から、地域での紛争は激化。2008年現在、地域南部の南ワジリスタン?を拠点にした民兵集団が、南北ワジリスタンを実効支配している。
- 【参照地図】
- パキスタン領内の連邦直轄部族地域のエリア(Wikimedia Commons)
地図中の赤系濃色彩色部が、連邦直轄部族地域のエリア。
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連邦直轄部族地域の面積は、27,220平方km。自治区の制度は、かつてのU.K.統治に由来し、19世紀末にU.K.と当時のアフガニスタン王国?との間でデュランド・ラインの境界線が策定されて以降、定着したもの。北西辺境州も同じような経緯で、インド帝国?からパキスタン政府に継承されたもの。
地域は、制度上は7つの部族地域と、5つの辺境地区に区分されている。
部族地域は、西部でアフガニスタン領に隣接して、概ね南北に連なっている。辺境地区は部族地域の東部に外接するような形、あるいは、部族地域内に囲まれて、地方都市や町を中心にしたような形で営まれている。
部族地域の住民は、ほぼ全員がパシュトゥーン人?の部族民。辺境地区の都市や町でもパシュトゥーン人は多いが、さまざまなエスニック・グループの混住が見られる。アフガニスタン難民も少なくない。
部族地域では、U.K.統治下で制定された辺境犯罪規則 (Frontier Crimes Law) が現在も適用されることになっている。基本的に、部族自治に委ねられ、「パキスタン中央政府は部族長と合議して広域行政を営んでいる」とされていた。ただ、2007年以降は、地域南部のワジリスタンが紛争状態にあることは、パキスタン中央政府も事実上認めている。
部族地域の行政実態については、以前から諸説あった。「徴税もままならない」とも、「人口統計も定かでない」とも言われる。いずれにしろ、中央政府の統治は、極、わずかしか及んでいないことは確かだ。
連邦直轄部族地域、全域の居住人口は、推計値で570万人ほどとされ、内、3%弱ほどが、都市部居住者と目されている。
連邦直轄部族地域では、パシュトゥーン人?を主にした先住山岳民は、現在も多数が半定住で移牧を主に、農耕を従にした生活を営んでいる。U.K.統治が及ぶ以前から、パシュトゥーン系グループの間でも定住化が進んでいた北西辺境州とは対照的だ。
連邦直轄部族地域のパシュトーン人の多くは、冬季にはバローチスタン州の山岳地帯を経由して、低地に移動し牧畜を営んでいた。アフガニスタン領南東部にも移牧ルートをもっている、とされている。
- 【参照地図】
- 連邦直轄部族地域の区分図(Wikimedia Commons)
現在の連邦直轄地域を中心にした山岳地帯は、かつてはしばしば「パシュトゥーニスタン」とも呼ばれた。
インド帝国?が解体され、インド共和国とパキスタン=イスラム共和国が分離独立した前後は、アフガニスタン側の1部で、「現在の部族地域や北西辺境州は、パシュトーン人の土地で、アフガニスタンの1部であるべきだ」との政治的主張も聞かれた(大パシュトーニスタン構想)。
(エスニック・グループ名としての「アフガン人」は、歴史的には自称である「パシュトゥーン」に対する他称が定着したもの)
一方、半定住のパシュトゥーン部族の方では、実は定住化、都市化したアフガン人に対する親近感は、さほど強くないようだ。伝統的な部族民たちには、「王国」のような集権化した社会に対する反感がある、とも言われる。
隣接する北西辺境州には、定住化したパシュトゥーン人が多く、彼らの間ではパキスタン中央政府に対する分離独立の主張も聞かれる。半定住パシュトゥーン人の間では、従来、中央政府との関係は、自治が尊重される限り、概して良好だった。
ところが、2002年からU.S.軍、パキスタン軍が「アフガニスタンから逃れたウサマ・ビン=ラーディン?ら、アル-クァーイダ?の主要メンバーが地域潜伏している」として、ワジリスタン、及び、隣接地域に展開を始めて以降、部族間の対立も深まり、「ワジリスタンのタリバーン」とも呼ばれる民兵集団の勢力が拡大する結果になってしまった。ちなみに、地域へのウサマ・ビン=ラーディン潜伏説は、2008年現在まで、確証が得られていない。
- 【参照地図】
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参照:[バローチスタン州] [ワジリスタン] [北西辺境州,パキスタン=イスラム共和国の〜] [略号] [デュランド・ライン] [チトラル県] [アジア州のランド・マーク]