プロヴァンス地方
- プロヴァンス地方 プロヴァンスちほう (簡易版)
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「プロヴァンス地方」 は、現フランス領の大陸部で、南東を占めている1角を指す歴史的地域名。地中海に面している。
中核部分は、ローヌ川?の左岸でデュランス川?の左岸。現在の行政区で言うと、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の概ねが含まれる。
文化的な面から、アルデシュ県?、ドローム県?の南部と、ガール県?東部も含められることもある。
- 【参照地図】
- 現行のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏行政区の領域(Wikimedia Commons)
やや詳しい情報
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プロヴァンス地方は地中海に面し、海岸線も長いが、内陸には高い山が多い。ローヌ川?が北方内陸と、デュランス?川がアルプス方面との交通路として、古くから用いられていた。
沿海部にもローヌ水系河口部のデルタや、旧い潟湖(ラグーン)が湖沼になった地域など、環境にバラエティーが豊富。
気候は地中海性気候の強い影響下にある。夏は暑く乾燥するが、高度に応じた気温の差は小さくない。冬は、沿岸部では穏やか。東部のローヌ川流域も湿潤だが、北部では高度に応じた気候差が大きくなり、冷え込みも厳しい。
冬季にアルプスからの北風ミストラルが吹くと、気温が下がり乾燥する。夏季に、サハラ砂漠からの熱風シロッコが、地中海を越えてくると、蒸し暑くなる。
「プロヴァンス地方」は、フランス革命以前、フランス王国で設定されていた旧い州の地域に、概ね近い。さらに遡ると、15世紀末頃、フランス王国に併合されたプロヴァンス伯爵領が、ルーツになっている。
地名は、古代ローマの共和制時代から、元老院属州としてプロウィンキア(Provincia)が設けられていたことに由来している。
文化面では、オク語系統のプロヴァンス語?が用いられていた地域で、広い意味のラング・ドック地域の1部になる。
- 【参照地図】
- 1461年頃の地域地図(Wikimedia Commons)
“Provence”(プロヴァンス伯領)は薄色で彩色されている。ローヌ川?左岸で一部デュランス川?右岸に及んでいた。 - 1世紀半ばの西方ローマ領部分(Wikimedia Commons)
地図中“NARBONENSIS”とあるのが、属州ナルボネンシス。
プロヴァンス地方では、旧石器時代からヒトの活動痕跡が確認されている。例えばコート・ダジュール地方?では、90万年前とされる遺跡も確認されている。新石器文化に近い中石器の遺跡だと、2万7千年前〜1万9千年前にかけてのものが散在。
完全な新石器時代の遺跡は、紀元前6千年頃とされる遺跡がマルセイユ近傍から発掘されている。青銅器時代に築かれたドルメン?も知られている。
GM向け参考情報
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補足情報
- プロヴァンス地方の著名人
- ナポリ王国女王ジョアン1世=アンジュー家のヨアンナ(Joanna of Anjou)。1328年生〜1382年没。
カラブリア公爵家の家系に生まれる。1334年、7歳で、同じアンジュー家のカラブリア公子エンドレと婚約。1343年、祖父のナポリ王位を継承しナポリ女王に。1343年以降、エルサレム王国、及びシチリア島?の女王。1373年〜1381年、アカイア公国公女。他に、 プロヴァンス伯(女性伯爵)、マリョルカ王国王妃、だったこともある。
別称類
主要国の言語
- フランス語名=La Provence
- 英語名=Provence
- スペイン語名=Provenza
- アラビア語名の音=(調査中)
- ロシア語表記=Прованс
- 中国語表記=普〓旺斯
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その他
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参照:[中央山塊,フランスの〜] [ヨーロッパ州のランド・マーク] [小辞典ワールド編] [トゥールーズ] [ランド・マーク]