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ヴィクトリア湖,アフリカの〜

ヴィクトリア湖,アフリカの〜 アフリカのヴィクトリアこ 簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語名Lake Victoria(レィク・ヴィクトゥリア)

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 ヴィクトリア湖(レィク・ヴィクトゥリア)は、東アフリカ地域の南部内陸で、ウガンダ共和国(リェパブリク・オブ・ユギャンダァ)ケニア共和国(リェパブリク・オブ・ケンィヤ)タンザニア連合共和国(ユナィテド・リェパブリク・オブ・タンザニィア)、3国の国境部に広がっている湖。

 アフリカ5大湖?の1つで、湖面面積はアフリカ最大。ワールド・ワイドに見ても、世界第3位の湖面面積で、ナイル水系?の主要水源の1つ。

 地名は、U.K.(連合王国)のヴィクトリア女王?の名にちなんだもの。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ヴィクトリア湖(レィク・ヴィクトゥリア)は、東西幅の最長部が322kmほど、南北幅の最長部が、402kmほど。湖面面積は、68,800平方kmほど。

 ナイル水系?に属す白ナイルの主要な水源の1つ。湖面標高は、1,134m。

 平均深度40mほど、最深部で84mと、湖面の広さの割りには、比較的浅い。

 グレート・リフト・バレー(大地溝帯)に属す渓谷に囲まれた、広い隆起地の内に窪んでいるのがヴィクトリア湖。湖と周辺の土地は、西で西リフト・バレー(ウェスタン・リフト・ヴェァレィ)に、東で東リフト・バレー(イィスタン・リフト・ヴェァレイ)に挟まれ、南方には、東西のリフト・バレーの接合部が位置。大まかには、北を上として、Yの字状に断続した渓谷に囲まれている。

 渓谷に囲まれていないのは、北方のみ。大小の河川によって周囲から流入した湖水は、唯一の流出路が開けた北部から、ヴィクトリア・ナイル(ヴィクトゥリア・ナイル)?として流出していく。


 ヴィクトリア湖の周辺は、アフリカでは、最も人口密度が高い地域の1つだ。

周辺の主要都市
 ヴィクトリア湖の周辺には、人口の集住地が多く、都市も多い。
ウガンダ領 首都カンパラ(湖岸北北西に隣接)
ケニア領 キスム(湖北東部に突出した小湾の北に面す)
タンザニア領 ムワンザ(湖岸南部に隣接)、ゲイタ(湖の南西部に近接し、湖に流入していく地方河川に面す)

 湖に面した諸都市、港湾の間で国境を越えた水運は盛ん。20世紀初頭から、蒸気船の往来があった。

 主要な港湾としては、ジンジャ、ポート・ベル(ウガンダ)、エンテベ、キスム(ケニア)、ブコバ、ムワンザ(タンザニア)、がある。

 ヴィクトリア・ナイルの流出口の付近に面した、ウガンダのジンジャ近傍ではナルバール・ダム?に敷設された水力発電所が稼働中。この場所には、かつては、自然石の堆積がダムに似た地形をなしていた。1954年に、U.K.の殖民地当局が最初のダムを建造。2002年にウガンダ政府は、世界銀行からの融資を受けて、第2のダムと水力発電施設を完成させた。

 2003年以降、2006年までの間に、ヴィクトリア湖の湖面水位は1.2mほど低下。これは、ウガンダ当局が、発電のために、事前の申し合わせの数倍にあたる水量を放水しているため、との非難が、ケニアなどであげられている。


 湖水、及び流入河川は、水源として、あるいは、漁業の場として、周辺に住む数百万の人びとの生活を支えてきている。しかし、近年、流入河川も含めた周辺での森林伐採や水質汚濁で、環境は悪化してきている。

 他に、漁業振興を目的として放流された外来種の魚が、旧来の生態系に大きなダメージを与え、環境問題、生活問題、経済問題を招いている。

 この外来種は、1950年代半ばに放流されたスズキ科のナイル・パーチと、シクリッド科(カワスズメ科)のナイル・テラピア(ナイル・ティラピア)だ。肉食のナイル・パーチと雑食のナイル・テラピアは、ヴィクトリア湖の生態系に過剰適応。一説に、2種によって絶滅させらた在来種は100種とも200種とも言われる。

 元々、ヴィクトリア湖の在来種は、沿岸部で藻類を食べる草食魚が主だった。草食在来種の激減により、藻が繁茂。湖水の酸素濃度が低くなり、さらに多くの在来種が存続の危機に瀕している。

 他方、湖岸を中心にホテイアオイを主にした水草が繁茂。ウガンダの湖岸は1995年頃までに、95%がホテイアオイによって覆われた。水草の繁茂は、飲料水の確保や水力発電の障害となった。現在は、除草剤もしようした除草作業によって、ホテイアオイの群生する地域が限定されるよう、コントロールされている。

 ナイル・パーチとナイル・テラピアが導入された後は、短期的に漁業の生産額があがり、歓迎された。しかし、その後の生態系の混乱、及び環境の悪化によって、湖での漁獲品目の多様性が減り、漁民の間の格差が急激に大きくなった。

 1996年、世界銀行は、ヴィクトリア湖の生態系を出来る限り復元し安定を取り戻す試みに対し、基金創設した。さらに後、EU(欧州連合)?も、環境保全事業に支援を開始した。しかし、現在もナイル・パーチと、ナイル・テラピアはヴィクトリア湖の主要な漁獲品目であり、周辺3国からの輸出品の主要品目になっている。

 湖水周辺では、野牛の類や、野生カモシカの類の群れが、乾季に餌を求めて周回してくる。この、群れの移動も、アフリカ大陸でも大規模なものの1つ。


 ヴィクトリア湖についての文書記録を最初に遺したのは、中央アフリカ方面に分け入っていった中世のアラブ商人たちだったはずだ。「アル・アドリーズの地図」と呼ばれている1160年代頃の地図には、ヴィクトリア湖の位置と大きさとが大まかではあるが、はっきりと描かれている。

 湖に最初に到達した欧米人は、U.K.(連合王国)の探検家ジョン・ハンニング・スペック?とそのクルー。1858年に湖に到達したスペックは、ナイル川の水源を発見したと確信し、ヴィクトリア女王?にちなんだ地名を命名した。しかし、ヨーロッパでは、「ヴィクトリア湖が、真にナイルの水源地であるか?」強い疑問が唱えられ、議論が生まれた。

 実は、スペックの探索隊は、ヴィクトリア湖からの流出口を確認していなかったからだ。

 U.K.の探検家デビッド・リビングストン(ディヴィッド・リヴィングステァン)?も、ナイルの水源探し挑んだ。しかし、リビングストンは、西に向かいすぎて、コンゴ水系の流域に分け入ってしまった。

 現在、ナルバール・ダムが設けられているヴィクトリア・ナイルの河口が、欧米人によって確認されたのは、1871年のこと。ウェールズ出身のU.K.の探検家、ヘンリー・モートン・スタンレー(ヘンリィ・モォトン・スタンレィ)?の探索によった。

さらに詳しい情報

  • 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 ヴィクトリア湖(レィク・ヴィクトゥリア)をなしている盆地に似た地形は、およそ40万年ほど前に形成し終えた、と推定されている。東西と南とを囲む地溝帯の縁辺の土地が、隆起することが遠因となって形成された。

 ヴィクトリア湖の水源は、広域にはわたるが、比較的限られている。湖面面積の広さと低緯度地方であることもあいまって、湖の水量は、気候変動に対して脆弱で、変化し易い。

 地質調査によると、湖は、最初に形成された後、過去3度、完全に干上がっている、と思われる。湖が最後に干上がったのは、今から1万7300年ほど前。再度、広い湖が形成されたのは、1万4700年ほど前。こうした変動と、氷河時代?の間の気候変動との関連付けは、現在、詳細化が試みられている研究テーマになっている。

 ヴィクトリア湖の固有に近い在来種生物には、こうした環境変動に応じて形質を変化させた、と考えられている種もある。

GM向け参考情報

 「増補待ち」

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2008/02/13 22:20:21
キーワード:
参照:[ランド・マーク] [ウガンダ共和国の基本情報 2008年版] [ウガンダ共和国の基本情報 2009年版] [アフリカ州のランド・マーク]
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