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コソヴォ=メトヒヤ自治州

コソヴォ=メトヒヤ自治州 コソヴォ=メトヒヤじちしゅう (Kosovo I Metohija) 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

PCが予め知ってていい情報

 「コソヴォ=メトヒヤ自治州」は、旧ユーゴスラヴィア連邦?時代の1974年から、セルビア共和国の南部で自治州として大幅な自治権が認められていた。1980年頃から、分離と「コソヴォ共和国」としての独立を求める運動が起こった。

 旧ユーゴの解体過程と並行して独立運動が本格化。1989年旧ユーゴ中央政府は、自治州政府と議会を廃止し、一方的に自治権を剥奪。これに対して、コソヴォ当局は住民投票を敢行し独立を採択。緊張が高まりコソヴォ紛争?に至った。

 2007年現在、国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下にあり、セルビア共和国政府の統治は及んでいない。その政治的地位についての折衝は、EU(欧州連合)?などの仲介で、セルビア当局と続けられていたが、2007年11月、決裂した。従って「自治州」の呼称も「共和国」の呼称暫定的なもの、とみなすべきだろう。

【参照イメージ】

近隣地域
 領域は、西ではモンテネグロ共和国と隣接。北西から東部にかけ、セルビア共和国の他州と接している。
 南東では、F.Y.R.O.M.?(マケドニア旧ユーゴスラヴィア連邦)と、南西ではアルバニア共和国と国境を接している。
呼称
 通称で「コソヴォ」とも呼ばれるが、歴史的なコソヴォ地方?は、概ね現行のコソヴォ=メトヒヤの領域の東部にあたる。同領域の西部が歴史的なメトヒヤ地方?
国際関係
 コソヴォ=メトヒヤの政治的地位については、最終決着を2006年中につける目論見で、国連やEU(欧州連合)?も仲介しての折衝が続けられた。しかし、2007年年末、セルビア政府とコソヴォ自治府との間の交渉は決裂した。
 実は、EU加盟国や周辺諸国にも、旧ユーゴ地域での国境線再編につながりかねない、としてコソヴォ=メトヒヤの独立については懸念が強い。2007年現在、EUの担当部局は、コソヴォの政治的地位決着は、両者の合意をもってつけられるべきだ、と唱えている。つまり、一方的な併合にも、一方的な独立にも賛成しない態度を示している。
 2006年10月、セルビア共和国で、「コソヴォもセルビアの不可分な領土の一部である」旨を明記した新憲法の是非を問う国民投票が実施された。コソヴォ側では、政党の呼びかけで、ほとんどのアルバニア系市民がこの国民投票をボイコットしている。
地域
 コソヴォ=メトヒヤ地域では、東部のコソヴォ地方?全域が1000m強の山地帯で、山地は州域外のセルビア共和国諸州にも連なっている。
 西部のメトヒヤ地方?には、西側に標高500m程度の狭い盆地が存在するが、こちらの外縁も1000m内外の山地に縁取られている。
情勢
 かつてのコソヴォ紛争は、アルバニア系住民の多い、コソヴォ自治州の自治府が独立を決議し、当時の旧ユーゴスラヴィア政府が軍を投入したことから激化した。
 2006年現在、NATO?軍主力の国連安全保障部隊(KFOR)が展開しているが、コンヴォ領域周辺のアルバニア共和国側、及び、F.Y.R.O.M.?(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)国境部の山地では、なお、自治州の独立を求めるアルバニア系武装勢力の活動も断続。2004年頃から小競り合いが再燃。一般観光客は、同自治州の領域を避けて通交している。
歴史
 コソヴォ=メトヒヤ自治州は、旧ユーゴスラヴィア連邦時代の1946年に自治区として発足。1963年に自治州に昇格され、1974年制定の憲法で、連邦構成共和国と同等の権利を与えられた。
 元々アルバニア系国民の比率が極めて高かったコソヴォ地域では、1980年代末から独立を求める運動が活発化。1989年にセルビア人中心の旧ユーゴ連邦当局は、コソヴォの自治権を停止。コソヴォ側では、1991年に住民投票をおこない独立を採択、宣言。前後して、旧連邦当局は、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ紛争で発生したセルビア人難民を、コソヴォ地域に入植させた。これもコソヴォ側を刺激。独立要求も急進化し、コソヴォ解放軍(KLA)の活動が活発化した。セルビア側も治安警察の対応を強硬化させ、1998年に新ユーゴ連邦軍が投入されると本格的な紛争に発展した。
 1998年にNATO軍はセルビア共和国の軍事施設を目標にした限定空爆を敢行。1999年6月、国連安保理決議で国連コソボ暫定行政機構(UNMIK)創設された。国連の調停もあり、新ユーゴ軍は2000年にコソヴォから撤退。入れ違うように、NATO軍主体の国際安全保障部隊(KFOR)がコソヴォを占領。UNMIKの統治が始まった。
考古学関係
 一般には、まだあまり認知されていないが、バルカン地域からハンガリー盆地にかけての地域に散在する新石器遺跡は考古学の分野では注目されている。特に、バルカンの山岳地帯では、金石器時代初期の冶金場遺跡や、鉱石採掘場遺跡が注目されている。
 超古代文明に関わるミッションがこの地域には及ぶ可能性は少なくない。
 同地域にミッションで立ち入る場合は、地域の特殊な情勢に配慮し、状況を悪化させることのないよう、充分注意を払ってもらいたい。

コソヴォ=メトヒヤ地域の地図

追加情報

小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」「陰謀+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 2005年現在、国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下にあるコソヴォ=メトヒヤ自治州では、暫定自治府への段階的権限委譲が進められている。
 しかし、コソヴォの分離独立を保障していない国連に対し、不満を抱く独立派武装勢力の活動も断続。一時は80万人に達したとされるアルバニア人難民の帰還は進んでいるものの、主にセルビア共和国領に流出したセルビア人や、ロマ(ジプシー)難民の帰還は目途が立っていない。

小辞典版推奨判定
「陰謀+知性 目標値12〜14」「情報+知性 目標値14以上」
詳しい情報 1999年の国連安保理決議では「ユーゴの枠内におけるコソヴォの実質的自治の確立」が詠われていた。ここで言う「ユーゴ」は2003年にセルビア=モンテネグロに改称した「新ユーゴスラヴィア連邦共和国」を指す。コソヴォの将来的な独立については言及が避けられている。
 これは、「コソヴォが独立しアルバニアとの合邦に至るようなことになった場合、旧ユーゴスラヴィア諸国の紛争再激化につながることを、EUをはじめ関連諸国が恐れているためになされた妥協的措置だ」との観測は、イリーガル?の経歴を持つ者の間では常識的な意見と言える。
 周辺諸国では、特にアルバニア系住民も多いF.Y.R.O.M.政府当局が、コソヴォの独立に強い懸念を表明している。

【参考】

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 歴史的なコソヴォ地方?、及びメトヒヤ?地方は、紀元前1000年頃から印欧語系統の古代民族イリュリア人?の領域になっていたと目される。一説に「現在のアルバニア人?は古代イリュリア人の後裔」と唱えられるが、両者の関係は不明点が多く、定かには解明されていない
 セルビア人?のコソヴォ地方への進出は、紀元後7世紀頃からとされている。中世セルビア王国は10世紀に成立したが、セルビア人の間では、コソヴォ地域をセルビア王国(ネマニャ朝)発祥の地と目す意見が大勢を占めている。また、13世紀には、セルビア正教会がコンスタンティノープルの主教座から自立、コソヴォ地方とメトヒヤ地方とがセルビア正教の中心地となった、との事情も重なり、セルビア人のコソヴォに対する執着を強めている。

GM向け参考情報

基礎データ

  • 目標値8〜10程度の簡単な判定で、PCが知ってることにして構わないでしょう。場合によってはプレイヤーに事前提示しても可
面積
10,887平方km
面積対比
U.K.(連合王国)の4%強。日本国の3%弱 。
人口
推定200万〜220万人
 ボスニア紛争で流入した難民が、コソヴォ紛争で再流出し、人口は定かにされていない。
人口対比
――
平均人口密度
1平方kmにつき、185人ほどか(?)。
平均人口密度の対比
対比する統計の年度が異なるため、あくまで目安として。
U.K.(連合王国)の75%程度(?)。日本国の5割強(?)。
 都市集住率は、不明(セルビア=モンテネグロ全域で5割強)。
政治体制
 国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下で暫定自治政府が営まれている。
 独自の議会もあり、暫定首相、暫定大統領も存在。
民族事情
 アルバニア人?9割弱、セルビア人?1割弱。他に、ムスリム人?、ロマ?(ジプシー)、トルコ人?などが居住。
言語事情
 アルバニア語?とセルビア語?とが公用語に指定されている。
宗教事情
 イスラム教徒が多いが、セルビア正教も盛ん。カソリック信徒、他が少数派。
GDP
不明
GDPの対比
不明
住民1人あたりGDP
不明
住民1人あたりGDPの対比
不明
(GDP、住民1人あたりGDP、及び、それらの対比は、セルビア=モンテネグロの項も参照のこと)
通貨単位
2006年現在ユーロが流通している。
州都
プリシュティナ?
  • 基礎データ内の記述は、ウィキペディアをベースに、複数のソースを参照してまとめました。必ずしもウィキペディアの記述とは一致していません。

用途

 コソヴォ=メトヒヤ自治州の情勢は流動的で、近い将来どうなるか、まだまだ懸念がもたれると思います。

 2006年現在の情勢は、意外なほど「ブルーローズ」の冒険舞台として使い勝手がいいと思われます。ただし、シナリオ作者とGMの方で、舞台になる地域をコソヴォ自治州内で、ある程度限定していく必要はあります。

 まず、「ミッション導入部の冒険に使い、その後、他国に転戦する」想定のシナリオでは、正規ルートで自治州を離れさえすれば、ブルーローズをはじめて遊ぶ人を想定したシナリオでも使えるでしょう。なんらかの事情で、密出国しなくてはならない展開になっても、マスタリングの方で対処法を見出せることもあるでしょう。

 「セッション中盤での探索、及び、冒険に想定した舞台」「セッションクライマックスに想定した冒険の舞台」どちらにしても、舞台にする地域さえ選べば、割と派手めのアクションをおこしても、事後収拾の方法はあるだろうと思えます。

 自治州首府や、地方の中心都市で市街戦まがいの戦闘までおこしてしまえば、まず、間違いなく世界中の注目を集める大事件になってしまうでしょう。下手をすれば、地域の情勢を悪化させてしまうかもしれません。

 しかし、山間の僻地や山村などを舞台に設定しておけば、局地戦級の戦闘に至らなければ、どうにか事後収拾できそうです。例えば、小部隊と、武装集団小グループの銃撃戦あどはあり得る地域です。PCが関る戦闘に陰謀組織も関っていれば、陰謀組織の方で一般社会向けに真相をごまかしてくれるでしょう。

 派手な超常現象も、山間僻地などを舞台にして起す分には、一般社会の注目を集めてしまう事態は避けられるでしょう。せいぜい、タブロイド紙の紙面をしばらくにぎわす程度で済ませられると思います。

 いずれにしても、PCたちが物語内でコソヴォ自治州に入る前に、例えば財団NPCの口から「地域の情勢を悪化させるような事態は避けるように、要注意」とでも伝えておくことをお勧めします。

地勢と地域

地勢と環境

 コソヴォ自治州の地勢は、ほぼ全域が1000m内外の山地帯。

 東部のコソヴォ地方?は、全域が1000m強の山地帯で、山地は州域外のセルビア共和国諸州にも連なっている。

 西部のメトヒヤ地方?には、西側に標高500m程度の狭い盆地帯が存在。メトヒヤ北部のセルビア共和国諸州との境、東部のコソヴォ地方に連なる地域は1000m級の山地帯になっている。

 メトヒヤ地方西端のモンテネグロ共和国との境と、南東のF.Y.R.O.M.?(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)との境界とには2000m級の高山地帯が存在。南西のアルバニア領との境は、1000m程度の山地が断続しつつ、複数の鞍部に広めの渓谷が存在。

 気候は全般に極めて冷涼で冬季の冷え込みは厳しい。年間100日前後は、日中平均気温が0℃を割り込み、最低気温が零下10度を下回ることもある。冬季には降雪が多い。5〜9月にかけてはやや温暖。

地域区分

 コソヴォ=メトヒヤ自治州の州域は、面積対比で、セルビア=モンテネグロ全域の1割強にあたります。コソヴォ自治州を除いたセルビア共和国領(ヴォイヴォディナ自治州は含む)との面積対比では、12%強。

 自治州の地域は、まず、東部のコソヴォ地方と西部のメトヒヤ地方に大別されます。イバル川が流れる渓谷部が東西の境にあたります。この渓谷は、イバル川が途絶えた後の南方にも続いています。渓谷沿いにF.Y.R.O.M.?(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)との間に国際鉄路、及び、国際自動車道が布設されています。

 東部コソヴォ地方では、プリシュティナ?(1991年の統計で人口10万8千人)を州都に、人口10万人未満級の都市が山地各所の渓谷部に散在。

 西部メトヒヤ地方は、さらに西部の盆地地帯と、「北辺 〜 西方にかけての高山地帯」、「南東の山地地帯」、「東辺の山地帯」とに細別するといいでしょう。こちらも人口10万人未満級の都市が散在しています。

人口分布

 2005年現在、内戦と、国内難民の流入、流出により実態は不明になっている。

 シナリオ・メイクに際しては、各地の都市に流入難民も居住と想定。山地帯は過疎と想定しても許されるでしょう。

主要都市

 州都プリシュティナ?は、州域東部で、イバル川の東方やや離れた位置に存在。

 他に、西部のメトヒヤ地方の北部の山麓にペチ?、南部にプリスレン?が存在。

正規の出入国ゲート

 2005年現在、コソヴォ自治州州域の出入りは、国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の管轄です。実務は、コソヴォ人に任されているが、国連安全保障部隊(KFOR)の警護もあると想定。

 正式には、セルビア共和国との間の出入りは「出入国」ではないが、ここでは準じるものとして扱う。

スカイ・ゲイト
 コソヴォ自治州の州域内に本来は、国際空港は存在していなかった。州都プリシュティナ?の南方に存在する国内線空港には、連邦首都ベオグラード?やポドゴリツァ?の空港との間で便が運航されている他、2005年現在は、ウィーン?やチューリッヒ?から、各1日1便程度が運航されている。
国際鉄路
 F.Y.R.O.M.?(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)首都のスコピエ?との間に、国際鉄路が設けられている。この路線はイバル川流域を北上すると、コソヴォ領を抜け、セルビア共和国側で連邦首都ベオグラード?に至る路線に連絡している。
 出入国手続は、F.Y.R.O.M.(マケドニア)との国境前後と、コソヴォの州境を北に越えセルビア共和国の諸州に入る前後におこなわれると想定。
 なお、2005年現在も、F.Y.R.O.M.との国境のコソヴォ側の山地で、列車が武装勢力に襲撃される事件は散発しているとのこと。
国際自動車道
 コソヴォ自治州に至る国際自動車道は、F.Y.R.O.M.?(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)首都のスコピエ?との間に1本布設されている。
 また、西部盆地の南部に存在するプリズレン?から、アルバニア共和国のクーカス?に至る国際道も存在。西部盆地の北部のペチ?からは、モンテネグロ共和国の東部に向かう山間道も布設されている。
 F.Y.R.O.M.(マケドニア)との間の自動車道は、スコピエからの国際鉄路に絡むように走り、州都プリシュティナ?を経由した後西方にカーブ。セルビア共和国側の南縁を走り、モンテネグロ共和国の東部に入っている。
 なお、州都プリシュティナからは、北方に分岐しセルビア共和国側に入るルートがある。また、ルートが西方にカーブする手前のイバル川東岸を北上してセルビア共和国側に入るルートもある。

主要国内交通路

鉄路
 西部盆地の北部に存在する地方都市ペチ?から東に延びた地方路線が、スコピエ? 〜 プリシュティナ?を結ぶ鉄路に接合している。
自動車道
 スコピエ 〜 プリシュティナ間を結ぶ国際自動車道から、プリシュティナの南方で南西に分岐するルートが存在。このルートは、メトヒヤ地方の南東縁に沿ってプリズレン?に至った後、盆地帯の南西縁北西方向にペチまで至っている。
 ペチからは、プリシュティナの西方で国際自動車道に連絡する地方道も布設されている。ペチ 〜 プリズレン 〜 プリシュティナ近傍の基幹道は、全体として南を下にした逆三角形の道路網をなしている。これらのルートは、必ずしも整備された自動車道ばかりではないが、メトヒヤ地方西部の盆地では、準基幹的な道路網になっている。

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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