エカトリア地方
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- アラビア語による現地名の音'
- Al-Istiwa'iyah(アル=イスティワ’ッイヤァフ)
- 英語名
- Equatoria(エクァトリア)
「エカトリア地方(エクァトリア)」は、現スーダン領の南縁で幾つかの州に渡る地域。領域は、東西が長く、スーダン国境南縁に沿った、三日月状、あるいは、角笛の線描にも似た輪郭の領域。
1980年代から激化したスーダン内戦に際して、SPLA(スーダン人民解放軍)などの拠点となった。2006年現在、事実上スーダン中央政府から反独立した、南部自治地域の主要部になっている。
南縁は、西から東に、中央アフリカ共和国領、コンゴ民主共和国領、ウガンダ共和国領、ケニア共和国領、と国境を接している。
東縁では、比較的短距離、エチオピア連邦民主共和国と国境を接している。
エカトリア地方は、スーダン内戦を通じてかなりの戦渦を被ったが、2005年、スーダン中央政府と講和。SPLA最高司令官が第1副大統領に就任した連立体制で暫定政府が発足した。
暫定政府は2011年まで、6年間の共同統治をおこなった後、南部で住民投票を実施し、連邦国家体制に移行するか、南部が独立するかを決定することも合意された。
ところが、副大統領就任直後のSPLA最高司令官が、ウガンダ共和国訪問からの帰途途中事故死。2005年7月のことだった。悪天候によるヘリコプター墜落事故、と公表されたが、南部の中心都市、ジュバで騒乱が起きた。南北講和条件だった、2011年の住民投票が実施されるかどうかは、危ぶまれている。
他に、隣国ウガンダ国内でテロ行為をおこなってきた神の抵抗軍?の拠点が設けられている。また、1988年頃、壊滅した反スーダン政府武装組織WNBF(ナイル西岸戦線)の拠点も設けられていた。
【参照イメージ】
(エカトリア地方の略図,Wikimedia Commons)
やや詳しい情報
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かつてのエカトリア(エクァトリア)は、1870年に行政区として確立された。その後、対エジプト反乱(マフディーの乱?)を経て、スーダンがアングロ=エジプト?に再征服されるた後、かつてのエカトリア行政区は、段階的に解体されていった。
現在は、行政実体はない。歴史的地域名に近い地域名とみて構わないだろう。なお、かつてのエカトリアには、現ウガンダ領北部の行政区が幾つか含まれていた。
現スーダン領内では、エカトリア地方は、北西でダルフール地方と、北でコルドファン地方と、北東で上ナイル地方?と隣接している。なお、2006年現在、スーダン南部勢力の事実上の自治領域は、エカトリア地方から、上ナイル地方の南部まで渡っている、と目される。
現在、スーダンのエカトリア地方に含まれているのは、次の7州。
- 中央エカトリア州
- 西エカトリア州
- 東エカトリア州
- 北ガザル川州
- 西ガザル川州
- アル・バハイラト州
- ワラブ州
なお、かつての行政区エカトリアだった地域には、現ウガンダ領北部の、ドゥファイル県と、ワデライ県とが含まれていた。
地域の中心的都市は、中央エカトリア州のジュバ?。
民族構成は、ディンカ族が主導的で、他にヌエル族、ペジャ族など多様。アラブ系は少数派の内の有力集団をなしている。宗教事情は、ディンカ族に多いキリスト教徒が主導的で、ヌエル族などは、それぞれの伝統民俗宗教を信仰している人が多数派。アラブ系には、イスラム信徒が多い。
東西に長い領域の中央部は、広義の白ナイル上流にあたる山地ナイル?の流域。西部にも白ナイルに合流するガザル川?の水系が流れ、領域中北部は、大湿原地帯サッドに占められている。
気候は、高温多湿の熱帯気候。雨季は、6月〜11月と、スーダン北部よりはるかに長い。低湿地お間に熱帯樹林が茂っていて、マラリヤなどの風土病も多い。
主要な都市は、スーダン南縁を縁取る山地の山裾部に偏る。その他の都市も、サッドの内に点在している低丘陵地に立地。
さらに詳しい情報
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現スーダン領内のエカトリア地方(エクァトリア地方)は、しばしば次の3地域に大別される。
- ガザル川地方
エカトリア地方の北西部で、ダルフール地方南部と、コルドファン地方の南部に隣接している。
2006年現在、北ガザル川州、西ガザル川州、アル・バハイラト州、ワラブ州からなっている。州を越えた行政実体はない。 - 西エカトリア
西エカトリア州。エカトリア地方東西中ほどの南部で、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国と国境を接している。 - 東エカトリア
エカトリア地方の東部で、コンゴ民主共和国、ウガンダ共和国、ケニア共和国、エチオピア連邦民主共和国と国境を接している。北縁では、上ナイル地方と隣接。
2006年現在、中央エカトリア州、東エカトリア州からなっている。州を越えた行政実体はない。
アングロ=エジプト統治時代の1948年に、ガザル川流域地域が、行政区として整理された。ほぼ前後して、現行の4州の前身である地区も分割された。
東エカトリアが分割されたのは、スーダン独立後の1976年頃のこと。
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参照:[アフリカ州のランド・マーク] [ランド・マーク] [ガザル川地方] [エクァトリア地方]