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アントニヌスの長城

アントニヌスの長城 
アントニヌスのちょうじょう 
(簡易版)

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

英語名
Antonine Wall
フランス語表記
Mur d'Antonin

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「アントニヌスの長城」は、グレート・ブリテン島?北部のスコットランドで、ハイランド地方の南外周近く(ロウ・ランドの北縁沿い)に、ローマ帝国が建造した境界防備用施設の通称。2世紀中葉に、アントニヌス帝?の命令で建造された。

 2007年にユネスコ世界遺産候補として登録申請が出された。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 アントニヌスの長城は、142年から144年の足掛け3年ほどで完工された。すでに160km南方で、132年に観光していたハドリアヌスの長城同様、ケルト系諸族や、ピクト人らが、北方からローマ領ブリタンニアへ繰り返した侵出に対する防備施設だった。ブリタンニア側では、長城の北をカレドニア?と呼ぶようになっていった。

 10年ほどの工期をかけたハドリアヌスの長城の全長が118kmほどだったのに対し、アントニヌスの長城は全長60kmほど。クライド湾沿いの西ダンバートンシャー?(オールド・キルパトリック?)から、フォース湾沿いのフォールカーク?に至っていた。

 現在は、一部の地域に付属施設の基台部などが遺っているばかりだ。バースデン?、キルキントロッホ?、クロイ?、ポルモント?などで見られる。

 長城は高さ4mほどの土塁で、北側に幅の広い堀を掘り、南側に軍道を併設していた。防壁沿いには19箇所に砦が併設されていた。往時の様子を、比較的よく残している遺構が、フォルカーク?近くの町の近傍に遺っているラフ・キャッスル砦址?だ。


 164年、アントニヌスの長城は完工後20年で放棄された。ハドリアヌスの長城まで撤退したローマ帝国は、後、ブリソン族と講和。ハドリアヌスの長城周辺は、一時、北方との緩衝地帯になった。

 197年、再び北方諸族との交戦が激化。208年にセウェルス帝?が辺境防備指揮のため現地に入り、アントニヌスの長城を補修させた。セウェルス帝の遠征は短期間のものだったが、後にローマの歴史家によって「セウェルスの長城」とも記された。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 「増補待ち」。

GM向け参考情報

  • GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど
  • 特に無い場合は、「増補待ち」と明示することを推奨します。

別称類

主要国の言語

  • 英語名=Antonine Wall
  • フランス語表記=Mur d'Antonin
  • スペイン語名=Muro de Antonino
  • アラビア語名の音=(調査中)
  • ロシア語表記=Вал Антонина
  • 中国語表記=安多〓〓城
    (〓はそれぞれ表示できない漢字)

リンク

関連項目

資料リンク

活用や検討

活用

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更新日時:2008/04/30 09:56:43
キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [ローマ帝国の国境線(ユネスコ世界遺産)] [ブリガンテス族] [遺跡] [ハドリアヌスの長城] [グラスゴゥ,スコットランドの〜]
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