セベクネフェル
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セベクネフェルは、王朝の先代であるアメンエムハト4世の死後、ファラオとして統治した。
古王国時代?の第6王朝?でニトクリス?が女性ファラオとして即位したかもしれないが、こちらは定かでない。
トリノ・パピルス?によれば、セベクネフェルは、3年10ヵ月と24日間、ファラオとして統治した、とされている。
セベクネフェルと同時代の古代記録は、アメンエムハト4世と共にあまり多くない。そのため、統治期間についても議論が多い。紀元前19世紀の末頃とするのが有力説だが、紀元前18世紀の始め頃とする説も少なく無い。例えば、B.C.1806年〜B.C.1802年とも、B.C.1785年〜B.C.1782年とも言われる。他に、B.C.1763年頃〜B.C.1759年頃とする説もある。
セベクネフェルが女性ファラオになった経緯も、よくわかっていない。マネトーの、『エジプト誌』によれば、セベクネフェルはアメンエムハト3世の娘だったと伝えられている。あるいは、アメンエムハト4世と聖婚をした姉妹だったのかもしれない。
古代エジプト王朝の聖婚の伝統を考えると、この推測は、可能性が高い。しかし、セベクネフェルが、アメンエムハト4世の妃だったことを証拠立てる古代碑文類は、現在までのところ知られていない。
現在ブリティッシュ・ミュージアムに収蔵されている、封印用の石製印章に、セベクネフェルの王名が刻まれた物がある。また、ヌビア地方で発掘された碑文に、セベクネフェルの統治3年目の記年が刻まれた物も知られている。
古代の歴史伝承を信じるならば、セベクネフェルは、ハワラ?の建てられていたアメンエムハト3世の葬祭殿を増築させた、と言う。ヘラクレオポリス・マグナでもアメンエムハト3世の宗教建築を増築させたようだ。
こうした事情から、セベクネフェルは、アメンエムハト4世の異母姉妹で、聖婚はしていなかったのだろう、との推測も唱えられている。と、言うのは、現在知られている数の多くない同時代文書では、セベクネフェルは「ファラオの娘」を称していて、「ファラオの姉妹」や「女王」を称している例が知られていないからだ。
セベクネフェルの埋葬地は、現在までのところ確定されていない。可能性の低くない候補地として、マズグハナ(Mazghuna)に遺っているピラミッド址を挙げる研究者もいる。
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「増補待ち」。
別称類
- 日本語別表記=ソベクネフェルとも。
あるいは、ネフェルセベク、ネフェルソベクとも。
主要国の言語
- アラビア語名の音=(調査中)
- 英語表記=Sobekneferu
- フランス語表記=N?f?rousobek
- スペイン語表記=(調査中)
- ロシア語表記=Нефрусебек
- 中国語表記=(調査中)
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参照:[アメンエムハト4世] [小辞典ワールド編] [アメンエムハト3世] [歴史上の実在人物]