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バローチスタン州

バローチスタン州 
バローチスタンしゅう 
簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語表記
Balochistan
フランス語表記
Baloutchistan
スペイン語表記
Baluchist?n
ロシア語表記
Белуджистан
アラビア語名
(調査中)
中文表記
俾路支(巴基斯坦的省)

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「バローチスタン州(Balochistan)」は、パキスタン=イスラム共和国西部を占めている大きな州。
(日本語表記が似ているバルチスタン(Baltistan)とは関係の無い別の地域)

 アラビア海?に面し、東縁では、北から南に、パキスタン領の連邦直轄部族地域南端、北西辺境州南端、パンジャーブ州?西縁(南部)、シンド州?西縁に隣接。

 北縁はアフガニスタン=イスラム共和国領と、西縁はイラン=イスラム共和国領と隣接している。

 2008年現在、州域では、バローチ人主体のグループ複数による分離独立運動や、反政府武装闘争が続いている。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 パキスタン=イスラム共和国の「バローチスタン州」は、クァーラト藩王国を中心にしたバローチスタン藩王国連合の領域だったエリアが州域。

 イラン高原南東部を占めるバローチスタン地方の南東域と、南に付随した沿海部を含む。全般に山がちな地勢で、内陸部を中心に半乾燥地が広く、沙漠地帯も擁す。

 鉱物資源が豊富だ、と言われ、近年、開発が進められている。天然ガスや石油の採掘業は、すでに盛ん。

 現在の州都は、州域東部の概ね中ほど、山岳地帯に位置するクェッタ。中央ブラーフィ山脈?北端部の西方に位置している。


 州域面積は、347,190平方km。現パキスタン領の4割以上を占めていて、州レベルの行政区では最も広い。

 居住人口は、2003年に推計で9,893,727人。同年のパキスタン推計人口の6.5%弱ほどになる。山地や沙漠が広いため、平均人口密度は低い。居住者の1/4弱ほどが都市部に集住。

 居住者の内、バローチ人及び、バローチ人と関係が深いとされるエスニック・グループは、全体の6割程度とされる。ただし、バローチ系居住者の分布は、州域の南部と東部では多数派だが、他の地域ではさほどでもない。

 バローチ人に次いで多数派なのはパシュトゥーン人?。特にクェッタでは、定住化したパシュトゥーン人が多数派になっている。ただ、パシュトゥーン人については、非定住の伝統的な移牧生活を続けている集団が、隣接する連邦直轄部族地域との間で、季節に応じた移動をしていて、定数が定かでない。

 他に、ハザラ人やシンド人の人口が多い。少数派としてはブラーフィ人、パンジャーブ人やクルド系グループなどが目立つ。8万人弱、とされているアフガニスタンからの難民もいる(難民には、ハザラ人、タジク人、アフガン人などが混在)。

 州の公用語は、バローチ語?。多く用いられる生活言語は、バローチ語、パシュトゥーン語、ハザラ語(ハザラギ)、ブラーフィ語、シンド語。パキスタンの国家指定言語のウルドゥー語?が用いられることも少なくないが、生活言語としての利用は、多くない。


 バローチスタン州は、27の県に区分されている。地域は伝統的に、次のように大別されている。

  • マクラーン地方=南部の沿海地方とその北に隣接するマクラーン沿海山地、中央マクラーン山地?のあたりまで。
  • 北西部のバローチスタン高原=山地、沙漠、ステップ性草原、低湿地などが混在。
    「バローチスタン『高原』」と呼ばれるが、アフガン領南部や、イラン領南東部も含んだ、歴史的バローチスタン広域の内では、盆地に近い地勢になっている。
  • 中央部のクァーラト地方=「中央部」と言っても、州域の東寄り。「州域西部と北東部(スレイマン地方)の間の山地」と思った方が実態に近い。
  • 北東部のスレイマン地方=スレイマン山脈を東縁にして、その西側に密集した山地地帯が主。密集山地とクァーラト地方東縁の中央ブラーフィ山地?の間には、扇状地に近い微傾斜地が、シンド州?の平坦地へ続いている。

 地域の気候は、内陸の山地、高地地帯と、沿海部でかなり異なる。目安としては、中央マクラーン山地の北側と南側で目だって気候が異なるようだ。

 北部の気候は、酷暑の夏と厳寒の冬とに2大別される。降水量も少なく、昼夜の気温差も大きい。

 南部でも、夏の酷暑は変わらず、日中気温が50℃を超える日もある。冬季も温暖で、気温が氷点下を下回る日は、年間で数日ほどしかない。

【参照地図】

 地域では、過去10年間ほど急速に開発が進められた。主に、石油、天然ガスの採掘事業による。非鉄金属の鉱工業も盛んだ。ただし、工業などの現代化が進んでいるのは、現在のところ、ほぼ、州都クェッタの近傍に限定されている。

 鉱工業以外の主要産業は、沿海部の漁業、北東部の農業。ただし、北東部も山地が多く、農業は主に、微傾斜地に集中している。

 山地の山腹や、内陸沙漠地帯の外傍に見られる草原地帯では、牧畜も営まれる。主に、牧畜業は地域のブラフィー人に多く、これに、半定住パシュトゥーン人による移牧も交わる。

 近年、中華人民共和国の援助を受けたパキスタン政府は、沿岸部西方のグワーダルに現代的な港湾を開発。さらに、シンド州のカラチ?にあるカラチ港、カーシム港との間を沿岸ハイウェイで結ぶ計画も進めている。グワーダル港には、パキスタン海軍の新しい施設も設けられる予定だ。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 現行のバローチスタン州の州域は、1952年〜1955年の間、パキスタンの保護国バローチスタン藩王国連合の領域だった。藩王国連合は1955年に廃絶されパキスタンに併合された。この時、併合に反対していた藩王国の議員や閣僚は、進駐したパキスタン軍に拘束された。併合後、旧クァーラト藩王国の王族が反パキスタンの軍事行動を指揮したが、これも間もなく鎮圧された。

 その後も、旧藩王国連合では、自治権を求める運動と、分離独立を求める運動が続けられた。自治権拡大運動はともかく、分離独立運動はもっぱらバローチ人の主張で、パシュトゥーン人ら、他のグループには見られなかったようだ。

 分離独立運動は、1958年頃にバローチ族の部族集団が激しく展開したが、後、パキスタン政府に降伏。1970年代に入ると、分離独立運動が再燃し、1973年〜1976年にピークを迎えた。この後、1978年〜1984年の間、バローチスタン州には戒厳令が布かれ、軍政が続いた。

 2000年頃から、バローチ人グループによる分離独立運動や、反政府活動は、再度激しくなっている。近年は、「バローチスタン州でおこなわれている、石油、天然ガス採掘の利益は、地域に還元されるべきだ」といった主張が、新しいものとして唱えられている。

GM向け参考情報

 「増補待ち」。

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