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ヌビア人

ヌビア人 ヌビアじん (Nubian)

PCが予め知ってていい情報

 「ヌビア人」は、古代メロエ王国?などをなした民族?の後裔と目されるエスニック・グループ?(民族集団)。現在、国籍としては、主にエジプト=アラブ共和国スーダン共和国とに属している人々が多い。人口は一説に100万人ほどと言われる。1990年代の推計で人口およそ64万人ほどとの数字もある。

 人種?的には、アラブ系スーダン人に近く、エチオピア人とも近縁と思われる。外見の特徴は、多数派のエジプト人より肌の色が黒く、縮れた髪の毛を持つ。

【参照イメージ】'

追加情報

小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 ヌビア人は、ナイル・サハラ語族の内、ナイル諸語に分類されているヌビア語を母語としたエスニック・グループ。ただし、現在は独自の文字を伝えていないためか、ヌビア語のネイティブ・スピーカーは暫時減少の傾向にある。
 ヌビア人は、主にヌビア語の方言に基づいた、いくつかのサブ・グループから成っている。このサブ・グループは、伝承も含めて親族?の出自地と関係すると信じられることが多い。
 かつてはヌビア地域の多数派主流民族で、6世紀頃キリスト教を受容。11世紀頃からイスラム化、アラブ化の動きが北方から及び、数世紀後には全面的にイスラム教を受容した。
 かつて地域の多数派だった民族の内、イスラム教を受容してもアラブ化はしなかった者たちの末裔が現在のヌビア人。より多数は、イスラム化と共にアラブ化していき、現在のアラブ系スーダン人の祖先集団をなした。
小辞典版推奨判定
「交流+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 ヌビア人の集住は、エジプト南部のアスワン?から、スーダン中北部のドゥンクーラにかけてのナイル川周辺に多い。
 1902年からのアスワン・ダム建造、1960年からのアスワン・ハイダム建造で、多数のヌビア人が故地を喪失、移住をよぎなくされた。エジプト側では、アスワン?北部のコム・オンボ地区、スーダン側では、ハルトゥーム東方のハシュム・ゴルバ地区やヌビア沙漠南部が主な移住先。これらの地区での集住は特に多い。
 エジプトでは、都市部への出稼ぎ者や、出稼ぎをきっかけに都市に移住した単家族なども少なくない。俗に、過去に交易に従事した民族性による、とも言われている。
小辞典版推奨判定
「交流+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 「エジプトやスーダンじゃあ、ヌビア人って言うと、歌がうまい、って感じでイメージされてる。
 アラブの国、って聞くと、『アラビアン・ナイト』とかのイメージで、ベリー・ダンスとかを連想する人が多いけど。まじめなイスラム教徒って、音楽や踊りにはふけらないんだよね。旋回舞踊とかは、新興宗教っぽい教団がルーツだって言うし、イランで音楽が盛んなのは、あれはペルシアの伝統らしい。
 んで、『ヌビア人は歌がうまい』ってイメージになるわけだ。
 陽気な旋律とか言われるけど、繰り返し聞くと深いよ。ジャズみたいなもんだと思うな。『聖者の行進』なんて陽気なだけじゃぁないだろ。あんな感じ」――ワールド・ワイドなバック・パッカー

小辞典版推奨判定
「交流+知性 目標値12〜14」「歴史+知性 目標値14以上」
詳しい情報 ヌビア人の伝統的な社会関係は、双系?的な親族関係に基づいている。イスラム化の影響(と言われている)で、父系?の親族関係を重視するかに自称もされているが、実際は父系、母系?双方の親族が共同で漑用水車やナツメヤシを所有する社会単位をなしている事例が多い。また、父方並行イトコ婚が選好される傾向も、母系親族重視の現われととれる。古代ヌビアの王統譜にも、母系?原理で王位が継承されている事例も目立つ。
 伝統的には、近親親族の集住が目立ち、3世代世帯も多い。就業機会の斡旋など、双系親族の協力は伝統的スタンダードになっている。親族の結束力は強めだが、双系的社会の傾向として、親等が離れると急速に結束力が弱まる。
 伝統的生業は、灌漑に依存する農耕が主、漁労、牧畜などが副。小舟を所有し貨物の移送や、ファルーカでの観光客移送に従事する者もいる。
 小舟の造船や、ナツメヤシを使った伝統工芸でも知られる。
 宗教帰属は、圧倒的にスンナ派を自認するイスラム教徒。ただし、聖者崇拝や邪視信仰などの民俗信仰も混入している。混入の程度は、エジプト人?イスラム教徒の一般信徒にも多数見られる程度。

GM向け参考情報

補足情報

典型的ヌビア人の伝統的衣装衣服

 女性は、黒いイスラム服に、イスラム・スカーフ。

 男性は、白地のイスラム服に、イスラム帽、イスラム・ターバン。

伝統的家屋

 砂レンガの壁に、ヤシ(ナツメヤシ)ぶきの屋根を持つ 土間式家屋。壁を色鮮やかに塗ることが多い。

民族的気質

 「人懐っこく、温厚で朗らか」などと評されることが多い。ただし、この評は、主に周辺のエジプト人やアラブ系スーダン人との比較対照に基づくことに留意。

 伝統的スタンダードが継承されている集住地では、「目には目を、歯に歯を」的な、同害報復の習慣が根強い。双系的社会関係を持っているので、ヌビア人社会の間で同害報復が実行された場合、根深い波及効果を生む傾向がある。

その他の補足情報

 現スーダン領中部のコルドファン地方で山地に居住するヌバ?に含まれるテマインの社会では、ヌビア語の方言が母語になっている。しかし、テマインがヌビア人のサブ・グループとされることは普通はない。テマイン側、ヌビア人側それぞれの民族的帰属意識でも、普通、両集団が近縁とはイメージされていない。


 ヌビア系の社会が文字を採用したことは、歴史上2度の事例が知られている。1度めは、おそらくナパタ朝?が古代エジプト?から撤退した後のことで、エジプトのヒエログリフ(神聖文字)に改変が加えられた文字が用いられた。2度目は、コプト教が伝えられた前後のことでコプト文字に改変が加えられた文字が用いられた。

 ヒエログリフは、古代エジプトでも祭儀用文字、儀礼的文字として使用が続き、一般の社会生活では民衆文字が用いられた。このことから、古代ヌビアで社会的、政治的な断絶が生じたときにヒエログリフ文字ベースの文字の使用が途絶えたこともさほど不思議ではない。

 コプト文字は、エジプトの民衆文字がベースとなって後代まで使用が続いたもの。こちらがヌビア人社会で使用途絶したについては、「ヌビア地域ではキリスト教(コプト教)が社会に定着していなかった」とする説明もある。しかし、この説明は結果から遡った説明である気配が強い。一方では、「コプト教はヌビア地域では民衆から広まった」とも言われており、先の説明には疑問も多い。

その他のNubian

 “Les Nubians(レ・ヌビアンズ)”は、「アフロ-ピアン」を自称するヒップ・ホップ/R&Bの黒人女性デュオ。⇒ Les Nubians(オフィシャル・サイト)

別称類

 バラブラ(族)とも。

 「方言と親族?の出自伝承地とに基づくヌビア人のサブ・グループには次がある。ケヌズ、マハシ(マハスとも)、ファディジャ、ドンゴラウィ。

活用や検討

活用


検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)