クウェート国
PCが予め知ってていい情報
- 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。
クウェート国は、アラビア半島?の付け根部西側にて、ペルシャ湾?の北西岸に面した、立憲君主制の小国。
第2次世界大戦?の直前に発見されたクウェート油田から産出される原油、天然ガスと、石油産業とで、経済は堅調。1990年〜1991年の湾岸戦争?で、かなりの戦禍を被ったが、1994年頃から産油量が戦争前の水準に回復した。
- 国名
- 「クウェート国(State of Kuwait)」は、単に「クウェート」と呼ばれることも多い。アラビア語による正称は、「ダーワラート=アル・クウェイト」。ちなみに、首都もクウェート?市で、クウェート県、県都も兼ねている。
- 近隣諸国
- 西から北にかけてイラク共和国と、南でサウジ=アラビア王国と、国境を接している。東では、ペルシャ湾?を介してイラン=イスラム共和国と対面。
- 国際関係
- 1963年、国連?加盟。アラブ連盟加盟国、イスラム諸国会議機構加盟国。OPEC(石油輸出国機構)構成国。
- オスマン=トルコ帝国時代、事実上、半独立的な自治が認められていた。19世紀末にU.K.(連合王国)と友好条約を締結し、事実上その保護国に。第2次世界大戦?後の、1961年にU.K.から独立したが、直後に、クウエート領を自国領と主張するイラク共和国との間に扮装勃発。当時の首長の要請でU.K.軍が派兵され、7月にはアラブ連盟がクウェート国の独立を承認、イラクの主張を退けた。
- 1963年国際連合に加盟。同年 10月イラク共和国も独立を承認。
- 1990年、フセイン政権のイラク共和国が、「(オスマン=トルコ時代からの)イラク領」と称して侵攻した。実際は、それ以前からOPECでイラクが主張していた石油減産に、クウエィトやサウディ=アラビア?が応じなかったことが、湾岸戦争の直接のきっかけと目されている。
- 1991年、U.S.A.(合衆国)を主体にした多国籍軍が侵攻し、イラク軍から解放された。
- こうした経緯から、政府は親欧米的だ。2006年現在も、国内には、U.S.A.軍やU.K.軍の基地が設けられていて、イラク駐留部隊の後方基地のような役割を担っている。
- 地域
- 概ね平坦な沙漠からなる国土は、地域区分がしづらい。
- まず、ペルシア湾沿岸部及び島嶼と、内陸部に大別し、それぞれを細分していくと把握し易いだろう。
- ペルシア湾沿岸部は、しばしば、沿岸部北部、沿岸部南部に2大別される。
- 歴史
- 現在のクウェート国の一帯には、16世紀頃から、西欧諸国が進出。ポルトガルが城塞を築き、ペルシア湾一帯の交易の拠点とした。それ以前から、住民もいたが、多くは沿岸部に定住集落を設け、漁労と真珠の採取を生業にしていた。
- 17世紀になると、インドとの遠距離交易路に連なる航海ルートとして、ペルシア湾内奥部も賑わうようになった。インドとメソポタミア地域との交易海路は、古代から営まれていたが、ワールド・ワイドで活発な遠距離航路の一部に編みこまれることで、活況を呈したのだ。
- 18世紀にアラビア半島?内陸部より、アラブ系の遊牧民アナイザ(Anaiza)に属した諸部族が移住。この間、アナイザ系諸部族の内からサバーハ家を中心にした氏族?が、指導力を発揮。当時のサバーハ家家長が、諸部族に推戴され首長となった。この後、アナイザの諸部族は、サバーハ家が世襲した首長位の下、部族的まとまりを強め、バニ・ウトバ?族と称すようになっていった。
- サバーハ家の地域統治は、バスラ?を統治したオスマン帝国の総督を通じ、オスマン=トルコ帝室にも黙認された。形式上は、オスマン帝国の支配下とされていたが、地域とバニ・ウトバ族の支配権は、事実上、サバーハ家に委ねられた。これは、サバーハ家が取り仕切った港湾の統治が安定したもので、各国の交易商に概ね歓迎されたこと、港湾管理と、交易とから得られた財を背景に、サバーハ家がバスラや帝国にかなりの貢納をすることができたため、と目されている。
- 国情
- クウェート国では、独立後の1962年に憲法を制定。首長のほかに、国民議会、内閣を建てた統治形態が採られている。しかし、首相の他、内閣の要職はサバーハ家の一門に占められてきている。1986年に首長の勅令で国民議会が解散され、1992年まで開かれなかったなどもあり、政治の実態は、サバーハ家による独裁とも、一族による門閥支配とも評されている。
- 国民議会にしても、政党の結成は法規で禁止されているし、1995年までは、全国民の7%にすぎない「一級市民」にしか参政権が認められていなかった。
- しかし、1996年に、国籍取得後20年を過ぎた全成人男性に参政権が認められ、2005年には同じ条件の女性にも参政権が認められた。女性閣僚も選出されるなど、わずかずつ民主化が前進しているようだ。
- 一方、クウェート国の経済は、労働力の8割以上を、アラブ諸国、南アジア諸国からの出稼ぎに依存している。さらに、国民の95%ほどが、国家公務員、及び、国営企業の社員という、特異な社会構成を有す。こうした事情も、クウェート国の不安定要因になっている。
- 湾岸戦争の戦災から復興し、石油関連の産業と、貿易とで経済状況は堅調だが、出稼ぎ労働者や、一部国民には不満も少なくないようだ。クウエィト国内で過去に活動した、アル・カイーダに同調的な武装集団にも、出稼ぎ労働者の構成員は少なくない、と言われる。
- クウェート国は、2003年にイラク戦争が始められる前から、イラクに強制された飛行制限区域などを監視するU.S.A.軍やU.K.軍の前線拠点として活用されていた。イラク戦争後も、イラクに駐留しているU.S.A.軍などの後方基地が存続している。件数は多くないが、こうした基地や軍事関係者を目標にしたテロは過去に起こされたことがある。
- クウェート国内には、アル・カイーダ本体のような国際テロ集団は浸透していない、とされている。国内で、武装闘争などをしている集団としては、半ば独立的な小集団が幾つかある、と言われる。こうした集団に対する政府の対応は極めて厳しい。2005年にはクウェート軍も動員された掃討作戦にで銃撃戦も展開され、巻き込まれた、一般市民にも犠牲者が出ている。
- このように、幾つかの不安要因を抱えているものの、2008年現在、クウェート国の国情は概ね安定している。ただし、アル・カーイダからはテロ標的に指定されているので、対テロ警戒、捜査は厳しい。
- 考古学関係
- クウェート国の領域には、遺跡らしい遺跡は知られていない。沿岸部は浅瀬や岩礁、珊瑚礁が多く、近世に港湾が開発されるまで、交易船の補給用寄港地以上のものは設けられていなかった、と思われる。
- 紀元前3世紀、古代マケドニアのアレクサンドロス3世が、アケメネス朝ペルシアの支配下にあったメソポタミアを征服した後、現在のクウェート領にある沿岸島嶼にギリシア系将兵の入植地が築かれたことがある。
- 入植地が設けられたのは現在のファイラカ島(Failaka)で、「イカロス島」と改称されたらしいが、入植地は長くは続かなかった。その後、セレウコス朝?がパルティア帝国?によってメソポタミアから駆逐されると、ほどなく途絶えたようだ。
クウェート国の地図
- 右を参照のこと。⇒ クウェート国の有用地図集
(別ウィンドウで見ると多分便利)
クウェート国の参照画像
- 右を参照のこと。⇒ クウェート国の参照画像集
(別ウィンドウで見ると多分便利)
やや詳しい情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
1938年以降発見されてきたクウェート油田の総合埋蔵量は、現在、世界第4位とされている。
クウェート国の経済は、ほとんど原油採掘と関連産業とに依存。食料も、輸入への依存度が高い。近年は、原油価格の変動に応じ国家財政が揺らぎ易い体質の克服が目指されている。具体的には、海外投資を増やす政略で金融立国を目標にした、国際金融業など振興が試みられている。 目指されている。
伝統的に、オイル・マネー(歳入)を社会インフラ、高水準の教育、社会福祉に充てる政策が採られている。イスラム教の立憲君主制なのに、まるで社会主義国のように、国営企業が肥大しているのも、長年続けられた福祉政策の結果だ。現在は、国営企業類の民営化にも取り組まれている。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
位置(再整理)
クウェート国は、アラビア半島?の付け根部西側にて、ペルシア湾の北西岸に面した、立憲君主制の小国。
- 近隣諸国
- 西から北にかけてイラク共和国と、南でサウジ=アラビア王国と、国境を接している。東では、ペルシャ湾?を介してイラン=イスラム共和国と対面。
基本情報
- 目標値8〜10程度の簡単な判定で、PCが知ってることにして構わないでしょう。場合によってはプレイヤーに事前提示しても可。
クウェート国の基本情報 2009年版
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用途
クウェート国には、古代遺跡の類は知られていません。ローズ考古学財団も、陰謀組織も、イラク、または、サウジ=アラビアなどへの中継拠点として使うくらいでしょうか(?)。
王制で、他国からの出稼ぎ労働者までを含めると、貧富の差が大きな国です。国際的な大富豪が購入した財宝の内に超古代文明の手がかりやオーパーツ自体がまざっていた、との導入に使っていく手もあります。
歴史的にU.K.(連合王国)との関わりが深く、冒険の導入や、ワールド・ワイドな転戦途上で情報戦の舞台に使うなどは、おもしろい使い方でしょう。
オイルマネーが投下された首都など、沿岸部の主要都市には、先鋭的な高層建築が、デザインの奇抜さを競うように林立しています。沙漠と、油田及びコンビナートと、生活感の薄い近未来風都市との組合わせをうまく使えるといいでしょう。
立憲君主制で議会もあり、憲法では、自由と平等が詠われていますが、1995年まで選挙権は、人口の7%ほどを占める1級市民にだけ認められていました。1995年に、国籍取得後20年を経過した国民に選挙権を認める法が可決され、現在に至っています。
イスラム教を国教にしています。南アジア諸国を含む他国から移住し、帰化した国民も多いのが特徴。
地勢と地域
地勢と環境
クウェートの面積は、日本の岩手県と香川県を合わせた面積にほぼ等しい。地勢は平坦で海抜10数m〜80m程度。
環境帯は、沙漠気候に属すが、ペルシア湾湾岸地域は湿度が高く熱帯性気候のよう(ただし降水は少ない)。最大の島であるブーヒヤン島の北部、及び、本土側の対岸には湿地帯も広がる。
5月から9月にかけての夏季は、日中気温が45℃を越え、まれとは言え50℃を越えることもある。加えて、この季節、熱風による砂嵐がしばしば起こる。7月以降は、南東からの季節風が湿気を運んで湿度が80度を越す。
11月から3月にかけての日中平均気温は20℃前後。沙漠気候の常で昼夜の気温差が大きく、夜は急激に冷え込む。
降水は極端に少なく、冬季、特に1月に集中。冬と真夏とに砂嵐が多い。沿岸部の都市には、海水から淡水を生成するコンビナートが設けられており、水を供給している。
【参照】
- 気候と時差 クウェート(YAHOO!トラベルの海外エリアガイド)
「クウェート市の平均気温と降水量」のグラフが見られます。
地域区分
クウェート国は行政上6つの県に区分されている。その内4県までが首都を擁すクウェート県と共に、クウェート湾南部に集中した小さめの県。残りの国土は大きく北と南に2分割されているが、かなりの部分が沙漠に占められている。
便宜的に、沿岸部北部、沿岸部南部、内陸部、島嶼部の4地域に、地域を区分していくと、シナリオの背景情報を整理、把握し易いと思われる。
- 沿岸部北部
- クウェート湾以北の沿岸部。海岸部は泥質で、クウェート湾北部は浅瀬になっている。
- 首都クウェート?市、及び、隣接する港湾シュワイフ港(1959年完工)は、湾の南岸に位置。他に、人口10万人級の都市が存在。
- 沿岸部南部
- クウェート湾?より南の沿岸部。ペルシア湾に直接面している。
- ミーナ・アブダラー、他の港湾、及び、人口10万人級の都市が存在。
- 島嶼部
- 島嶼は領海の北部に多く、本土、及び、イラク領沿岸部との間は、極細い海峡が横たわっている。
- 最大の島であるブビヤン島と本土との間は、橋で結ばれている。現在までのところ、ブビヤン島を含む島嶼部に都市は開発されていない。
- 内陸部
- 内陸部の都市は、ほとんど無人の沙漠の内にまばらに散在。自動車道で結ばれている。南部内陸には、都市間を結ぶ短い鉄路も、自動車道と併設されている。
人口分布
【参照データ】
- Kuwait(Gridded Population of the World, version3)
統計に基づいた人口分布地図が公開されています。(コンテンツの上部に記されている統計準拠年には注意)
GPWvr3の、2000年の統計に基づく人口分布図を見ると、人口密度は、クウェート湾南岸沿岸が最も高い。次いで、ブビヤン島など大きめの島に多く、その次がペルシア湾岸南部から、内陸部南部にかけての人口密度が高い。内陸部北部の人口密度が一番低いことになっている。
一方、クウェート国の都市集住率は、96%ほど。ほとんどの住民が、都市部に居住していることになる。
例えば、人口分布図で、最も人口密度が低いことになっている、北部でも、人口は都市部に集中と想定。内陸部の沙漠地帯は、ほぼ無人と想定してもよさそうだ。
主要都市
主な出入国ゲート
- 空路
- 首都クウェート市?近傍に、国際空港がある。
- 海路
- 首都クウェート市に隣接したシュワイフ港、クウェート湾?内奥のジャフラ?が主要港湾。他に、中規模の港湾が複数存在。
- ただしクウェート国の港湾は、地形の関係もあって、いずれも中形船舶までしか寄港できない。(このため、同国は、沿岸航海の中継点として発達してきた)
- シー・エクスプローラー級船舶は直接寄港はできず、タグ・ボートの類で港とを往来と想定。
- 陸路
- 正規の陸路出入国ゲートは、イラク共和国との間に2ヵ所、サウディ=アラビア王国?との間に2ヵ所、いずれも国際自動車道上に存在。
- 国境を越える国際鉄路は布設されていないが、イラク領南部で、国境の町ウンムスカルまで、バスラ?の衛星都市イーマムアーナスから地方鉄路が布設されている。ウンムスカルには、国境を越える地方自動車道も通っている。
用例
陰謀組織の勢力
湾岸戦争?後、安全保障面でU.S.A.(合衆国)への依存を高めていたクウェート国は、イラク戦争に際しても米軍による警備軍の進駐を受け入れました。
イラク戦争終結後、2005年現在、なお、米軍の進駐は続いています。クウェート国内でも、反米武装勢力掃討作戦が展開されるなどがありました。
シュープリームの勢力は、米軍を隠れ蓑に浸透し易いはずです。しかし、各国メディアの注目度も高いので、都市部、港湾部での活動は隠蔽に注意が払われていることでしょう。
ここで注目したいのが、クウェート政府が取り組んでいる他国資本誘致政策です。シュープリームとは別ルートで龍三合がクウェートの都市部や港湾に勢力を浸透させてる、って設定はありだと思います。
GMさん次第ですけど、シュープリームと、龍三合とが、別拠点で勢力を棲み分けつつ、競合してるって感じは、もっともらしいと思います。
U.K.(連合王国)との関わりも古くから持つ国です。ローズ考古学財団も、ローズ・グループ関連で、クウェートの上層社会に、それなりのパイプを持っていることでしょう。
銀の暁やセレスティアル・ゲートは、クウェートとの繋がり、ちょっと薄そうです。
別称類
主要国の言語
リンク
関連項目
- クウェート国の参照画像集
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周辺地域、諸国
- アラビア半島?
- 西南アジア
- 西アジア
- ペルシャ湾?
- イラク共和国
- イラン=イスラム共和国
- サウジ=アラビア王国
資料リンク
- クウェート国の参照コンテンツ集
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活用や検討
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