マサハルタ
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マサハルタは、紀元前11世紀の半ば頃、10年に満たない期間、テーベ?のアメン神殿でリーダーだった人物。「マサヘルタ」とも。
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マサハルタは、現在の古代エジプト研究で、テーベ神官団が「アメン大司祭国家?」と呼ばれる体制をとっていた時期のリーダーの1人。
パネジェム1世の息子の1人で、父の死後、神官団のリーダーの地位を引き継いだ。ヘリホルから数えると、大司祭国家第4代のリーダーにあたる。
「アメン神の第一神官(ヘムチェルテピエンアメン)」の称号を用いたかどうかは、現在までのところ確認されていない。しかし、父であるパネジェム1世から「軍団の指揮官」「全土の軍団の総指揮官」の称号を継承していたようだ。事実上は、第一神官位にあった、とみなして構わないだろう。
マサハルタの没年は、B.C.1046年。アメン神官団のリーダーだったのは、足掛けで9年間になる。
マサハルタのミイラは、テーベ?西岸の遺跡地帯にあるデイル・アル・バハリ?のカシェ?(隠し墓所)から発見されている。このカシェは、本来の埋葬所から、盗掘を避けるため後世の神官たちが、ミイラなどを移して再埋葬した場所。同じカシェからパネジェム1世や、メンケペルラーのミイラも発見された。ただし、しかも、マサハルタのミイラについては、副葬品の類があまり多く確認されていない。あるいは、多くは盗掘されて故売市場に流された後だったのかもしれない。
発見された記録によれば、パネジェム1世の死没年がB.C.1032年頃と、思われるのに、マサハルタが第一神官位についた年は、B.C.1054年とされることが多い。この即位年の数値は、タニス王朝?の記録との対照研究によれば、かなり確からしい。
父の死後、第一神官位に就くのに二十数年かかった背景事情については、テーベを中心に上エジプトが内戦状態にあったため、と考えられている。しかし、現在のところ、「内戦」の経緯は、あまり解明されていない。
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(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) - 2007-02-12 (月) 05:21:50 鍼原神無 : 少しだけ、記事内容を追加しました。
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参照:[メンケペルラー] [歴史上の実在人物] [パネジェム1世] [ジェドコンスエファンク] [小辞典ワールド編]