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アラブ連盟

アラブ連盟 アラブれんめい

 アラブ諸国から成る地域協力機構。1945年発足。

 加盟各国の主権の擁護、相互協力、地域安全保障確保のための政策調整を目的に掲げている。

 2005年現在、21ヵ国と1機構から構成されている。

 ただし、アラブ連盟は、イラク戦争後に発足された統治評議会の正統性を否認していた。アラブ連盟では、正式にはイラク共和国の席を、移行政権が正式に新政権として発足するまで「空席」との扱いにしている。

やや詳しい情報

 英語では、Arab League と表記される。アラビア語での機構名は、ジャーミアトゥ=ッ=ドゥワリ=ル=アラビーヤ。

 主要機関は首脳会議、理事会、事務局で構成される。理事会には政治、文化、社会、保健、経済、法律、通信、情報、石油、財政、行政、連絡担当の常任委員会が付設されている。

 他に、アラブ郵便連合、アラブ電気通信連合、アラブ放送連合など 数十の専門機関を擁す。

 現在、事務局は、エジプト=アラブ共和国首都のカイロに置かれている。

GM向け参考情報

2005年現在の加盟国(及び、加盟機構)

 アラブ首長国連邦アルジェリア民主人民共和国イエメン共和国イラク共和国(空席扱い)、エジプト=アラブ共和国オマーン国カタール国クウェート国 、サウディ=アラビア王国?ジブチ共和国社会主義人民リビア=アラブ国シリア=アラブ共和国スーダン共和国ソマリア民主共和国チュニジア共和国バーレーン王国モーリタニア=イスラム共和国モロッコ王国ヨルダン=ハシミテ王国レバノン共和国、及びPLO(パレスティナ解放機構)?

沿革

1945年 発足
 1945年、エジプト、イエメン(イエメン=アラブ共和国)、イラク、サウディ=アラビア、シリア、ヨルダン、レバノン の7ヵ国を原加盟国として発足。
 汎アラブ主義のニュアンスで、アラブ民族主義が唱えられ、アラブの大同団結が目指された。しかし、その後の経緯では、汎アラブ主義の理想は、アラブ諸国の国ごとのナショナリズムに阻まれた観がある。
1953年
リビア、加盟。
1956年
スーダン、加盟。
1958年
モロッコ、チュニジア、加盟。
1961年
クウェート、加盟。当時、イラク共和国はクウェート領を自国領と主張したが、アラブ連盟は、この主張を退け、クウェート国を独立国として承認した。(イラクが、クウェートの独立を承認したのは、1963年)
1962年
アルジェリア、加盟。
1967年(?)
南イエメン(イエメン民主人民共和国)、加盟。
1971年
アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーン、加盟。
1973年
モーリタニア、加盟。
1974年
ソマリア、加盟。
1976年
PLO(パレスティナ解放機構)、加盟。
1977年
ジブチ、加盟。
1979年
エジプト、連盟より参加資格停止の処分を被る。イスラエル国との単独講和が理由。事務局、チュニス(チュニジア)に移転。
1989年
エジプト、アラブ連盟に復帰。
1990年
イラクのクウェート侵攻(湾岸戦争?)をきっかけに、首脳会議中断。
連盟事務局、カイロ?に再移転。
1991年
南北のイエメンが、イエメン共和国として合邦。
1993年
コモロ・イスラム連邦共和国(現、コモロ連合)、加盟。
1996年
首脳会議、再開。
2001年
同年以降、毎年、首脳会議を開催することを確認。
2002年
イラク共和国(旧フセイン政権)、アラブ連盟脱退を表明。

活用や検討

活用

検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

【重要な改訂の記録】

  • 結成当時の事情について、誤りがあったので改訂しました。(2006年5月4日)