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アクロポリス

アクロポリス (Acropolis)

PCが予め知ってていい情報

 「アクロポリス」は、古代ギリシア?のポリス?の多くで、都市中核部に位置するよう、都市プランが意図された小高い丘を指す総称。通例、ポリスの祭神を祀る神殿、及び、所縁の神々の聖廟などが設けられた。

 アテネ?のアクロポリスがあまりに有名だが、多くのポリスに設けられていた。

追加情報

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「歴史+知性 目標値10」
やや詳しい情報 ポリス時代、多くのポリスでは、アクロポリスの麓にアゴラ(公共広場)が設けられ、初期には、アゴラ周辺の居住区がアステュと呼ばれていた。
 古代ギリシアのポリスは、発展するに連れ、アクロポリスとアゴラとを含んだ区域が、ポリス共同体のための公共区画へと推移。神殿、劇場、集会場などが建造されるのが典型的な発展コースだったと目されている。
 現在知られる典型的アクロポリスの景観は、このように発展したもの。アテネ?のアクロポリスは有名だが、同様に大規模なアクロポリスとしては、シラクザ?のアクロポリス(シチリア島?)、キュレーネのアクロポリス(キレナイカ地方)がある。
 多くのアクロポリスは、ポリスの発展と関連して変化しているので、アゴラ、ネクロポリス(墓域)と並んで、考古調査の重要なスポットになっている。遺構も多く、考古遺物の出土も多い。
 一方で、古代コリントス?市のアクロコリントスのように、ポリスが発展した後も、小山の天然の景観が留め置かれた例もある。

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「言語+知性 目標値12」
詳しい情報 古代ギリシア語で「高い」を意味する「アクロス」、あるいは「突端、山頂、岬」などを意味した「アクロン」と「ポリス」とからなる単語。いわゆる古典期?には、都市国家やその社会体制を意味するようになっていた「ポリス」も、古くは「丘」を意味した。「アクロポリス」も原義としては「小高い丘」を意味し、多くの場合「丘の砦」が含意された。
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「歴史+知性 目標値12」
詳しい情報 古代アテネ?の伝承では、アテネのアクロポリスはエレクテウス?などの諸王の居城だったものが、貴族制時代を経て、古代民主制に移行する過程でポリスの公教領域に変化したかに伝えられている。
 この伝承をどこまで信用するかは、アテネ及び、ポリス発生の歴史解明に関って議論もある。ただ、考古学的にもアテネのアクロポリスの地点からは、新石器時代に溯る集落址と防壁跡、ミュケーネ時代?の王城(?)と城壁跡とが発掘されている。

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「歴史+知性 目標値14」
専門的知識 ミュケーネ時代?、諸王国のアクロポリスにあたる区域は、王城と付随する施設との複合建築群が設けられていた。初期のアクロポリスとポリスとについての議論は、このミュケーネ時代の王城が連続してヘレネス?に継承されたのか、それとも全く別の用途に転用されたのか、についてが主論点になっている。この議論は、ヘレネスの歴史伝承に言う「古い時代の王制」が実際はどのようなものだったか? という研究テーマとも関っている。
 少なくとも、ミュケーネ諸国で、丘の上に築かれた王城は、都市ではなかった(この件については、ミュケーネ発掘の初期に唱えられた都市説が、未だに一人歩きしていることもある)。現在、古いポリスは、その初期に後にアクロポリスとなる場所が、防御性の高い高地拠点として利用され、集住地に選ばれた、という点は、研究者の間で大筋の合意がなされている。
 あるいは、古くは「アクロポリス」が集住共同体の社会体制も指していたが、ポリスが成立、発展するに連れ、「ポリスの公共区画」と言った意味に転じていった、とも言われる。
 紀元前8世紀頃から、親ポリスから出た移住団が新たに子ポリスを建設することが盛んになると、建設当初からアクロポリスが公教区画、兼、防衛拠点として構築されるようになっていた。

GM向け参考情報

 アテネのアクロポリスは、その頂部が標高500mほどで、区画面積は270m×150mほど。アゴラ周辺まで含めた領域は、(調査中)

 シラクザのアクロポリスは、(調査中)

 キュレーネのアクロポリスは、標高600mほどで、市域面積はおよそ1400m×500mほど(不整形だし、時代によって異なる)。「アポロンの神域」区画は、概ね180m×180mほど。

活用や検討

活用

検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

更新日時:2005/11/22 19:54:31
キーワード:
参照:[考古学、歴史研究の関連用語] [遺跡] [アポロニアの遺跡] [キュレーネの遺跡]
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