アナトリア
- アナトリア
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- 活用や検討
PCが予め知ってていい情報
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値=8〜10」
- 簡単な情報 (必要に応じてゲーム前ブリーフィングやブレイクを使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない)
- アナトリア半島は、現トルコ共和国領の93%を占める。
- アナトリア高地は、平均標高1000m前後で、大観すると東高西低の地勢。北部と南部を山脈に縁取られ、それぞれの外縁に幅の狭い平地部を擁している。これら南北の山脈は、標高の割に高地部からの比高が低い。東部が一段高いアルメニア台地?。この台地は、肥沃な三日月地帯?の北縁で交わり、標高と比高の落差の関係から、平地メソポタミア側からはアルメニア山地と呼ばれる。ザカフジエ地方(南カフカス地方)にも連なっている。
- アナトリア高地は、この東部のアルメニア台地と、中部、西部に大別される。中部アナトリア高原を、狭い意味でのアナトリア高原と呼ぶこともある。高原西部は、東西方向に走る幾筋かの渓谷に区切られながら、西に進むほど高度の低い丘陵になり、マルマラ海沿岸部、エーゲ海東岸部の平地部を複雑な地形にしている。
- 小事典版推奨判定
- 「生存+知性 目標値=8〜10」
- 簡単な情報 (必要に応じてゲーム前ブリーフィングやブレイクを使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない)
- アナトリア高地には、西アジアと思えないほどくっきりとした四季の変化がある。3〜5月が春、6〜9月が夏、10〜11月が秋、12〜1月が冬。ただし、季節の移り目の曖昧な時期(日本で言う初春や梅雨など)は、まったくと言っていいほどない。ある日、突然季節が変わる、と言っても大げさではない。
- 夏季と冬季の気温差は大きい。夏は日中温度が40℃を越えることがざらだが、朝夕は高地らしく過ごし易くなる。冬の冷え込みは厳しく−20℃を割り込むこともある。
- 小辞典版推奨判定
- 「軍事+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 チャナッカレ海峡?(ダーダネルス海峡)とボスポラス海峡?とに扼されたマルマラ海は、黒海と地中海を繋ぐ海運の要衝であり、軍事的にも重要拠点である、NATO軍に加盟しているトルコでは、常時監視の目が厳しいはずだ。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 歴史的には、アナトリアの地名は、まず、イオニア地方?に入植したヘレネス?(ポリス時代の古代ギリシア人)が、高地部を指して呼んだ地名で「陽が昇る(土地)」を意味した。つまり、歴史的には、アナトリア半島の方が、拡大転用された用法になっている。
- 東部のアルメニア台地は、アルメニアとの間に歴史問題を抱える現トルコでは、東アナトリア高地と呼ばれることも多いが、アルメニア山地の地名の方が各国で通用している。しかし、普通、アルメニア山地と言うと、現トルコ領外に広がる山域も含まれる。アルメニア台地は、ティグリス川、ユーフラテス川の源流を擁し、考古学では「上部メソポタミア」とも呼ばれる地域にあたる。
- 小辞典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値12〜14」
- 詳しい情報 アナトリア高地の北部、北部山脈と黒海沿岸平地の境界部地中には、東西1000kmとも1200kmとも言われるトランスフォーム断層?がある。この断層は、アナトリア・プレートと黒海プレート?との境界面で、主にアナトリア半島が西南西に移動している運動から横ズレ断層になっている。
- アナトリア北部、黒海南岸を中心に、アナトリア半島で時として大きな地震が起きるのは、この横ズレ断層に蓄積された歪みが、地中の断層面での破砕を引き起こすため。もちろん、1000km超の活断層全域で一斉に地震が起きるわけではない。
- この活断層には、監視網を整備し、常時地震警戒の態勢を整えることが望ましいのだが、現在のところトルコ共和国では、そうした態勢の整備は不充分と目されている。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
補足説明
アナトリア半島は、石器時代からイスラム時代まで、遺跡が満載です。
ヒッタイト人の諸国家、ウラルトゥ王国、フリュギア王国?、リュディア王国?、コマゲネ王国?など、古代史ネタに困るということはありません。
アナトリアの考古研究は、着実に進んでおり、石器時代遺跡も含めて、様々な新知見も蓄積されています。隣接諸地域での考古学研究にも、少なくない刺激を与えています。また、各地の遺跡も急速に観光化が進められているようです。
黒海、エーゲ海、東地中海に面し、ワールド・ワイドな移動ルートに困るということもありません。
カフカス地方と、イラク、シリアとに隣接し、冒険の題材に困ることもありません。
ギリシア、アルメニアと歴史問題を抱え、シリアとの間に国境問題を抱え、クルド系住民の民族問題を抱え、陰謀の題材に困ると言うこともありません。
用途
基本的には、観光化された遺跡を導入や手がかり探索に使い、観光化されてない遺跡や、僻地の人口過疎地帯を派手なアクションや、クライマックスの脅威に使うといいと思います。便利です。
アナトリアから、イラク共和国やカフカス地方など、きな臭い地域に越境するルートにも使えます。
アナトリア域内の人目の多い地域では、シュープリームは一撃離脱作戦を採り、あまり派手なことはしないと、設定することを推奨します。
と言うのは、シュープリームの最大のお得意先である、米国にとり、トルコとの同盟関係は大変得難いものだからです。彼らは、間違ってもトルコ領内で反米感情を刺激するような作戦はたてないでしょう。と言っても、現地で出先部隊が暴走することはあるかもしれません。
逆に、NATO軍所属の米軍に偽装した部隊が、事故と偽装できる範囲でPCチームに仕掛けてくることはあるでしょう。例えば、墜落と装って無人ヘリを突っ込ませてくる。軍用輸送車輌で体当たりをかけて来て、搭乗員は直前に飛び降りる、などです。
- 登場しても唐突でないNPC
- 現地住民、トルコ政府関係者、考古学者や、地震学者、地質学者など、地球物理関係の研究者、観光客、ジャーナリスト、etc。
- 遺跡スポット
- 石器時代遺跡、ヒッタイト遺跡、ウラルトゥ遺跡、フリュギア遺跡、リュディア遺跡、コマゲネ遺跡、カッパドキア遺跡、などなど各地に多数。
地勢
大観
「追加情報」の、推奨判定「情報+知性 目標値10〜12」を参照してください。
域内各地域
アルメニア台地
平均標高1000m内外とされるアナトリア高地ですが、中央高原の平均標高は800m内外。これに対して、アルメニア台地の平均標高は2,500m内外。もっともこれは、アルメニア台地に多数聳える高山の標高も含めての平均標高です。
アルメニア台地は、擁す高山群が隆起した後、火山活動で溶岩性の台地をなした地形です。ですから、山麓の地面自体の標高も高い。こういうわけで、アルメニア高地は東高西低の地勢をなしています。
アナトリア高地側からみると「台地」と呼ばれるこの地域は、メソポタミア地域の平地部からみると、北縁を縁取る山地です。比高と標高の関係から、メソポタミア側からは「アルメニア山地」と呼ばれ、古代は「ウラルトゥ(の山々)」と呼ばれた地域にあたります。
ティグリス川とユーフラテス川との源流を擁し、近年の考古学研究では「上部メソポタミア」、と呼ばれる地域にもあたります。また北東方向では、ザカフジエ地方?(南カフカス地方)にも連なっています。
トルコ領内では、高い山峰を擁す山脈と、河川やヴァン湖をはじめとした高原性の湖水とに区切られた比較的狭い台地があちこちに分散しています。クルド系住民の居住率が圧倒的に高いと目されています。農業就業率は人口の70%と高いが、溶岩性の台地と乾燥気候は農耕に適さず、平均所得はトルコ平均の半分以下と低くなっています。
トルコ政府は、1980年代から南東部アナトリア開発計画に取り組み、この地域での灌漑農耕地を増大させる計画に取り組んでいます。
20世紀の後半までは、大地主が地方小領主のような権力を持ち、なかには私兵団まで持つ者もいたそうですが、急速に観光化と近代化が浸透する内に、こうした旧家の影響力は失われてきているようです。
古代ウラルトゥ王国など古代遺跡が多数存在。
中央高原
狭義にアナトリア高原と呼ばれる地域です。
現、トルコ首都のアンカラ?を擁し、南寄りのコンヤ平原?を縁取るように、比高の低い山々が入り組んでいます。高原と聞いて、日本語のセンスで連想されるような平坦な台地ではありません。
強いて言えば、北部にアンカラ?、南部にコンヤ?市を擁すコンヤ平原が高原らしい平坦地になっています。
乾燥性のステップ気候で、南北を縁取る山地を除くと樹林はまれ。草地が優勢です。夏の日中は気温40℃を越え、冬は−20℃を割り込むこともあるという厳しい環境です。小麦や大麦の栽培が盛んです。牧畜との混合農業も見られます。
塩湖であるトゥズギョル湖?は、夏には干上がり一面に塩の結晶が層を成すことで知られています。
ヒッタイト国家の遺跡や、カッパドキア?地方の古代遺跡が存在。
アンカラには政府の肝いりで、各国の支援も受けた「アナトリア文明博物館」が開設されています。
アナトリア高地西部
中央高原の延長上で、西に向かうほど標高が低くなりますが、エーゲ海やマルマラ海に注ぎ込む河川が、主に東西に走る渓谷を多数刻みます。
西にいくほど渓谷に区切られ、高原と呼ぶのが相応しくない地形になっていきます。
黒海沿岸部
高地北部を縁取る山脈は山林を擁し、特に黒海川の北斜面では森林が海岸線まで張り出しています。
標高の関係と黒海の影響とで、冬も湿潤で比較的温暖です。
旧ソ連崩壊後、近隣の旧共産国から、食料など、生活物資の買い出しに訪れる人々が増えているそうです。
ビザンツ時代の遺跡が多数存在。
マルマラ海沿岸部
気候は温暖かつ湿潤。緑も豊です。
黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡、チャナッカレ海峡(ダーダネルス海峡)を擁しており、経済的にも軍事的に重要な地域です。常時監視と管理の目は厳しいはずです。
ヨーロッパ側の対岸に、イスタンブール?が位置します。
エーゲ海沿岸部
古代イオニア地方の陸地部にあたる地域です。
環境は地中海性気候。夏の猛暑は高地とさほど変わりませんが、冬の冷え込みは、10℃前後です。麦類と果実類、地中海的な農耕が盛ん。
第1次世界大戦の戦後処理で、島嶼部はすべてギリシア領になりました。海岸から少し漕ぎ出せばもうギリシア領海という、かなり不自然な国境設定になっています。
イリオン(トロヤ)の遺跡他、イオニア系ギリシア・ポリス、ローマ時代の遺跡が多数存在。
東地中海沿岸部
西のアンタルヤ?地方と、東のイチェル?県方面に大別され、それぞれが狭い平地をなしています。両地方の間は、タウロス山脈が沿岸部まで張り出しており、平地らしい平地はありません。
山地の南斜面では、山林が密生しています。
気候は地中海性気候。もっとも、イチェル県方面は、よく「(現)トルコ領で最も暑い地域」と言われます。
ヘレニズム国家、ローマ時代の遺跡が多数存在。
交通路
域外との交通
首都アンカラの40kmほどに位置する国際空港が、メインのスカイ・ゲートになります。
他に、エーゲ海沿岸部のイズミール、東地中海沿岸のアンタルヤ、イチェルにも国際空港があります。
黒海、マルマラ海、エーゲ海、東地中海の各沿岸部には港湾都市が多く、国際便のフェリーなども周航。
陸路は、東部で、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン飛び地、イラン、イラク、シリア・アラブ共和国?がそれぞれにトルコ共和国との国境を接しています。
アルメニア、イラン、イラク、シリアとの間には、国際鉄路、国際自動車道が敷設されています。
2005年現在、イラク国境線は、現在警戒が厳重、と想定しておきます。特別な許可の無い人物や貨物は出入国不可、と設定しておきましょう。
域内交通路
高原とは言っても、渓谷や湖水、山地の多い地域です。域内の各地域ごとに1、2の国内線空港が、主要都市の近傍に位置しています。
陸路は鉄道路線と自動車道が、ほぼ重なるように敷設されています。
複雑なネットワークをなしていますが、次のように大観するといういでしょう。
以下では、原則として、鉄道網と、それにほぼ重なるような主要自動車路とを一括して大観します。
自動車道は他にもルートはあるのですが、ここでは割愛します。
まず、中央高原の平地部を取り巻くように、首都アンカラと南の要都コンヤを経由する環状線が存在します。
この環状線からは、黒海沿岸部、マルマラ海沿岸部、エーゲ海沿岸部に伸びる連絡線が四方に伸びています。
地中海沿岸西部のアンタルヤ方面には、自動車道は伸びているものの、鉄路は敷設されていないようです。地中海沿岸東部のイチェル方面には、自動車道、鉄路ともに伸びています。
また、中部高原の環状線からは、アルメニア台地の中央東寄りで、山地の裾を縫うように鉄路と自動車道が伸びています。
この鉄路の途中からは、北山脈を越え、黒海沿岸部東部に至る支線が分岐しています。
さらに、中部高原の環状線の南東端からは、地中海沿岸東部のイチェル県方面に至る支線が延び、タウロス山脈のキリキア門?を経た後、イスケンデル湾沿岸に至っています。この路線は、シリア北部の商都アレッポ?(ハラブ)に至る国際鉄路に連絡しています。
古代史などとの関わり
ここでは割愛させてもらって、各、遺跡関係の記事などに譲ることにします。
略史(時代区分はこの場での便宜的なもの)
【石器時代】
- B.C.8000年頃には、農耕文化が伝播し定着していた。現在、この農耕文化は、シリア・パレスティナ地方から、初期形態のものが伝播した、とみなされることが多い。
【銅石器時代】
- B.C.6000年頃、中東部の山地地帯で、銅鉱石から銅の精練がはじめられた。西アジアで青銅が開発される以前に、砒素銅を用いた銅器の実用がはじまった地域の1つとして注目されている。
【鉄器時代】
- B.C.2000年頃、鉄器文化を活用したヒッタイト国家が成立。鉄器の実用は、ヒッタイトに先行した現住勢力ハッティ人が実用化していたと目されている。この技術を、国家的な産業と言えるレベルで管理する体制を築いたのがヒッタイト国家である。
ヒッタイトの後は、フィリュギア王国や、ウラルトゥ王国、リュディア王国が成立。これらの国家や以降の歴史については、それぞれの項目に譲りたい。
トピック:アナトリア地域の歴史的異同
B.C.1000年頃、エーゲ海西岸に入植した古代ギリシア人(ヘレネス)の一派が、高原部を指して「陽が昇る(土地)」を意味するアナトリアと呼びはじめた。ヒッタイト側の記録では、エーゲ海沿岸部に渡来した「アルザワ(人)」についての記述がみられるが、このアルザワと後のヘレネスとの関連については未だ諸説あり、未解明の点が多い。
ちなみに、移入したヘレネスの一派は、言語系統に基づいた自分たちの帰属意識を、神話的伝承で表現し「イオニア人」と自称した。この民族自称から生じた地名が、古代イオニア地方。
ヘレネスはアナトリア高原部を「アジア」とも呼ぶようになった(当初「アジア」は、エーゲ海西岸部のみを指していた)が、イオニア地方の地域名が定着。ヘレネスたちの地理的知識が増えるに連れて、「アジア」が指す範囲は拡大していった。アナトリア高原を指して、「小アジア(Asia Mainor)」と呼ぶ用法がアナトリアと併用されるようになった。
紀元前2世紀頃、アナトリア一帯を制圧した古代ローマは、同地を「テマ・アナトリア(東方領土)」と呼び、後に属州小アジアなどに編成。古代ローマ国家は、支配領域を広げるに連れ、東方を「陽が昇る(土地)」=「オリエント」と呼ぶようになったが、こちらは、漠然とメソポタミアやエジプトまでも含む「東方世界」全般が意味された。
ローマ帝国では、行政的には、「属州小アジア」の名が正称となったが、この領域はアナトリア半島の一部を指すものだった。こうして、地域名としてのアナトリアが、ほぼ現在と同じ意味で併用されるようになったと思われる。この用法が現在にまで伝わっているのが、アナトリア(アナドル)である。
その後、ローマ帝国が東西に分割されると、アナトリアは、東ローマ帝国の主要部分となる。
11世紀頃から、チュルク系の部族が移住を開始。15〜16世紀頃には、オスマン・トルコ帝国首都のイスタンブールと中東各地を結ぶ交通ルートの通過地として繁栄した。
トピック:アナトリアの成り立ち
アナトリア半島、及びアナトリア高原の地勢は、アルプス・ヒマラヤ造山運動の影響で形成された。
アララト山など東部の火山(現在は死火山)が活動し、溶岩性の台地が形成されたのは、東方から西へ陸塊を推す力が作用し、大きく隆起した結果と考えられている。
別称類
主要国の言語
- 英語表記=Anatolia
- フランス語表記=Anatolie
- スペイン語表記=Anatolia
- ロシア語表記=Азия
- アラビア語名の音=(調査中)
- 中文表記=安那托利亞
その他
- トルコ語名=アナドル
活用や検討
活用
重要な改訂の情報
- 内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。
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検討
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