コム・オンボの神殿遺跡
- コム・オンボの神殿遺跡 コム・オンボのしんでんいせき (簡易版)
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コム・オンボの神殿遺跡
コム・オンボのしんでんいせき
(簡易版)
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コム・オンボの神殿は、鉄道駅を中心にしたコムオンボの町の中心街区からは4kmほど離れている。観光客の多くは、アスワン市から一縁を巡るツアー・バスで訪れる。フェリーなどで訪れ、小舟に乗り換えてから、神殿近くの船着場から上陸する人たちもいる。
コム・オンボの神殿は、大ホルス?(ハロエリス)を祀る聖所と、セベク神?を祀る聖所が併設された複合神殿。神殿正面から向かって左手奥にハロエリス神とその家族神が、右手奥にセベク神とその家族神が祀られている。
神殿の本体は、縦軸(長軸)を挟んで左右が概ね対称の平面プランで築かれていた。ハロエリス神と共に祀られていた家族神は、タセントネフェルト女神と息子神のバネブタウイ神。セベク神の家族神ととして祀られていたのは、ハトホル女神とコンス神?。
エジプトの伝統神殿には、3柱の神が家族神ととして共に祀られている事例は多い。しかし、コン・オンボの神殿のように2組の家族神(系6柱)が複合して祀られた事例は、他に知られていない。この祭祀の形式が、プトレマイオス朝時代よりも前に遡るかどうかは定かでは無い。
現在、部分的に遺構が遺っている神殿は、新王国時代?にトトメス3世?が建立させた神殿の跡地に、プトレマイオス6世?が新たに建立させた神殿。プトレマイオス6世の後も部分的な修築、改築がおこなわれた。ことにプトレマイオス8世?の代に多くの修築、改築がおこなわれた。
かつては、2重の回廊に囲まれた神殿が、さらに外側の囲壁に囲まれていた。
現在、構造物が遺っているのは、神殿本体の中心部分。天井部分は喪われているほか、内側の回廊もかなり崩れている。外側の回廊はほぼ基台部分近くが遺る程度(と、想定しておく)。神殿本体も中心軸から離れた部分ほど崩落が多い。
かつて囲壁に囲まれたいた神殿の境内にあたる敷地は、かなりの部分が長い間にナイルの増水などで流されている。境内の内には、神殿本体との間に、前庭(中庭)を挟んでほとんど崩落したパイロン(塔門)?の跡も遺ってる。
塔門址に向かって左手にプトレマイオス7世?の建立した小さな誕生殿址が遺る。右手の少し奥、神殿前庭の右手外には、かつて囲壁に沿って設けられていたハトホル女神の小神殿跡も見られる。
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参照:[コム・オンボ] [アスワン県] [小辞典ワールド編] [遺跡]