アリーシュ市
PCが予め知ってていい情報
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アリーシュ市は、シナイ半島の地中海沿岸部に位置するエジプト=アラブ共和国の都市。
市域は、大きめの涸谷、ワディ・エル-アリーシュの河口部付近で、シナイ半島北岸に敷設された主要自動車道の途上に広がっている。市域南部の沿岸部には、高級ホテルや、ヨット用マリーナが多数営まれるリゾート地も含まれている。
エジプトとガザ・ストリップ(パレスティナ暫定自治領?)の間に設けられた国境ゲート、ラファフの国境ゲートに至近。
(ラファフ国境ゲートは、2007年現在、全面閉鎖された状況が続いている)
中心市街(旧市街)は、沿岸部には接していない。海岸からやや離れた位置で、ワディ(涸谷)?を囲んだ両岸に渡っている。
【参照地図】
- Egypt,Map(Egypt,Encyclopedia Britanica online)
(エジプト=アラブ共和国主要都市図,Wikimedia Commons)
やや詳しい情報
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アリーシュ市は、北シナイ県の行政中心地で、県域北縁の東寄りに位置している。シナイ半島沿岸に敷設された主要地方道を通ると、東方のラファフの町まで48kmほど。
アリーシュの旧市街(中心市街)は、オスマン=トルコ時代に築かれた。沿岸自動車道に近接しているものの、少しズレた位置にある。沿岸自動車から分岐し、南に向かう主要地方道が、中心市街中ほどの屈曲した通りを経由している。
エジプトの他県同様に、大統領に任命された県知事が、中央政庁から派遣され北シナイ県を統治している。
市域の人口は、およそ115万人弱(2002年)。
アリーシュ市は、シナイ半島がイスラエル国に占領された1967年からイスラエルに統治され、エジプト政府がイスラエルと講和した後1979年に穏便に返還された。1956年にも短期間イスラエルに占領されたこともある。
1979年の返還後は、エジプト-イスラエル間の交通センターとして発展。滞留する旅行者も増えて現在に至っている。
現在の市街地は、16世紀半ば過ぎに創建されたものが直接のルーツになっている。オスマン帝国が地域を支配していた時代のことだ。
それ以前は、ワディ(涸谷)を囲んだ一帯が、沙漠遊牧民であるベドウィンの生活圏になっていた。ワディ・エル-アリーシュは、季節的にシナイ半島中部以南からの水流が流れるので、現在もアリーシュ市の水供給源として利用されている。
現在のアリーシュ市のあたりには、プトレマイオス朝時代に都市的な交易拠点が栄えていたことが知られている。意外なことに、地域の本格的な考古学調査は現在までのところおこなわれていない。
中世に、シリア・パレスティナ地方を訪れたクリスチャンの巡礼者たちは、この古代都市の遺構を出エジプトの民が過ぎこしの祭りをおこなった地と憶測して、そのように伝えた。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
「増補待ち」
【参照地図】
- Map of Sinai Peninsula(Egypt Maps,Egypt myway)
- Sinai 地図(北エジプト 地図,Super Travel Net)
- Al `Arish, Egypt Page(World Index)
- Satellite Images of Al `Arish(Shamal Sina (North Sinai) Google Satellite Map,maplandia)
- National Geographic Society - Maps
インタラクティブ・マップ。“El-Arish”で検索していくといい。
交通路
- 空港
- エル-アリーシュ国際空港
主にヨルダン-エジプト間の就航に用いられている、地域の国際空港。GMはセッションでの取り扱いを事前に検討しておいた方がいい。
- 海港
- アリーシュ市には、ヨット・ハーバーやマリーナの類しかない。
シー・エクスプローラー級船舶の寄港は不可能、と想定。
- 鉄路
- 2007年現在、アリーシュ市の近傍には、鉄路は敷設されていない。
カイロ市からイスラエル方面に到る鉄路が、市域内を通過して建設中。
- 自動車道
活用や検討
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参照:[シナイ半島] [エル-アリーシュ国際空港] [エジプト=アラブ共和国の諸地域] [北シナイ県]