ナブー神
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 古バビロニア時代以降のメソポタミアで、広く崇拝されたナブー神だが、その出自は、シュメール・アッカド系ではない。バビロニア?で崇拝されるようになったのは、おそらく、紀元前2千年紀の初頭頃からのこと。
- バビロニアの公文書類に、ナブー神の名が見られるようになったのは、紀元前18世紀、ハンムラビ王?の代以降になっている。
- 歴史言語学者たちの間では、ナブー神は、当時、西セム語系統の民族に崇拝された神だ、ということで意見の一致がみられている。この研究を受けて、ナブー神崇拝をバビロニアにもたらしたのは、おそらくアムル人(アモリ人)のいずれかの部族だろう、と予想している研究者は多い。
- しかし、現在までのところ、この予想を裏付ける物証は発見されていない。
- ナブー神崇拝の儀式が最初におこなわれたのはバビロンの衛星都市にあたるボルシッパ。ボルシッパ市近傍に位置したエ・ズィダ神殿が、のおそらくは、バビロニアで最も古いナブー神の神域だったと思われる。
- ほどなく、ナブー神は「(バビロン市の祭神とされた)マルドゥック神の代官」と呼ばれるようになり、次いで、「神々の書記官」として、書記の守護、文字を書き記すことを司る役割を、シュメール系の古い神格、ニサバ女神から奪い、「マルドゥック神(直属の?)書記官」とも言われるようになった。そして、さらに、「マルドゥック神の最愛の息子」とまで呼ばれるようになった。
- マルドゥック神も出自が定かでなく、「シュメール・アッカド時代に遡るメソポタミア神」とも「アムル人がバビロンに王朝をを建てるのと前後してメソポタミに伝えた神」とも様々に言われる。
- 古バビロニア王国では、マルドゥック神がバビロニアの地域神、国家神として神格を高めていったのを追うように、ナブー神崇拝が広まっていった。ナブー神とマルドゥック神との急速といえる結びつきの強化は、両者がアムル人によってバビロニアもたらされた神格だからだろう、と推測している研究者も少なくない。
- 少なくとも、こうした動きが、ハンムラビ王を出したバビロン第1王朝?が、バビロニアに定着していたアムル人が打ち立てた王朝だったことと関係しているはず、ということは確からしい。
- また、ナブー神崇拝の隆盛には、古バビロニア時代以降、シュメール語?が古典語となり、シュメール語を修得する書記官の知識人としてのステータスが、それ以前よりあがったこととも関係すると推測されている。
- ナブー神にまつわる名を持つ個人は、バビロニアでもアッシリアでも見られる。おそらく最も有名な1人は、新バビロニアの王ネブカドネザルだろう。ネブカドネザルのバビロニア名、「ナブー・クドゥリ・ウスル(Nabu-Kudurri-usur)」は、「ナブー神よ、(国境の)境界石を守護したまえ」を意味した。
- 小事典版推奨判定
- 「表現+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 「比較的短期間の内に、バビロニアに崇拝が広まったナブー神は、以降、いくつかの祭儀で祭神とされたことが知られています。
- ことに盛大で重要視されたのは、春に営まれた新年祭アキツ祭?です。これは、マルドゥック神の神域で催された祭儀ですが、ナブー神の降臨も重要で、祝祭の行列が神像をボルシッパからバビロンに担ぎ入れるのをきっかけに開催されるのが通例となりました。
- 何らかの政治的事情で、神像搬入がおこなわれなかった年は『ナブー神がボルシッパから来臨しなかった年』と、記されているほどです。
- バビロニアで営まれた祭儀としては、他に配偶神ナンナ女神との聖婚儀式が盛大でした。崇拝が広まったアッシリアでは、タシュメトゥム女神が配偶神とされ、やはり聖婚儀式が営まれました」―― 考古学にかぶれた民間伝承研究家
- 小事典版推奨判定
- 「言語+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 「歴史言語学では、すでに知られている言語を元に、より古い段階の言語形態を推定復元していきます。普通の歴史学とも、考古学とも別種の学問ですし、取り扱えることと、取り扱えないことに、自ずと限界もあります。
- ナブー神関連の現在知られる文書で使われている言語から、『紀元前2千年紀頃のセム語系統の言語で崇拝されていた神』とする歴史言語学の推定分析には、かなりの精度が認められます。逆に、これ以上の情報を解明するには、古いナブー神崇拝に関する古文書が多量に新発見される必要があります。
- 例えば、ナブー神の神名についてですが、歴史言語学者の間でも幾つかの推測が言われていて、共通見解はなりたっていません。
- ナブー神の神名についての語源解釈は、次の2説が主要説でしょう――
- 呼び出されしもの、述べ伝えるもの
- きらめくもの、輝くもの、賢きもの(現在の英単語“bririant"にも似た含意です)
- 西セム系統の古代言語で、現在はまだ知られていない単語から派生した神名、との可能性があり、現状では肝心のところが定かにされていません」−− フィールドの言語学者
- 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「魔術/分析+知性 目標値12〜14」
- さらに詳しい情報 「ナブー神の名を『輝くもの、賢きもの』と見る説は、古代アラム語に見られる単語“ne abu”(ネ・アブ) の、さらに古い形と神名が関係すると見る説だな。ナブー神が、バビロニア、アッシリアで『知恵の神』とされた事実とも符合する。
- しかし、西セム系の古代言語で『呼ぶ、語る』を意味した単語との関係も興味深い。
- ユダヤ教で『(神によって)呼ばれた者』『(神の)代弁者』を含意し、古いタイプの預言者を意味した『ナービー』と同じ語根から派生している、とみて構わないだろう。
- 歴史言語学者が『西セム系統の古代言語で、現在はまだ知られていない単語』などと、遠まわしに言っているのは、『ナービー』の語源にあったはずの単語で、同じ単語がナブー神の神名の語源になったはずだ、という話だな。
- 何しろ、アムル人は、同じ西セム系古代民族から出た古代ヘブライ人と遠からぬ民族?だからな。
- 魔術的見地から言えば、歴史言語学者たちが手探りしているナブー神の語源は、どれかに絞る必要があるとも思えない。すなわち「(神意を)述べ伝えるために呼び出された、きらめき輝く賢きもの」、これこそがナブー神の本質とは思わないかね?
- バビロニア占星術では、ナブー神は水星と関係するとされた。ヘレネス?は、ヘルメス神?と同一視し、『知恵の神』としての神性をアポロン神?と同一視もした。ローマ人はもっぱらメルクリウス神?と同一視したな。
- ナブー神は、ユダヤ教聖典(『旧約』)では『ネボ』と記されている。『イザヤ書』46-1だ。
ベルはかがみ込み、ネボは倒れふす。
彼らの像は獣や家畜に負わされ
お前たちの担いでいたものは重荷となって
疲れた動物に負わされる。
- 日本語訳文は、日本聖書教会の新共同訳に依った。
- ところで『ネボ』は、南スラブ系の言語では『空、天界、天国』を意味するな。これも興味深い」―― 結社をはぐれた魔術師
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」
- さらに詳しい情報 ナブー神の崇拝が、アッシリアにも広まった経緯、背景はよくわかっていない。
- アッシリアではアダド・ニラリ3世の代に崇拝が盛んになった。アッシリアに崇拝が伝わったのは、アダド・ニラリ3世の代よりも以前と思われる。
- アダド・ニラリ3世の代のカルフでは、一部で「ナブー神のみを崇めよ」との一神教的な運動が生じたふしもある。ただし、この件は、ナブー神への奉献文についての解釈がかかわり異論もある。
- あるいは、バビロンの主神マルドゥック神に対抗しえる神と目されたのかもしれないが、定かではない。
- サルゴン2世が、カルフの位置に建造したドゥール・シャルルキンには、大きなナブー神殿が築かれた。
- 小事典版推奨判定
- 「魔術+知性 目標値12〜14」
- さらに詳しい情報 「アッシリアでのナブー神崇拝の隆盛を、政治面から整理していくのは、いかがなものでしょうか。1つのアプローチではありますが、まずは、崇拝の実態から見ていくべきと思えます。
- 書記の神、神々の書記官であるナブー神は、高位の神への請願を、下位の神に取次ぎいでもらうよう祈る、とのメソポタミア系文明に共通した宗教的習慣に基づいて、アッシリアでの崇拝が盛んになりました。
- ナブー神の持ちものである粘土書板には、神々の会議の議決が記される、と説かれ、国家や個人の運命もそこに記されている、と信じられるようになりました。
- こうした事情で、神々の会議への請願取次ぎをナブー神に祈願する、という崇拝がアッシリアでは盛んになったのです。
- アッシリアでは、崇拝が盛んになった神は、国家神、軍神としての性格が強められるという傾向が目立ちますが。ナブー神崇拝は、やや例外的で興味深い事例と言えるでしょう。
- ただ、アッシリア帝国の末頃には、ナブー神も、軍神ニヌルタ?に似た性格を帯びるようになったようです」―― 考古学にかぶれた民間伝承研究家
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
アイデア・フック
- 小事典版推奨判定
- 「判定方式 目標値 GM裁量」
- インスピレーション 「ねぇ、なんか変だよ。ナブー神は『マルドゥック神の最愛の息子』になったんでしょ?
- マルドゥック神は、バビロニアの偉い神様で、アッシリアに拉致されたことあるんだよね? そうだよね??
- それなのに、ナブー神の方は、アッシリアでも大人気で偉い神様になったの? なんで? どして??」―― ヒラメキの調査員
- 「うむ、おそらくナブー神が、『述べ伝えるために呼び出された、きらめき輝く賢きもの』であり神意の代弁者であることがアッシリアで見出され」「それは、飛躍がありすぎて無理がある推測でしょう」「いえ、しかし、神々に請願を取り継ぐ役割は重視されたのですから、聞くべき面も」「バビロニアの主神を懲罰することに政治的意味があったが、その代わりにアモリ系神格であるナブー神を高めることにも、政治的意味があったという可能性が」
- 「なぁるほど、つまり、まだ、よくわかってない謎なのね☆」
補足情報
新アッシリアの王が、アダド・ニラリ3世だった時期、一時的にアッシリアの政治的統合力が鈍ったと思われるふしがあります。(参照⇒アダド・ニラリ3世
この時期、アッシリア領域の一部で、ナブー神のみを崇拝するよう、一神教的な方向を目指した宗教運動があったか(?)、と思われる奉献文書が知られています。
解説文にも織り込まれていますが、その後、この運動が勢力をもったという証拠は知られていないそうです。この件は「異論もある」として織り込んでいます。
ナブー神の神格
- 呼称
- 「知恵の神」、「マルドゥック神の代官」、「神々の書記官」、「マルドゥック神(直属の?)書記官」「マルドゥック神の最愛の息子」
- 図像
- メソポタミア系の男性神らしい、整えられた髭を長く蓄えた人間の姿。
- 丸みを帯びた背の高いふち無し帽を被るが、帽子の両脇に細長く湾曲した角が這うように添えられているのが特徴。
- 神像には、腰の前で両腕をクロスしているようなポーズがまま見られる。
- 持物
- 粘土板タブレットと、葦ペンとが持ち物とされた。
- 神聖動物
- 崇拝が盛んになった後、有翼のムシュルフ?が、ナブー神の騎乗する神獣とされた。
- 聖域
- 知られる最古の聖域は、ボルシッパのエ・ズィダ神殿。バビロンにあったマルドック神の神域とも所縁が深かった。
- アッシリアでは、カルフでの崇拝が盛んだった。後、カルフの位置に創建されたドゥール・シャルルキンの遺跡では、ナブー神跡が確認されている。
- 主要祭儀
- バビロンで執りおこなわれた春の新年祭、アキツ祭?で重要な役割を担った。バビロニア?では、他に、配偶神ナンナ女神との聖婚儀式で祀られた。
- アッシリアでは、タシュメトゥム女神が配偶神とされ、聖婚儀式が営まれた。
- 他の神々との関係
- 神々の(会議の)書記官とされ、マルドゥック神の代官、書記官とされ、さらに「マルドゥック神の最愛の息子」とされた。この段階で、ナブー神はエア神?の孫とみなされた。
- 初期のナブー神は、書記の神、文字を書くことを司る役割を、シュメール系の古い神格であるニサバ女神から奪った。
- 関連遺物
- ドゥール・シャルルキンの遺跡の位置から発掘されたナブー神像。カルフ時代に奉納さらたもので、現在はU.K.(連合王国)のブリティッシュ・ミュージアムに収蔵されている。
活用や検討
活用
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- 内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。
(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) - 追加調査の情報を用い、ほぼ全面的な改訂となりました。以前のテキストでは、曖昧にボカした表現で可能性が示唆されていた内容に、いくつかのあやまちがありました。改訂してあります。ご注意ください。(2006年6月11日)
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- このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など
- 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます)
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キーワード:
参照:[神話、伝説のキャラクター] [マルドゥック神] [アダド・ニラリ3世] [ドゥール・シャルルキンの遺跡] [アッシュルの遺跡] [アイデア・フック]