ニース
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保養地として有名なニース市だが、コート・ダジュール地域の商工業のセンターでもある。
マリティーム・アルプスの山中から流出したヴァール川?河口部から遠くない。市域は、下流域の東方にあるが、都市化したエリアは沿岸部でヴァール川左岸まで続いている。
マルセイユの概ね東北東、トゥーロンの北東やや南寄り、カンヌ?の概ね北東にあたる。地図上の直線距離は、マルセイユから160km弱ほど、トゥーロンから125kmほど、カンヌから20kmほど。
モナコの概ね西南西にあたり、地図上の直線距離は20kmほど。
市域の面積は、71.92平方km。居住人口は、35万人弱(2004年)。2005年1月の時点で、フランスで人口第5位の都市になった。
市域を、パイヨン川が概ね南流で貫流。左岸が旧市街と港湾、右岸が新市街。新市街で、沿岸部に沿った遊歩道(ザングレ通り?)の南側が海水浴場も兼ねたビーチ。市域は、南傾の傾斜面を占めていて、高度は0m〜520mだが、平均では海抜10m内外。
地中海性の気候帯に属し、夏季は暑く乾燥するが、冬季は温和。降水は冬季に多いが、まばら。降雪は、大変マレで、概ね数年置きくらい。時として、強風が吹くのが特徴で、とくに春先に強い風が多い。
ニース港にはコルス島との間などを結ぶフェリー便や貨物船がが就航している。
- 【参照地図】
都市及び周辺の住民が現在のように増えたのは、19世紀後半頃からのこと。この時期に人口は2倍ほどに倍増したが、主に、イタリアからの移民によった、とされている。
第1次世界大戦?後、ニースは新たな移民のピークを迎え、人口はさらに増加。1921年にはフランスで第11位の都市になり、1931年には8位の都市になった。
この時期は、コート・ダジュールにU.S.A.(合衆国)からの観光客が大挙して訪れるブームの時期だったため、移民労働力で、観光業や工業が発展した。
現在のように、フランス第5位の人口を擁すまでになるのは、第2次世界大戦?後の1950年代から、再度人口増加期を迎えた結果になっている。この時期の人口増加は、主に、旧フランス植民地各地からの帰還者の移住による。特にアルジェリアからの帰還者が多かった。
1970年代から現在までは、急激な人口増は起きていなかった。近年は、あるいは新たな人口増加期に入ったかもしれない、と言われている。
1970年代以降は、概ね自然増で人口が増えてきている。ただ、ニース市の移民比率を、フランスの他の都市と比較すると、現在でも若干高い、とは言われてる。
このように人口が増加している地域だが、人口構成の高年齢化が懸念されているようだ。
ニースは、フランスでは、パリ?に次いで、国際的な商取引が多くおこなわれる商業センターだ。ニース港からは、各国との貿易品が多量に輸出入されている。ことに建築資材の比率が高い。
市域の内外には、コンピュータ関連産業多数の企業街が形成されている。多くのオフィス街は、ヴァルボネン地区?(Valbonne)にあり、1970年代から1980年代前半にかけて、多数の企業が誘致された。また、ソフト・ウェア産業が積極的に誘致された、ソフィア・アンティポリス地区も、アンティベス?の北西に位置している。
もちろん、観光業や付随したサービス産業も、ニース市及び周辺の重要な産業だ。ホテルの数はたいへんに多い。
さらに詳しい情報
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- 地域でのヒトの活動痕跡は、およそ40万年前まで跡付けることができる、とされている。
例えば、ニース市近傍のテラ・アマタ遺跡?が、末期旧石器文化の遺跡になっている。 - 後のニース市の前身となる古代都市ニカイアは、マルセイユから移住してきたギリシア系の移住団により創建された。紀元前5世紀頃のこととされるが、あるいは前4世紀半ばにまで遡るかもしれない。
古代の伝承によれば、地域に先住していたリグリア人?に勝利したことを記念して、入植団が勝利の女神ニケ?にちなんだ都市名を付けた、と言う。 - 古代ニカイアは地域で重要な交易センターとして栄えた。近傍に位置したラテン系の古代都市セメネルム(Cemenelum)とはライバル関係にあったが、競い合うように共存していたようだ。セメネルムは現在、ニース市に含まれているシミーズ地区?の位置にあった。
- 紀元前4世紀頃、ケルト系ガリア人の移住が増えたが、ニカイアやセメルムでは、先住者が主導した商業活動が根強く続いた。
- B.C.154年、共和制古代ローマに占領される。後、属州ガリア・トランサルピナの1部として併合。
- カソリックでの教会伝承では、使徒の聖パウロに送り出された使徒、聖バルナバが。古代ニカイアにキリスト教の福音を伝えた、とされている。
- 4世紀初頭、遅くともこの頃には、属州ガリア・ネルボネンシスのニカイア教区が設けられていた。
- 6世紀頃、ゲルマン系ランゴバルド族?の侵出に脅かされ、セメルムはニカイアと一体化していった。あるいはこの頃から現地名はオック語のニッサに移ったか(?)。
- 7世紀、ニッサは、近傍のリグリア?などと共に、ジェノヴァとの同盟に参加。
- 729年、アラブ・イスラム勢力(サラセン軍)の侵攻に脅かされるが撃退。
- 859年、アラブ・イスラム勢の攻撃に被害を被る。880年、再度アラブ勢の攻撃で都市炎上。
- ニッサは10世紀の間は政治的活力を失い、地域を支配する勢力に従属的になった。
後、フランス王朝と神聖ローマ皇帝とに両属。概ねは、都市国家ピサの同盟者として、都市国家ジェノヴァと対立する情勢が続く。 - 13世紀から14世紀にかけ、数回プロヴァンス公爵家に占領された。
- 1338年、都市評議会(コミューン)が組織された。コミューンの組織には、サヴォイア伯の支援を受けた。以降19世紀半ばまでニッサはサヴォイアの政治的影響力に強く拘束される。
- 1561年、サヴィア公エマヌエーレ・フィリベルト、ニッツァの公用語をイタリア語と定め、ラテン語の使用を廃棄。
- 1543年、ヴァロア朝のフランソワ1世とバルバロス・ハイレディンの連合軍がニッツァを攻撃。ハイレディンは、2,500人の捕囚を連れ去った。
- 1600年、短期間ギーズ公に占領された。
- 1626年、ニッサの富商(都市貴族)たちは、港湾にあらゆる国家の船舶を受けいれると決定、前後して自由通商の方針も打ち出す。この政策がきっかけとなり、交易センターとしての重要度を増した。
- 1691年フランス軍に占領され、16969年サヴォイア軍に再占領される。1705年には、再度フランスに占領された。
- 1713年、締結されたユトレヒト条約?でニッサは再度サヴォイア領に。
この後、現在の「新市街」が形成されていった。 - 1744年〜1748年の間、たびたび、フランスとスペインとが交互に占領。
- 1755年、サルディニア王が都市評議会などを廃止。
- 1792年、共和制フランス軍が占領。
以降、フランスの政治体制はたびたび変化したが、1815年にサルディア王国に割譲されるまでニースは、フランスへの帰属を続けた。 - 1815年、締結されたパリ条約でニースはサヴォイア公国に割譲。
その後サルディニア王国に占領されたが、1860年、イタリア王国成立をフランスに承認してもらう代償にニースは再度フランスに割譲された。
以降、フランス領として現在に至る。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど
参照地図
- Provence-Alpes-Cote d’Azur(FRANCE,EUROPA - Gateway of the European Union)
- Nice, France Page
Airport COTE D AZUR
(Directory of Cities, Towns, and Regions in France,World Index) - Nice(FRANCE,World City Database)
- Nice City 地図
Antibes 地図
(プロバンス 地図,Super Travel Net) - Map of Nice(Nice: Overview,Lonely Planet)
- Nice Google Satellite Map
おそらくニース郡の領域か(?)
(Alpes-Maritimes Google Satellite Map,maplandia)
補足情報
ニース関連の著名人
- 聖バルナバ=『新約聖書』の『使徒行伝』に名が記された、半ば伝説的な初期キリスト教の宗教者。後世使徒の1人に数えられ、カソリックで列聖された。
キプロス生まれのユダヤ人ヘレニストだった。ユダヤ教から回心したパウロに進んで従い、パウロを保護してタルソスへ移送。パウロの第1回の宣教旅行に同行し、キプロスから小アジア?を巡った。第2回宣教旅行の際に、同行者を巡ってパウロと議論。結局、バルナバは同行せずにキプロスへ赴いた、というのが『使徒行伝』から読みとれる出来事。 - ジュゼッペ・ガリバルディ=1807年、ニース生まれ。イタリア独立闘争で、民兵団(義勇軍)を組織して参戦した軍事家。俗に「リソルジメント(イタリア統一)の3英雄」の1人に数えられる。イタリアでは国民的英雄。1882年、カプレーラ島?で死去。
別称類
主要国の言語
- フランス語名=Nice
- スペイン語名=Niza
- 英語表記=Nice
- アラビア語名=(調査中)
- ロシア語表記=Ницца
- 中国語表記=尼斯
その他
リンク
関連項目
- アルプ=マリティーム県?
- コート・ダジュール
- プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
資料リンク
- Wikitravel英語版:Nice(Wikitravel英語版:Provence-Alpes-Côte d'Azur)
- Nice: Overview(Lonely Planet)
- Nice Travel Guide(France Travel Guide,World66)
- ニース(フランス政府観光局)
日本語サイトの日本語コンテンツ。 - Wikipedia英語版:Nice
Wikipedia英語版:Alpes-Maritimes
Wikipedia英語版:Diocese_of_Nice - Wikimedia Commons:Nice
(ニース関連のファイル集アーガイブ) - Office du et des Congres de Nice Cote d'Azur
ニースのオフィシャルな観光案内サイト。多言語サイトで英語表示も選択できる。
活用や検討
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参照:[ヨーロッパ州のランド・マーク] [モナコ公国の有用地図集] [コート・ダジュール]