西サハラ地域
- 西サハラ地域 にしサハラちいき (Region of Western Sahara) 簡易版
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簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。
- アラビア語名の音
- as-?a?r?' al-Gharb?yah(アッ-サハラー・アル-ガービヤァ)
- スペイン語名
- Sahara Occidental(サハラ・オクシデンタル)
- 英語表記
- Region of Western Sahara(リィヂェン・オブ・ゥェスタァン・サヘァラ)
PCが予め知ってていい情報
- 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。
「西サハラ地域(アッ-サハラー・アル-ガービヤァ)」は、西アフリカの北西端、あるいは北アフリカの西端で北大西洋に面した地域。2006年現在、ほとんどの部分がモロッコ王国に実効支配され、一部がサハラ=アラブ民主共和国?に管理されている。モロッコ王国と、サハラ=アラブ民主共和国の双方が領有を主張。モロッコは主にモーリタニア国境に沿うように「砂の壁(Berm)」と通称される防壁を築き、サハラ=アラブ民主共和国のポリサリオ戦線を排除している。砂の壁はモロッコ国内からつながっている。
旧スペイン領サハラの一部だった土地で、国連は、「自治政府をもたない領域(United Nations list of Non-Self-Governing Territories)」リストに入れている。「西サハラ」が国際的な呼び方で、モロッコでは「南部地域」と呼んでいる。
国連などの仲介により、住民投票で地域の帰属を決定することは、モロッコ王国、サハラ=アラブ民主共和国、両政府も合意した。しかし、住民投票有権者の範囲で合意がとれず、膠着状態が続いている。
1991年から、国連平和維持活動(PKO)として、国連西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)?が派遣されている。
【参照地図】
- Western Sahara(HOLT RINEHART WINSTON WORLD ATLAS)
(Wikimedia Commons)
赤系の太線で記されているのが「砂の防壁(Berm)」。
やや詳しい情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
西サハラ地域の領域は、266,000平方km。人口は、2005年の統計で、341,000人。平均人口密度は、1平方kmあたり、1人ほどになる。実際は、北西沿岸部に人口が集中し、その他の地域は、1平方kmの人口密度が1人未満であるようだ。
文字通りサハラ沙漠の西縁を占める地域で、全域が沙漠気候?地帯に分類されている。わずかなオアシスと、狭小な沿岸部を除いて沙漠地帯が広がる。
秋季に数10mm程度の降水がある。農業は、旱魃の被害を受けやすい。イナゴの大群が発生して虫害を被ることもある。
東部は岩地性の岩山沙漠で、大西洋沿岸に向け、標高が下がっていく。
北部はアトラス山脈?の山裾にあたり、岩石沙漠が広がる。
アルジェリア領からモーリタニア領を経て、西サハラの北西部を斜めに横切り、大西洋に続く大きなワディ、ヤット(Jat)がある。このワディは秋季に流水を見て、農業用水に用いられている。これ以外の地域、特に内陸部では、降水が地下水となってオアシスを潤している。
モロッコ政府が、本来のモロッコ領内から設けた「砂の壁」の西側は、地域の北部から西部にかけて、およそ2/3を占めている。この地域が、事実上モロッコ当局が言う「南部地域」にあたる(もちろんモロッコ当局は全域の領有を主張している)
東側で北辺を欠く1/3ほどが、サハラ=アラブ民主共和国に管理されている地域で「解放区」と呼ばれている。
両地域の間では、国連西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)が設定した、停戦地帯が設けられている。元々沙漠地帯で過疎であるため、停戦地帯の維持は比較的困難が少ない、と言われている。
地域は農耕に適さなず、伝統的な主産業は漁業だった。ラクダ、ヤギの牧畜も営まれる。
燐鉱石を産す。領海に海底油床の存在が推測されている。
住民は、ベルベル系のエスニック・グループとアラブ人。土着アラブ人の多くも、アラブ化したベルベル人と考えられる。
一帯は、1884年にスペインによって領有された。1958年に、スペイン領有地から分割されたイフニ?は、後1869年にモロッコ領とされた。
1976年にスペインが西サハラの領有を放棄すると、領有権を主張したモロッコ王国とモーリタニア=イスラム共和国とが分割統治。地域の独立を唱えるポリサリオ戦線?も、サハラ=アラブ民主共和国の独立を宣言した。
1979年、モーリタニア政府はポリサリオ戦線と単独和平協定を締結し、地域の領有権を放棄。(モーリタニアによる、サハラ=アラブ民主共和国の国家承認は、1984年のこと)。モーリタニアの撤退と同時に、モロッコが支配地を拡大したため、紛争は長期化した。
1988年、国連事の和平提案に、サハラ=アラブ民主共和国(ポリサリオ戦線)、モロッコが合意。住民投票を実施して。地域の帰属を決めることになった。1991年、国連の仲介で停戦成立。同年、国連西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)が創設され、派遣された。
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参照:[ランド・マーク] [モロッコ王国の有用地図集] [モロッコ王国の基本情報 2008年版] [ダフラの町] [小辞典ワールド編] [西アフリカ] [アフリカ州のランド・マーク] [モーリタニア=イスラム共和国] [アラブ・マグレブ連合] [アルジェリア民主人民共和国] [中東] [モーリタニア=イスラム共和国の基本情報 2008年版] [西サハラ地域の有用地図集] [アルジェリア民主人民共和国の基本情報 2008年版] [カナリアス諸島] [モロッコ王国] [アルジェリア民主人民共和国の基本情報 2009年版] [マグレブ] [アフリカ] [株式会社 道祖神 - アフリカ大辞典] [国際関係の関連用語] [大西洋のランド・マーク]