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アスワン市

アスワン市 アスワンし 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です。

アラビア語名の音
Asw?n(アスワーン)
英語名
Aswan(アスワン)
フランス語名
Assouan

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 アスワン市(アスワーン)は、エジプト=アラブ共和国南部で、ナイル川流域に位置するアスワン県の行政中心地。アスワン・ダム?(アスワン・ロウダム)の下流5kmほどで、ナイル川の第1急湍〔きゅうたん〕の近傍に位置。ただし、上流のダムが完工して以来「急湍」と呼べる流れは失われている。

 県域南部のナセル湖(ハイダム湖)一縁には古代遺跡が多く、アスワン市は観光化拠点になっている。観光などでは、アスワン市街?以南の一帯が漠然と「アスワン地域」とイメージされることも多いようだ。

 アスワン市の市域にも遺跡が多い他、アスワン・ロウダム?からナセル湖の一帯にかけては、ユネスコ世界遺産に登録されている「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の遺構が散在。県域内には、他にも、ヒエラコンポリスの遺跡エドフコム・オンボなどに重要遺跡が多い。

【参照地図】

【参照イメージ】

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 アスワン市の市街は、アスワン・ロウダム?の下流、概ねサヘイル島?の対岸あたりからナイル右岸(東岸)で下流に向けて続いていく。概ね、エレファンティネ島の対岸あたりから、鉄道アスワン駅の少し北あたりまでが中心市街。
 アスワン・ロウダム?のダム湖北岸は、アスワン市街の南郊外のような感じになっている。
 人口は22万人ほど(1992年)。この数字には、観光客、滞在者は含まれていない。観光客は多く、外国人向けホテルもかなり多い。高級ホテルから、一般のエジプト人も利用する安宿まで、ランクも多様。
 アスワン市は、観光拠点であるだけでなく、スーク(イスラムの街頭マーケット区域)も営まれ、地域の商業中心と、1次産品の集散地を兼ねている。
 アスワン・ハイダム?が防衛拠点である他、スーダンとの国境警備もあり、当局の警備体制は厚い。治安も概していい。
 地域の環境は、乾燥気候。
 ただし、アスワン・ハイダムが完成して以来、広大なハイダム湖から蒸発する水蒸気のため、以前よりは、年間降水量が増えている。とは言っても、数年に一度大雨が降る程度だが。それでも、一度雨が降ると、ヌビア人集落で、伝統的な日干し煉瓦による家屋がもろくなったりしている。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 アスワン市の一帯は、現在の行政区域としてのアスワン県とまた別に、「アスワン地方」と呼ばれるエリアとしてイメージされることもある。アスワン市街の南部でナイル川に浮かぶエレファンティネ島が、古代には伝統的にエジプトの南限とみなされていたからだ。
 古代エジプトでは上エジプト第1ノモス(州)の州都は、現在のコム・オンボに設けられ、エレファンティネ島の南に位置する第1急湍〔きゅうたん〕が、地域の南限と目されていた。
 サヘイル島?の下流(北)あたりに位置しているナイル川第1急湍〔きゅうたん〕から南が、ヌビア地方とイメージされた。
 アスワン市や近郊には、現在でもヌビア人の人口が多く、市内でもよく見かける。
 エレファンティネ島周辺は、古代には、ヌビア地方や、さらに南方との交易拠点であり、エジプト王朝は基本的に軍勢を駐屯させ、ファラオ?の代官に交易を管理させていた。
 ただし、「エレファンティネ島をエジプトの南限とみなす」と、言っても伝統的、宗教的なイメージのこと。実際には、長い歴史の間に、エジプト王朝の領土はさらに南の、現スーダン共和国領の歴史的ヌビア地域に拡大したこともあれば、さらに北にまで縮小した時期もあった。

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
さらに詳しい情報 アスワン地方の古代名は、「シエネ」だが、これはプトレマイオス朝?の頃以降に成り立った古称らしい。さらに以前は、「スウェネト(Swenet)」と呼ばれていた。
 古代エジプト時代には、一帯が花崗岩の産地としても知られていた。現在もロウダム北岸に古代の石切り場跡が遺っている。多くのピラミッドや宗教建築の石材が、アスワン周辺から切り出されて、エジプト各地に運ばれた。

GM向け参考情報

  • GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど

用法

 まず、アスワン市が、アスワン県県域の中でも南寄りに位置することに注目します。

 アスワン市以南のアスワン両ダム周辺は、カイロ?周辺、ルクソール市周辺に継ぐ観光地で遺跡地帯になっています。ただ、アスワン・ハイダムと遺跡との景観の対比は活かしたいところです。が、この辺は関連項目に譲りましょう。

 アスワン市よりも北のアスワン県域については、重要遺跡が散在しているもののエジプトの外国人単独行動制限地域にあたっています。この地域では、主要な地方都市はともかく、農村部では緊張感も伏流している、として扱うといいかもしれません。GM裁量の範囲内ですが、アスワン市以南と、アスワン市より北の県域との雰囲気の差は、多少なりとも意識したいところです。

 少なくとも、アスワン市より北からアスワン市中心市街に入ると、急に外国人旅行者が増えることは押さえた方がいいでしょう。

 他に、アスワン市からは、西方沙漠内のかなり大きめのオアシスに向かうルートがあること、スーダンとの国境を擁していることなども、セッションに活かせると、地域の特徴が出せることでしょう。

 考古学的には、古代エジプト王朝発祥の謎や、南方の歴史的ヌビア地域やブラック・アフリカとの謎めいた関係史を秘めた遺跡の多い土地です。例えば、ナイル水系?の上流に関わるシナリオでは、プロットでの活用を検討したいスポットの1つでしょう。

 総じて、観光客的なのんびりした視点で上辺を見ていると、一見、風光明媚なのんびりした観光地に見える。例えば、アスワン市のスークや、ハイダム湖を行きかうファルーカなど。しかし、プロの調査員の目で見ると、近代化(ハイダムやロウダム)と、古代遺跡とが入り混じり、複雑さ(ヌビア人やスーダンとの関係)を秘めた土地、といった線が意識できればいいと思われます。

補足情報

 「古代、エレファンティネ島がエジプトの南限とイメージされていた」と言っても、近代国家のように明確な国境を設けた管理がされていたわけではない。

 エレファンティネ島は、先王朝時代?には、主に上エジプトヌビアとの交易ポイントとして利用されていたと思われる。オアシス・ルートで沙漠を渡って来た交易民も利用したこともあるだろう。

 エジプト王朝が成立した後も、アスワン地方は、狭い意味でのヌビア地方?と重なるように存在していたボーダーな地域だった。アスワン周辺のかなりの広さの地域が、異文化が交じり合う地域で、交易市場全体が、現在の税関のような機能を担っていた、とイメージすれば、概ね遠くは無いだろう。

参照地図

参照データ:環境

【参照データ】

アスワン市概要

 他の古代から続くエジプト都市同様、アスワン市外も、東岸が都市機能を有す市街で、西岸は遺跡の多い(旧)ネクロポリス(墓域)にあたる。

 アスワン市の場合、エレファンティネ島をはじめとする、ナイル川上の島の存在が特色になっている。

アスワン市周辺の主要遺跡など

アスワン市(ナイル東岸)の遺跡
 南郊外に切り出し途中で放棄されたオベリスクが存在。
 南郊外に、ヌビア博物館が存在。
エレファンティネ島
 アスワン市街のナイル川上に浮かぶ島。古代街区の遺跡、アスワン博物館、ヌビア人集落や、外国人向け設備もある大きな豪華ホテルも存在。
アスワン市街南郊外の遺跡
 切り出し途中のオベリスクのさらに南に、「花崗岩の石切り場」「未完の石官」「未完の石像」などが位置。アスワンダムとアスワン・ハイダムとの間の人工湖の湖畔にあたる。
 アスワンダムの人工湖湖上に残る小島アギルギア島には、イシス女神の神殿(フィラエ島のイシス神殿)が移築されている。
アスワン市街のナイル対岸(西岸)
 アスワン市街の対岸の丘の北部に、古代貴族の岩窟墳墓群が存在。古王国時代?から中王国時代?に墳墓が営まれた中規模なネクロポリスで、40基ほどの墳墓が存在。いくつかは一般公開されている。
 岩窟墳墓の北に、ヌビア村が存在。アスワン市街北部の対岸にあたる。
 エレファンティネ島南部の対岸に、1957年に没したイスマイル派?の第48代イマームアガ・カーンの墓廟が存在。イスラム社会の内で、異端と呼ぶ者もいるイスマイル派は、現在のエジプトには教団組織は存在していない。しかし、民間では聖者信仰も根強いエジプトでは、現在も参拝者が耐えない宗教施設であり、遺跡とは呼べない。
 アガ・カーン廟から、沙漠内に分け入った地点に、6世紀頃建立された聖シメオン修道院の遺跡が遺る。聖シメオンは、ヌビア人のコプト教聖者。
サヘイル島?
 サヘイル島は、エレファンティネ島の上流に位置する概ね方形の島。エレファンティネ島に住んだクヌム神の娘神であるアヌキス女神?が住んだ、と伝えられている。
 古代には、少なくとも2つの神殿が建造されていた、と伝えられているが未確認。
 島の中央に位置する小高い丘の西側にはヌビア村が存在。
 サヘイル島南部の岩山には、総数250ほどを数える古代の岩壁壁画が遺る。古いものは、古王国時代の第6王朝の頃のもので、新しいものはプトレマイオス朝?時代のもの。多くは、クヌム神やアヌキス女神に関する宗教的な記録が描かれている。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
 アブ・シンベル神殿?、ハトホル神殿?フィラエ島のイシス神殿、など。
  • フィラエ島=アスワン市中心市街の南方10kmほど。
  • アブ・シンベル=アスワン市の概ね南西。地図上の直線距離で305km。
  • スーダン共和国との国境=アスワン市の概ね南。地図上の直線距離で300km。ハイダム湖からフェリー。陸路もあるが、路面状態の悪い部分が少なく無い。

交通路

 ナイル川沿いに、首都カイロ?から敷設されている鉄路が通じている。この路線は、ハイダム湖南西岸のハイダム駅が終点になっている。

 ナイル川を往来するフェリー便なども多い。また地域内は、ファルーカと呼ばれる1本マストの小形舟が、水上タクシーのように行き来している。(ナイル川を利用した水運については、ナイル川の項も参照されたし)

 アスワン市のナイル西岸には、国内線のアスワン空港が存在。この空港には、カイロ?ルクソールなどとの間で日に4、5便が周航しているが、空港施設は、飛行機の発着に合わせて運営されている。

 他に、ハイダム湖の南西の、アブ・シンベル近くにも空港が設けられている。観光客の便のため、アブ・シンベルの空港から、一旦、アスワン空港に寄港する便もある。

 ナイル川沿いの基幹自動車道は、カイロからギザを経由、ルクソールなどを経て、アスワンに至っている。アスワンからは、ハイダム上を横断して、ハイダム湖の西方を廻り、アブ・シンベルに至る基幹自動車道に連絡している。

 また、アスワンからハイダム湖に至る基幹道路からは、沙漠内を西方に至る地方道が複数分岐。アスワン市からは東方にも地方道が伸びている。これらの地方道は、沙漠内のオアシス集落へと通じている。

リンク

関連項目

資料リンク

補助資料

+αの補助資料
(あれば便利な補助資料)

ナショナルジオグラフィック海外旅行ガイド『エジプト』
アンドリュー・ハンフリーズ 著、大塚 茂夫、他 訳,日経ナショナルジオグラフィック社,Tokyo,2002.
ISBN 4-931450-19-9

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

  • 内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。
    (誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要)
  • プレイヤー向けに、参照イメージ、参照地図のリンクを増補、GM向け参考情報に県下の遺跡の簡単な記事を増補、など。関連して記事を再編しました。詳しくはしましたが、改訂が必要な過ちの類は見当たりませんでした。(2006年5月20日)
  • 2007-02-04 (日) 07:19:15 鍼原神無 : 以前の「アスワン」のページを、新たに「アスワン県」の項とこの「アスワン県」の項に再編成しました。
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検討

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