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タヌトアメン

タヌトアメン

アラビア語名
(調査中)
英語表記
Tanutamani,Tantamani
フランス語表記
Tanoutamon

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 タヌトアメンは、古代エジプト?の新王国時代?末期のファラオ?だった。アッシリア帝国?との戦いで、エジプトの宗主権を喪失。出身地だったヌビアに撤退した。

【参照イメージ】

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小事典版推奨判定
「歴史+知性 目標値=8〜10」「情報+知性 目標値=10〜12」
簡単な情報 (必要に応じてゲーム前ブリーフィングブレイクを使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない)
 タヌトアメンは、ヌビア王朝?とも呼ばれる古代エジプト?の第25王朝?、最後のファラオ。現在、普通は第5代と数えられることが多い。紀元前7世紀の中ごろに活動。
 即位の1年前には、先代ファラオのタハルカにより、共同統治者に任じられていた。古代エジプト王朝の伝統では、共同統治者はファラオ位後継者と目された。タハルカの死後、ファラオを宣すと、軍勢を率いアッシリアに征服されていた下エジプトへ進撃。テーベ、メンフィスを奪回すると、アッシリア帝国に従属することを選び、第25王朝から離反していたナイル・デルタの有力者たちと対決。緒戦を優位に進めたが、アッシリア軍の介入と再侵攻を受け惨敗。ヌビアに撤退すると、2度とエジプトには進軍しなかった。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値=12〜14」
やや詳しい情報 タヌトアメンは、在位、B.C.664年〜B.C.656年。
 第25王朝の王族であることは確かだが、タハルカの息子とも、シャバカの子でタハルカの従兄弟とも伝えられている。第25王朝の王統は、古代エジプトのスタンダードとは又異なる母系相続を許容していた(あるいは、後代のヌビア人のように双系的な社会だったのだろうか?)。従兄弟という可能性は高そうだが、打ち続いた戦闘で、息子以外に適当な後継者がいなかった、という可能性もある。
 タヌトアメンの代で第25王朝は終焉した、とされるが、ヌビアの政権としてのナパタ朝(第25王朝の王統)は、なお存続した。ヌビア王朝が、第26王朝?の派兵で壊滅したのは、B.C.593年頃のこと。
 また、タヌトアメンのヌビア撤退後も、テーベの有力者メンチュエムハト?は、ヌビア王朝の宗主権を尊重し続けた。

GM向け参考情報

 タヌトアメンは、一般には、かなりマイナーな人物です(おそらく在位期間の短さもあってのことでしょう)。しかし、アッシリア帝国?との戦闘や、ヌビアへの撤退、テーベの地方政権がヌビア王朝を尊重していたのはなぜか? などを、オーパーツと絡めることはできるでしょう。

 残念なことにタハルカよりもさらにマイナーな人物なので、信頼できて、彼の治世や事跡について記した資料があれば、例え断片的なものでも貴重と言えます。逆に史実の隙間を縫って、大胆な物語を想定するには向いています。

事跡

B.C.665年
 先代ファラオのタハルカは、タヌトアメンを共同統治者に登用。これは、ファラオ位後継者の指名を意味した。
B.C.664年 即位年
 タハルカ、ナパタにて死没。タヌトアメン、ファラオとして単独統治開始。早速軍団を組織すると、北へ進撃。アッシリア帝国?の傀儡となったデルタの支配者たちと交戦しつつ、テーベ?メンフィスを奪回。ネコ1世が陣没すると、ナイル・デルタを制圧。
B.C.663年 即位2年目
 エジプトに再進攻してきたアッシュル・バニパルのアッシリア軍と交戦し惨敗。
 以降、タヌトアメンの軍勢は、中エジプトから、上エジプトにかけ、アッシリア軍と衝突を繰り返したが、結局はヌビアに撤退。
 アッシリア軍は、追撃戦の過程でテーベに侵攻し再支配。当時、テーベ知事だったメンチュエムハトは、アッシリア軍の神殿掠奪を容認する屈辱を代償に、市域の居住区を護った。

 その後、タヌトアメンは2度と北方に向かうことはなかったが、アッシリアもアスワンのエレファンティネ島を越えることはなかった。

 一方、テーベ市はヌビアの第25王朝の宗主権を認め続けた。

 テーベ市の第25王朝への服属は形式的なものだったろうが、B.C.656年タヌトアメンがヌビアで死没するまで続けられた。

B.C.656年 治世9年目
 タヌトアメン死没。遺骸はヌビア地方のヌリに埋葬された。この年をもって、第25王朝は終焉したとされる。
 ヌビア王朝(ナパタ朝)は、ヌビアの地で、なお60余年存続する。

人物像

 印象論になりますが、タヌトアメンはストレートな人物という印象が拭えません。語感は悪くなりますが、馬鹿正直と言ったところ。

 この印象は、タヌトアメンが、ヌビアの遺跡、ジャバル・バルカルで刻ませたという石碑の話に影響を受けたものかもしれません。そこにはアスワン、テーベ、メンフィス奪回の戦功が華々しく刻まれているそうです。

 でも、その奪回も一抹の夢だったわけです。タヌトアメンについて、日本語で読める資料は多くないので、想像に依る部分が大になりますが、アッシリアの存在がほとんど視野に入っていなかったとしか思えません。下エジプトの回復に視野狭窄していた、という感じでしょうか。

 為政者(政治家)としては、どうしようもなく2流と言わざるを得ません。武人としては、割といい線いっていたのかもしれません。

アイデア・フック

 ブルーローズ的には、アッシリア帝国?が、アスワン?を越えることなくタヌトアメンの王朝を放置していたのはなぜか? とか、テーベのメンチュエムハトが、ヌビア王朝の宗主権に忠実だったのはなぜか? とかのあたりが、アイデア・フックになりそうです。

 冷静な歴史整理をするなら、前者は、下エジプトに支配体制を築くだけでも手が廻りきらなかったので、ヌビアどころではなかったから、でしょう。

 後者については、やはり、アメン神官団の存在、及び、アメン神の神嫁の地位に留まっていたアメンイルディス1世?などを関わらせると面白そうです。

(やはり、タヌトアメン自身は導入用の題材にチラッと名前を借用する程度が手ごろ、ということでしょうか?)

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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更新日時:2008/07/25 19:27:20
キーワード:
参照:[シャバタカ] [アイデア・フック] [ネコ1世] [歴史上の実在人物] [タハルカ] [古代エジプト略史]
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