ヴィクスの墳墓
追加情報
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 「ヴィクスの墳墓」は、1953年に発見されたケルト文化の石室墓?。紀元前6世紀末の墳墓と鑑定されており、ハルシュタット期?の後期にあたる遺構。
- 作りは、典型的な「ケルト首長の墳墓?」タイプで、石室墓の内部は盗掘などの害を被っていない状態で発掘された。
- 実は、同墳墓から5km内外の近辺では、19世紀にケルト首長の墳墓が4基発見されていた。ただし、これらの墳墓や、収拾された遺物については、当時の発掘方法が未整備だったため、不充分な記録しか残っていない。
- 1953年に「ヴィクスの墳墓」から発掘された出土遺物は、現在、シャティヨン・シュル・セーヌ市の市立博物館にて収蔵されている。
- (遺跡現地の石室墓跡は、埋め戻されていると、想定しておく)
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」「情報+知性 目標値14以上」
- 詳しい情報 1953年に発掘された「ヴィクスの墳墓」の墓室は3m四方ほど。収拾されたのは、あまり状態のよくない女性遺体が1体、いくつかの装身具、4輪車の残骸、青銅のボウル、盃など多数の飲料器具。
- 4輪車の車体を棺台として使い、その上に遺体が安置されていた。車輪は、外して墓室内の側壁に立てかけられていた。
- 木製の棺台(車体)が腐食して崩壊したため、発掘時には、遺骨は4散していた。ただし、頭蓋骨は完璧な状態で遺り、複顔された。(⇒ヴィクスの女王)
- 19世紀から発見された近傍の墳墓も含めた5基の墳墓は、いずれも、近くのモン・ラソワにあった、と記録されているケルト首長の城砦に関連したもの、と推測されている。
- ただし、モン・ラソワにあったという城砦址も、現代的な調査法が確立する前に遺跡自体が損なわれてしまったため、詳細はわかっていない。
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値14以上」
- 専門的知識 ヴィクスの墳墓出土の有名な遺物は、重量480kgの黄金の首飾りと、「ヴィクスのクラテル」と通称される、高さ1.64mと大きい青銅製混酒器(クラテル)。
- 「ヴィクスのクラテル」は、地中海沿岸地域からの輸入品と鑑定されており、現存するクラテルでは最大の物。当時、ブドウは、まだアルプス以北では栽培されていなかった。ワインも高価な輸入品だったので、「アッテイカの壷」を使って催されたであろう酒宴は、大変な贅沢だっただろうと想像される。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
「ヴィクスの女王」については、ルールブック、限定情報のp.431に数行の記述があります。
主な出土物
- ヴィクスの女王
- 「ヴィクスの女王」は通称で、その素性については諸説あり、定かではない。研究者は「ヴィクスの貴婦人」と呼ぶ。
- ケルト部族の族王(首長)に、姫がいた例は知られるが、一般にケルト文化では、女性が高い政治的地位を占めることは極めて例外的だった。
- ヴィクスの墳墓の作り、埋葬遺体が1体であること、豪華な副葬品あどから、“女王”が身分の高い女性だったことは間違いがない。しかし、その素性について解明する手がかりは、あまりに少ない。
- ヴィクスのクラテル
- ヴィクスの墳墓から出土した、青銅製クラテル(混酒器)。現存するクラテルでは最大の物。
- 青銅の成分分析により、イタリア半島?南部のギリシア植民市か、スパルタ?で作られた物と分析された。長距離交易で輸入された品と思われる。
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[アーティファクツやオーパーツ・ソース] [遺跡] [ヴィクスのクラテル] [ヴィクスの女王] [エジプト誌] [ヴィクス]