ザールラント州
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「ザールラント州」は、ドイツ連邦共和国の連邦州の1つ。
ドイツ領西縁の中南部で、フランス共和国、ルクセンブルク大公国に隣接している。
州都ザールブリュッケン市近くのフェルクリンゲンの街には、ユネスコの世界遺産に登録されているフェルクリンゲン製鉄所?がある。
- 【参照地図】
- ザールラント州略地図,Wikimedia Commons)
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ザールラント州は、ドイツ連邦共和国で、現在16営まれている連邦州の1つ。
北縁から東縁にかけてラインラント=プファルツ州に隣接。西縁でルクセンブルク大公国と、極、短距離接し、南縁でフランス共和国のロレーヌ地域圏に隣接している。
地域は、石炭、鉄鉱石を産し、早くから重工業が発展した。ザール炭田の埋蔵石炭量は、ドイツ領で第2位と言われている。
州域面積は、2,569平方km。ドイツ連邦共和国の16州から、都市州のベルリン?、ハンブルク?を除くと、面積が最小の州。
緩やかな丘陵、あるいは、極、低い山地が連続している地勢。最高点は、標高695m強。州域の1/3ほどは樹林に覆われている。
州名の由来になったザール川が、州域南部から北西方向に州の西部を貫流。この流域には平坦地が断続している。
州都のザールブリュッケン市は、ザール川がフランスとの国境を越えてきた直後の流域に立地。州域南縁部、東西概ね中ほどの東寄りになっている。
現行のザールラント州の領域がひとまとまりの行政圏として編成されたのは、第1次世界大戦?の前後のこと。かつて、地域にはプロシア領やバヴァリア領などが混在していた。
ヴェルサイユ条約(1919年)に基づいて編成されたサール地域は、1920年から15年間、フランスの国際連盟委任統治に委ねられた。1935年にヴェルサイユ条約の期限が切れた後、地域は住民投票でドイツへの帰属を選択。
第2次世界大戦の戦後処理でも、ザールラントは、1945年〜1956年の間フランスの占領統治下に置かれた。
当時のフランス政府の思惑としては、ザールラント併合の政策もあったかもしれない。1954年、フランス政府と西ドイツ政府は、ザールラントを独立領に移行させる詳細なプランを公表。しかし、1957年に実施された住民投票で、地域はドイツ側への帰属を選択し現在に至る。
2008年現在、ザールラント州は、“郡”に相当する行政区分6つから構成されている。
- 【参照地図】
- ザールラント州の“郡”構成(Wikimedia Commons)
地図中の「3」が、ザールブリュッケン市を行政中心地にした“郡”。
1971年以降、ザールラント州は、サーラレックス地域?に加盟。ドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクをまたいで、経済、民間の交流が盛んに営まれている。背景には、2次大戦後のフランス占領時代に、フランス語の影響が強まったとの事情がある、とも言われる。ザールラント州以外の旧西ドイツでは、戦後、中等教育で第2外国語として、普通、英語が教えられたのに対し、戦後のザールラントでは、フランス語が教えられるようになったからだ。
鉄器時代、地域はケルト系部族のメディオマトリキ族?、トレウェリ族?の勢力圏だった。トレウェリ族の方は、ケルト系とゲルマン系が混交した部族だったようだ。州域北部には、ケルト族の城砦遺跡が知られている。
紀元前1世紀、地域はローマ帝国のベルギカ地方の1部に納められた。先住のケルト人たちは、ローマ帝国の各所から移住してきた帝国臣民たちと混交していった。この頃のローマ風の館や荘園、村落の遺跡も州域に複数遺っている。
地域は、ローマ帝国のゲルマニアの境界?の西方にあったが、3世紀初頭、ゲルマン系諸族の国境線が破られるとアレマン族が支配的に。その後、5世紀頃アレマン族がフランク王国に服属すると、部族公領アレマニアの1部として、フランク領に納められた。フランク王国の分裂後は、東フランク王国に属し、ドイツ王国、神聖ローマ帝国の小さな領邦複数がひしめき合う地域になった。
1792年、革命フランス政府の共和国軍が地域を占領。地域の概ねは「サール県」に編成された。ナポレオン戦争(1803年〜1815年)の戦後処理では、地域はプロシア領ライン地方、ババリア王国ライン地方、オルデンブルク大公領に3分された。
その後、ナポレオン3世の軍勢に侵攻され、1870年にはフランス・プロシア戦争(普仏戦争)の戦場となった。地域の全域がドイツ帝国領になったのは、フランス・プロシア戦争の戦後のこと。
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参照:[サーロルックス地域] [ラインラント=プファルツ州] [ロレーヌ地域圏] [カイザースラウルテン] [ヨーロッパ州のランド・マーク] [フンスリュック山地] [ザールブリュッケン]