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アレマン族

アレマン族 
アレマンぞく
(簡易版)

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語表記
Alamanni,Allemanni,Alemanni

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 特に無し。

 「アレマン族」については、「関連技能を持たないPCは、予備知識なし」の処理でも不自然ではないと思われます。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 「アレマン族」は、古代末期にライン川上流部の東方を勢力圏にしていたゲルマン系の部族集団。フランク族?やゴート族?同様に、幾つかの部族が連合を結んでいた集団(部族連合)だったと考えられている。同時期のゲルマン系諸族の内では、フランク族やゴート族ほどの大勢力ではなかったが、有力だった集団の1つ。

 3世紀始め頃まで、アレマン族が生活圏にしていたのは、ライン川?の東にローマ帝国が設けていた長城のさらに東方だったはず、と推定されている。

 ローマ帝国のカラカラ帝?(在位211年〜217年)は、「アレマン族の討伐者」の称号を称したことがある。この称号についての記録が、アレマン族についての文字記録で、現在まで伝わる最も古いものになっている。

 242年、253年、アレマン族は、フランク族?と呼応したかのように、前後してライン川?を越え、ガリア地方?に侵入、イスパニアやラヴェンナまでのローマ領各地を荒らしまわった。ローマ軍の反撃でライン川東岸に押し戻されたが、以降、しばしばローマと交戦しつつ勢いを増していった。

 357年には、スウェーヴ族と共にガリアに侵出。ローマのユリアヌス帝?率いる軍勢とのシュトラスブルクの戦いで大敗。スウェーブ族は、現在のポーランド領西部から、西進してきたゲルマン系の部族連合で、言語面ではアレマン族と近かったとされている。彼らは、3世紀〜4世紀頃には、アレマン族の勢力圏の北方でライン東岸を勢力圏にしていた。

 アレマン族は、その後も、364年にもガリアに侵出。496年、またもガリアに侵出したが、すでにガリア地方で素朴な王国を営んでいたフランク族王クローヴィス?に敗退。中世の年代記は、496年のことと伝えているが、これは半ば伝説的な記録で、疑問視されている。

 アレマン族はフランク王国に従属的になり、その勢力圏は、部族公領アレマニアとしてフランク王国に従属した。アレマン族は、この後、部族社会から素朴な貴族制社会に移行していく。

 同時代の年代記には、フランク王国に敗退した頃のアレマン族がすでに“小王国”を営んでいたかに伝えているものが少なく無い。これについても疑問視する意見は少なく無い。

 4世紀頃、部族連合に属した首長たちの有力者が“王”を称していた記録はある。しかし、初期の“王”たちは、集権化した王宮を営むような地位ではなく、ほとんどが部族会議によって選任される族王だった。当然、王位の世襲も血統による継承もスタンダードにはなっていなかった。


 フランク王国に服属した後のアレマニアの領域は、3世紀頃のアレマン族の勢力圏を含んで、若干西方に広く、1部ライン川西岸にも渡っていた。北の概ねでフランク王国?に、南西方面でブルグンディア?に、南東方面で東ゴート王国?に隣接していたのが、6世紀頃のアレマニアの領域だった。

 部族公領アレマニアの範囲を、現在の地名で言うと、ドイツ領南西部から、スイス領東部と、フランス領アルザス地方に渡っていた。この範囲は、現在もアレマン語系統の諸語が用いられている地域を含み、かつ、若干東方に広かった。

 7世紀頃から、アレマニアのキリスト教化が始まり、アウグスブルク、コンスタンツのそれぞれに司教管区が設けられ、8世紀には修道院が開設されるようになった。

 7世紀後半にはフランク王国のメロヴィング朝が混乱。アレマン族はフランク王国への従属から脱しようとしたが、メロヴィング朝で宰相を勤めていたカール・マルテル?により、自立を阻まれた。

 9世紀にカロリング朝フランク王国が分裂した頃、アレマニアでは、土着化していた貴族たちが勢力を確立していた。911年に東フランク王国は断絶したが、917年にアレマニア貴族ブルヒァルトが「スワビア公」を称し、地域で支配的に。ブルヒァルトのスワビア公位は、919年にドイツ国王ハインリヒ1世から承認された。ちなみに「スワビア」の地名は、スウェーブ族の名にちなんだもの。

 旧アレマニア公領は、11世紀前半にスワビア公領(シュヴァーベン公領)とフランケン公領とに分割された。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 3世紀よりも前のアレマン族の実態については、解明されていない。カラカラ帝による「アレマン族の討伐者」の称号以前は、ローマ側の記録は、ライン川の東方の部族集団を、一まとめに「ゲルマンニ(ゲルマン人)」と記していたものが主だったからだ。

 「アレマン」は、古代ゲルマン語では「土着」といった意味だったとされている。あるいは、後のアレマニア地域に先住していた土着のケルト系集団が、文化面からゲルマン化したのではないか? とも言われるが、定かでは無い

 例えば、地域に進出した少数のゲルマン系部族が、多数の土着部族に影響力を及ぼしゲルマン化を進めた、といった経緯は、まったくあり得ないとは言えないが、直接的な物証はほとんど無い。

GM向け参考情報

別称類

  • 日本語別表記=アラマン族

活用や検討

活用

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検討

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更新日時:2008/05/19 14:22:03
キーワード:
参照:[アルザス語] [タウヌス山地] [ヨーロッパ州のランド・マーク] [ザールラント州] [アレマン語] [アレマニア] [+αのワールド用語] [スウェーヴ族]
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