パレスティナ
簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。
- アラビア語名の音写
- Falas??n(ファラスティン),Filas??n(フィラスティン)
- 英語名
- Palestine
- フランス語名
- Palestine
- スペイン語名
- Palestina
- ロシア語名
- Палестина
- 中国語名
- 巴勒斯坦
PCが予め知ってていい情報
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「パレスティナ」は、「パレスティナ暫定自治領?の略称」、「パレスティナ国家が領有すべき土地(政治的主張)」、「U.K.(連合王国)の旧信託委任統治領パレスティナ?の領域(1920年〜1948年)」など、幾つかの領域を指して用いられる地域名。
古代に遡る歴史的地域名で、時代と共に領域の異同は多かった。漠然としたイメージでは、地中海西岸南部を中心にした歴史的シリア地域?の南域、とイメージされることが多い。「ヨルダン川と地中海の間の地域」とイメージされることもある。
やや詳しい情報
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「パレスティナ」の地域名は、古代に遡るもので、おそらく、ローカルにはアラビア語の「ファラスティン」として、現代まで使われ続けてきた、と思われる。
16世紀から地域を支配したオスマン=トルコ帝国では、長い間「ファラスティン」も「パレスティナ」も行政上は用いられなかった。「パレスティナ」の地域名が、政治的に意味の重い地域を指して、国際的に再利用されるようになったのは、20世紀になってからのことだ。
1831年〜1841年、地域は、ムハンマド・アリー朝?のエジプトに制圧された。ムハンマド・アリー朝の軍は、オスマン=トルコに反乱を起こし、現在のレバノン領までを制圧した。パレスティナ地域では、反オスマンのエジプト軍は概ね歓迎されたようだ。少なくとも反抗的ではなかった。
10年間ほどのムハンマド・アリー朝軍政時代、地域では、ある程度の自治が認められた。近、現代に入って、「パレスティナ地域」に行政上のまとまりが生まれたのは、この時期がはじめてだった、と言われる。西欧諸国の外交戦略の前に、ムハンマド・アリー朝が地域から撤退した後も、オスマン=トルコ当局は、地域に西欧的な土地所有法を導入することになった。
20世紀初頭頃、欧米では、まず、西欧諸国の軍事関係者、諜報関係者、政治家たちの間で「パレスティナ」の地域名が非公式に、戦略上重要な地域の名として用いられるようになった。おそらく、現地で反オスマン的だったアラブ系パレスティナ人たちの勢力を重視したのだろう。
第1次世界大戦の戦後処理で、U.K.(連合王国)は、旧オスマン領だった地域の内「パレスティナ」を国際連盟?の信託委任統治領?として統治することになった。この時のU.K.は、概ね、現在のイスラエル領とパレスティナ暫定自治領?を併せた地域を信託委任統治領パレスティナとして、ヨルダン川以東の現ヨルダン領を信託委任統治領トランス・ヨルダン?とした。
U.K.によるパレスティナの信託委任統治は、第2次世界大戦後の1948年まで続いた。
- 【参照地図】
- 第1次世界大戦?後のU.K.(連合王国)の信託委任統治領略地図(Wikimedia Commons)
ヨルダン川以西がU.K.信託委任統治領パレスティナ?、以東がU.K.信託委任統治領トランス・ヨルダン?とされた。
現在、「古代パレスティナ」は、「ペリシテ人?の領域だった土地(Philistine)」とイメージされることが多い。ペリシテ人は、紀元前13世紀頃から、現在のガザ・ストリップや、イスラエル領西岸地域南域を勢力圏にしていた。
ただし、この地域ではカナン人?やフェニキア系?勢力、他の影響力も強く古代地域名では「カナン」とも「フル」とも呼ばれたこともあった。少なくとも、時代によっては、「カナンの地」や「フルの地」と重なり合っていた。
紀元前10世紀頃に古代イスラエル王国?が興されると、「“ペリシテ人の土地”も、創造神から古代ヘブライ人に契約で約束された」との宗教教義が国家的に唱えられた。古代イスラエル国家では、“ペリシテ人の土地”も「イスラエルの地」に含める、とされた。
しかし、実際は、紀元前9世紀に、北のイスラエル王国と南のユダ王国が分裂した頃にも、“Philistine”地域には、イスラエル国家に服属しない都市国家が複数続いていた。
- 【参照地図】
- 紀元前9世紀頃の地中海西岸南域情勢図(Wikimedia Commons)
古代エジプト王朝では、アナトリアとシナイ半島北岸との間の地中海西岸を広く「パレスティナ」と呼んでいた。アッシリア?ではサルゴン2世の代の碑文で、地中海西岸の南域を広く“Palashtu”(パラシュトゥ)と記している例がある。
ヘレネス?や古代マケドニア人、古代ローマ人も「パレスティナ」の地域名を用い、概ね、地中海西岸南域を中心にした地域とされた。地域がローマ帝国の属領となった時代は、幾つかの行政区に区分され、「パレスティナ」の地名は、しばらく、行政区分としては用いられなくなった。
ローマ帝国の東西が分裂した後、ビザンティン帝国では「パレスティナ(Palaestina)」の地域名が多用されるようになったが、地域はやはり幾つかの行政区に細分されていた。ただ、ビザンツ時代に、「パレスティナとはヨルダン川と地中海の間の地域」とする地域イメージが定まった。
地域がアラブ・イスラム勢の統治下に入ると、「パレスティナ」の地域名は「ファラスティン」として継承されたが、範囲はビザンツ時代よりも狭まっていった。16世紀に入って、地域がオスマン帝国の統治下に入ると、「ファラスティン」の地域名は再び、行政区の名としては用いられなくなっていった。「パレスティナ」は、古典的な雅称か、ローカルな地域名として使われるようになった。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
補足情報
「増補待ち」。
別称類
- 日本語別表記=パレスチナ
主要国の言語
- アラビア語名の音写=Falas??n(ファラスティン),Filas??n(フィラスティン)
- 英語名=Palestine
- フランス語名=Palestine
- スペイン語名=Palestina
- ロシア語表記=Палестина
- 中国語表記=巴勒斯坦
その他
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キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [パレスチナ] [アジア州のランド・マーク] [ランド・マーク]