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スヴァネティ

スヴァネティ(地方) (Svaneti) 暫定版

記事内容追加調査中の暫定版です

PCが予め知ってていい情報

 スヴァネティ地方は、現在のグルジア共和国?領の北西部で、自称アブハジア自治共和国の領域の東に隣接する山岳地帯の、歴史的地域名。スヴァネティアとも、スワネティ地方とも。

 大カフカス山脈に属す西カフカス山脈?中部の南斜面にあたる。スヴァン人の伝統的生活圏でもある。

 伝統的には上スヴァネティ(ゼモ・スヴァネティ)地方と下スヴァネティ地方からなった。上スヴァネティでは、地域の伝統的家屋や、グルジア正教?の教会建築や聖画(イコン?)など宗教的な遺産が、1996年以降ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されている。

追加情報

小辞典版推奨判定
「生存+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 スヴァネティ地方は、南以外の3方を概ね3000m〜5000m未満級の山列に縁取られ、南方ではより低い山地に連なている山岳地帯。最も低い地域でも、標高800m超。伝統的な集落は、だいたい標高800m〜2000m未満の地域で、主に山岳河川の渓谷部に散在。
 カフカス山脈の高峰10の内、4峰が域内に存在。グルジア領内の最高峰であるシュハラ山(標高5201m)、テツゥヌルディ山(4974m)、ショタ・ラスタヴェリ(4906m)、ウシュバ山(4710m)の他、4525mのアイラマ他も域内に存在。
 イングリ川流域を境に、北西部にあたる上スヴァネティ(ゼモ・スヴァネティ)地方と、南東部にあたる下スヴァネティ(クヴェモ・スヴァネティ)地方との2地域が伝統的区分。また、歴史上は、現在、自称アブハジア共和国?の領域になっている地域の東端や、現ロシア連邦領の一部で隣接している地域も、スヴァネティ地方に含まれていた時期も長かった。
 現在、上スヴァネティ、下スヴァネティの両地方は、それぞれに伝統的地域区分とは異なる行政区分に編成されている。この行政区分は、地域が帝政ロシアの属領となった19世紀以降、周辺地域と併せて再編されたものに遡る。歴史的背景や文化面での共通性からすると不自然な行政区分に対しては、過去に反乱の理由とされたこともある。
小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 旧ソ連崩壊?後のスヴァネティ地方では、グルジア?内戦、経済的混乱、治安悪化に、自然災害も重なり、近年スヴァネティ地方から他の地域に移住する住民が少なくない。
 ことに2005年春、グルジアを見舞った集中豪雨はスヴァネティ地方で大規模な山崩れを招いた。この後、スヴァン人ら地域住民の間に他地域への移住の動きが強まっている。

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 文字に記録されたスヴァネティ地方の歴史の最も古いものは、半ば以上、伝説と入り混じっているが、古代コルヒダ王国の辺境部としての記述になる。その後、6世紀頃まで続いたラズィカ王国では、スヴァン人たちが、ビザンツの侵攻に対する戦いのイニシアティヴをとった。この間、紀元4世紀頃からキリスト教がスヴァネティ地方にも伝播。6世紀までには、グルジア正教がスヴァネティ地方に定着したようだ。地域のキリスト教化は、もっと遅く、9世紀頃との説もあるが、伝統宗教としてのグルジア正教信仰は、現在まで続いている。
 ビザンツ帝国とペルシア帝国との間に挟まれていたラズィカ王国は、その後いくつもの地方勢力に分裂。8世紀には、グルジアの西部が、アラブ、イスラム勢に征服された。その後、11世紀にグルジア中部のカルトゥリ地方から勢力を広げたバグラト朝が中世グルジア王国を成すと、アブハズ地方も併合。12世紀にはイスラム勢を一旦、グルジア西部からも追いやった。この時期、スヴァネティ地方もグルジア王国の一部として侯領を成した。
 12世紀末〜13世紀末、中世グルジア王国がタマラ女王に統治された時期は、中世グルジア王国の黄金時代と呼ばれる。歴史伝承によれば、スヴァネティ候は戦士団を率いて定期的にタマラ女王の下を訪れ忠誠を尽くした、と言われる。この頃、スヴァン人の兵団は、「獅子(グルジア系の言語でレミ)」と呼ばれ、勇名を馳せた。
 その後、モンゴルの西征軍がカフカス地方を席巻してグルジア王国も混乱に陥ったが、モンゴル勢がスヴァネティ地方?に足を踏み入れることはなかった。
 中世グルジア王国は、15世紀にはオスマン=トルコとイラン高原のイスラム王朝とに挟撃されて滅び、東西に分割された。しかし、上スヴァネティ地方のスヴァン人らは、この時期も独立を保った。その後、17世紀までには下スヴァネティ地方も、オスマン=トルコの属領とされたが、1833年に帝政ロシアに割譲された。しかし、両スヴァネティ地方は、交通の不便さゆえにしばらくは、事実上の自治領のような状態にあった、と言われる。
 1857年頃から、ロシア帝国の統治がスヴァネティ地方に及びだしたが、1875年、増加する重税に対して反乱が勃発。ロシア軍が投入され、1876年には反乱拠点が制圧された。ロシア革命後、ソヴィエト政府は、地域をメスティアとレンテキに分割したが、地域ではこれを不満とするゲリラ戦が戦われた。ソ連時代の公式歴史では、この反乱は1922年〜1924年のこと、とされている。

GM向け参考情報

用途、用法

 2006年現在のスヴァネティ地方は、冒険のメイン舞台にするには、扱いにやや注意を要す地域と言えますが、大変困難な地域、とまでは言えないでしょう。

 シナリオ傾向にもよりますが、ある程度、地域情勢に配慮したシナリオを準備すれば、やり甲斐のある冒険を用意できる舞台と思えます。

 詳しくは「上スヴァネティ」の項を参照してください。(⇒ 上スヴァネティ

 ここでは、上スヴァネティ地方に入る場合、PCが下スバネティ地方から入るような展開を導くと、よりチャレンジングな冒険を演出できるかもしれない、とコメントしておきます。逆に、上スヴァネティから、下スヴァネティへ手がかりを追って移動しなくてはならない展開でも構いません。

 現在、上スヴァネティに入る一般的メイン・ルートは、サメグレロ?地方のズグディディ?からの山間自動車道で。下スヴァネティ〜上スヴァンティ間のルートは、いわば間道的になっています。

 新しい幹線道が開かれたために、古くから使われた道が廃れてしまうこと、日本でもどこの国でもありますよね。そんな感じでイメージして構わないでしょう。

地勢と環境

 スヴァネティ地方は、大カフカス山脈に属す西カフカス山脈の中部で南斜面を占める山地地帯。標高800m超の山岳地帯で、南方以外の3方を3000m〜5,000m未満級の高山群に縁取られている。

 伝統的には、イングリ川上流部の北、及び西にあたる「上スヴァネティ(セモ・スヴァネティ)」と、イングリ川の南方、及び東にあたる「下スヴァネティ(クヴェモ・スヴァネティ)」とに大別される。

【参照】

⇒ グルジア共和国の有用地図集?

上スヴァネティ(ゼモ・スヴァネティ)の地勢
 東で自称アブハジア自治共和国領と接し、北は大カフカス山脈の脊梁部を挟んでロシア連邦領のカラチャイ・チュルケス共和国?、ガバルダイ・バルカル共和国?領と接す。
 ガバルダイ・バルカル共和国との国境近く、グルジア側に標高4710mのウシュバ山がある他、アブハジア自治共和国領との境界部には、標高3313mのコジャリ山も存在。
 イングリ川は、ウシュバ山の東で、大カフカス脊梁部から流出した後、下スヴァネティ側の山列に阻まれ西流、アブハジアとの境界の東方で大きく屈曲すると南流しつつコルヒダ低地に流入。
(イングリ川は、平地部でグルジア - アブハジアの境界を成した後、南西流して黒海?に流出。
下スヴァネティ(クヴェモ・スヴァネティ)の地勢
 北で大カフカス山脈の脊梁部を挟んでロシア連邦領のガバルダイ・バルカル共和国?領と接す。南でサメグレロ地方(コルヒダ低地)、南でイメルティ地方?と接す。
 上スヴァネティ地方の東方、イメルティ地方の北方にあたる地域(ラチャ=レチュクミ地方)は、山並みが入り組んだ人口過疎地帯。この過疎地帯の東が旧南オセチア自治州?の領域になっている。
 ガバルダイ・バルカル共和国との国境上に、標高5201mのシュハラ山がある。
 下スヴァネティでは、地域の中ほどでライラ山(標高4008m)の南麓から流出したツヘルスツカリ川が、周囲の山峰に阻まれ、一旦東流。地域東部を縁取る高山地帯に突き当たると、リオニ川が南流に転じるあたりで合流し、コルヒダ低地の東部に流出。
(リオニ川はコルヒダ低地東部で、西流に転じ、黒海に流出する)
両スヴァネティ地方共通の環境
標高800m超〜1800m未満の地域 針葉樹と広葉樹の混合林が多い。人口が少ない地域では、深い森林に占められる。
 標高800m〜1000m程度までの地域では、黒海沿岸の気候の影響が大きい。季節は、高度の割には温暖で過ごし易い夏季が長く、降雪の多い冬季とに区分される。
標高1800m以上〜3000m未満の地域 高山植物の多い草地が主になっている。3000m近くになると、氷河と万年雪とが見られる。
 標高1000m〜3000m未満までの地域では、季節は冷涼で3ヶ月未満の短い夏季と、長い冬季とに区分される。冬季に5m近くの深い積雪を見る。冬季から夏季に入る時期には雪崩が多くなる。
 しかるべき準備もなく、標高3000m以上の地域に立ち入ることは無謀であり、常に遭難の危険が伴うと想定。シナリオ・メイクでも、難易度の極めて高い判定を多数準備することを推奨。
標高3000m以上の地域 万年雪に占められる地域で、氷河も見られる。夏季と呼べる季節は無い。

地域区分

 2006年現在のグルジア共和国?では、スヴァネティ地方も、伝統的な地域大別とは別の行政区に細分されている。

 歴史的なスヴァネティ地方は、他の歴史的地域と併せて、「サメグレロ=ゼモ・スヴァネティ」「ラチャ=レチュクミ、及び、クヴェモ=スヴァネティ」の2行政区に分割されている。

 この内、「ラチャ=レチュクミ、及び、クヴェモ=スヴァネティ」の行政区が、旧南オセティア自治州?の領域(「シダ・カトリ」の行政区の北部あたる)に隣接していることには、特に留意されたし。

【参照】

⇒ グルジア共和国の有用地図集?

人口分布

 人口分布は不明だが、平均人口密度は、「上スヴァネティ地方」のそれが、「下スヴァネティ地方」のそれより低いと想定しておいていいのではないか(?)。

 スヴァネティ地方を、冒険舞台に選ぶシナリオでは、地域の人口密度よりも、スポットの高度と山地河川との関係を考慮して、人口の過疎を想定していった方が実際的だと思われる。

 傾向として、標高が高くなるにつれ、急速に人口密度は疎になり、同じ高度では、山地河川流域の渓谷部の方が人口が密度が高いと想定していけばいいだろう。

主要集落

上スヴァネティ地方
メスティア イングリ川上流の流域渓谷部に存在する町。
ウシュグリ村 メスティアの南東50kmほどに位置する村。スヴァン人の伝統家屋である、石造りの方形塔が多数残る。方形塔はメスティアにも遺るが、メディアでの世界遺産の紹介で、よく使われる映像には、ウシュグリ村で取材されたものが多い。おそらく、山間の景観が美しいからだろう。
下スヴァネティ
チクハシ イングリ川上流部の南方に存在する町。
その他
オニ スヴァネティ地方の都市ではなく、ラチャ=レチュクミ地方の都市。旧南オセティア自治州の領域に近い。

【参照】

⇒ グルジア共和国の有用地図集?

正規の出入国ゲイト

 歴史的な意味でのスヴァネティ地方には、正規の出入国ゲイトは一切無い。

 上スヴァネティ地方の東部は、自称アブハジア自治共和国の領域と接しているが、この境界部は2006年現在、両サイドで封鎖されている。何かの事情で、不正規越境を試みるにしても、サメグレロ地方に近い境界南部でなければ、事実上山岳地帯の踏破は不可能と想定。

 ロシア連邦領との境界部も、同様に山岳地帯の踏破は不可能と想定。

 これら高山地帯の踏破を試みるとしたら、それ自体が1つのシナリオのメイン冒険になるほどのテーマだと思われる。

主要国内交通路

空港
 地域に空港の類は無い。しいて言えば、イメルティ地方?のクタイシ?近傍の空港が最も近い。
鉄道
 地域には鉄道自体が敷設されていない。
自動車道
 サメグレロ地方?のズグディディから、イングリ川に絡むように敷設された山岳地方道が、メスティア?まで至っている。このルートは、メスティアの東でもイングリ川上流沿いに続き、イングリ川源流を回り込んだ後、チクハシに至っている。チクハシを過ぎた後は、山間渓谷部を縫うようにリオニ川の中流域まで延びる。リオニ川隆起では、クタイシからオニ方面に通じる山岳地方道に接合。
 大まかに言えば、この地方道は、歴史的な意味でのスヴァネティ地方縁辺の内側を走っているようなルート、道路設備の格はあまり高くないと想定。シナリオの都合に併せた判定で事故を起こすと、渓谷に落下してしまう箇所も多いと想定。
 このルートの各所から、渓谷沿いに未整備な山道も分岐、内にはある程度自動車で進めるルートもあると想定。(シナリオの都合に併せてフィクション設定して構わない範囲でしょう)
 なおこのルートは、ズグディディとクタイシとで、グルジアの基幹自動車道に接合している(参照⇒ グルジア共和国?

【参照】

⇒ グルジア共和国の有用地図集?

リンク

関連項目

活用や検討

活用


検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

【改訂情報】


更新日時:2006/04/20 07:43:28
キーワード:
参照:[ランド・マーク] [アジア州のランド・マーク] [グルジア人] [スヴァン人] [ユネスコ世界遺産] [上スヴァネティ]
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