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ミタンニ

ミタンニ (Mitanni,Mittani) 簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「ミタンニ」は、紀元前2千年紀の中葉、平地メソポタミア北西部、ユーフラテス川中流域を中心に、数世紀の間、古代オリエント?の強国として知られた。同時代の他国からは、「ハニガルバド」と呼ばれることが多かった。「ハニガルバド」は、紀元前2千年紀頃、平地メソポタミア北西部を指した古代地域名にもなっていた。

 国家の起原は、定かに解明されていないが、エジプト側の記録から紀元前16世紀の末頃には、すでに国家が成立していたことが確実視されている。最盛期には、肥沃な三日月地帯?に沿って、ティグリス川の平地部上流も支配圏に納めた。

 紀元前14世紀に、内紛で国家が混乱。ヒッタイトに従属的になったうえ、前後して、支配域のかなりの範囲が、中王国時代のアッシリア?に奪われた。支配圏が狭まったミタンニ王国のその後は、衰滅したか、分裂したか定かではない。

 さらに後、あるいは、ミタンニの後継国家かもしれない幾つかの小国が、かつてのミタンニ領中核部に存続。これらの国家も、「ハニガルバド(諸国)」と総称された。ハニガルバドの小国家は、ヒッタイトに対しては独立的だったが、順次アッシリアに滅ぼされていった。概ね、紀元前13世紀前半頃のことになる。

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ミタンニについては、王都と伝えられているワシュカニの所在が、2006年現在も未確認。現在までのところ、古代エジプトやヒッタイトの遺跡から出土した外交文書などが、ミタンニ関連の主な史料になっている。こうした関係で、ミタンニについては未解明の謎や議論が多い。

 現状、研究者の間で概ねの合意が採られているのは次のようなことだろう。

ミタンニ王国はいつ頃成立したか?
  • 国家としてのミタンニの存在が確実に確認される、現在知られている最古の記録は、新王国時代古代エジプト?、第18王朝?のトトメス1世?の治世に建立された、ある墓所の墓標銘だ。
    この銘文を根拠に、B.C.1500年頃までには、第18王朝と交戦できるほどの国力を持った国家として、確実にミタンニが成立していた、と考えられている。
  • 他に、紀元前16世紀のヒッタイトの古文書に「フルリ人の王」についての記述が見られる。あるいは、これが初期のミタンニ王国を指すのではないか、とも、ミタンニ王国の前身だったのではないか、とも推測されているが、定かではない
ミタンニ王国はどこにあったか
  • 異文化からのミタンニの呼称「ハニガルバド」は、現在のシリア領北東部のあたりを指す古代地域名だった。
  • ミタンニ王国は、一帯の都市国家を服属させ、宗主国として上位に立つ、緩い地域支配で国際的な強国となった。
    ミタンニ王に服属王が任命された都市国家の調査から、ミタンニ王国(ミタンニ国家の王都)ワシュカニは、ほぼ確実に、現在のトルコに水源を持ち、シリア領を流れるカーブル川流域のどこかにあった、と推定されている。
ミタンニ王国はどんな国家だったか?
  • 現在ミタンニは、「フルリ人?(フリ人)系統の国家だ」とする説が有力視されている。
    ただし、フルリ人の系統自体に議論もあって、「フルリ人国家ミタンニ」の性格については、幾つかの説の間で議論が続けられている

さらに詳しい情報

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 ミタンニは、現在、フルリ人?(フリ人)の国家だったとする説が有力視されている。しかし、フルリ人の系統については、まだ議論の余地もあり、ミタンニ国家の性格についての議論にも影響を及ぼしている。

 現在、フルリ人は、ウラルトゥのように、現在のカフカス諸語に系譜関係を持つ古代言語を使っていたエスニック・グループ、とされることが多い。しかし、かつては、「フルリ人は印欧語系統の言語を使った民族」と唱えられていた。そのため、「フルリ人の国家ミタンニ」の実態についての議論に、若干の混乱が生じている。

 議論の混乱とは、主に次のような説の間での混乱だ。

  • 「印欧語系統の民族だったフルリ人が築いた古代国家が、ミタンニだった」
    この説は、主張の前節がほぼ否認されている古い説で、現在では少数派の意見でしかない。
  • 「印欧語系統の部族集団が、貴族的にフルリ人を従えて興されたのが、ミタンニだった」
    この説では、「フルリ人が印欧語系統の民族」とはされていない。
  • 「カフカス諸語系統であるフルリ人が印欧語系統の騎馬文化を受容することで強国化したのが、ミタンニだった」
    この説でも、「フルリ人が印欧語系統の民族」とはされていない。

 現在、ミタンニを巡る古代メソポタミア史の研究は、2番目の説(印欧語系民族貴族説)と3番の説(フルリ人の異文化受容説)との間の議論が焦点になっているのだが、今でも唱えられることがある1番目の説が絡んで、議論の焦点がぼやけることはあるようだ。

 とは言うものの、現在知られている、フルリ語の古代文献は比較的数が少なく、文法の解明に不充分な部分がある。したがって、「フルリ語印欧語系統説」も、ほぼ否定された意見とは言えても、「完全に否定された旧説」とも言い切れない。「フルリ人印欧語系統説」は、かつては主流説だったが、現状では、一旦、仮設の1つに差し戻されたような状況とみていい。

GM向け参考情報

 「増補待ち」

リンク

関連項目

資料リンク

  • Wikipedia英語版:Mitanni
    2006年12月現在、Wikipedia(en) のコンテンツは「印欧語系統の集団が、貴族的にミタンニを支配した」説を前提にしてまとめられているようです。

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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更新日時:2007/03/08 09:50:04
キーワード:
参照:[エンリル・ニラリ] [歴史上の国家、王朝、政権] [マリの遺跡] [ウガリットの遺跡] [ウラルトゥ王国] [小辞典ワールド編] [アダド・ニラリ2世]
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