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ブルターニュ地方

ブルターニュ地方 ブルターニュちほう

フランス語表記
Bretagne
英語表記
Brittany

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「ブルターニュ地方」は、ヨーロッパ大陸の西部で、現在のフランス“本土領”北部の西端に位置するブルターニュ半島一帯の歴史的な地域名。

 古代末にガロ・ローマ地域の一部とみなされたが、ケルト系文化が色濃く続いた。中世、近世を通じてもケルト的伝統が続いた地域の1つ。

 その範囲は、現在、フランス共和国で営まれている行政上の広域地域圏の1つ「ブルターニュ地域圏」に概ね近い。

追加情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 伝統的には、中世に成立したブルターニュ公国?の領域が、ブルターニュ地方とイメージされてきた。現在は、広域地域圏であるブルターニュ地域圏の行政区として編成されている。
 古称「アルモリカ(地方)」は、ケルト系の言語で「海に沿う(こと)」の意。古代末からケルト系民族の勢力圏で「ブルターニュ」の地域名は「ブルトン人(ブリトン人)の土地」と言った意味だった。
 ブルトン人と総称されるようになったケルト系住民の勢力は地域で長く続き、9世紀にレンヌ伯がブルターニュ公国を建てた後も、ケルト系文化は続いた。例えば、ブルターニュ語(ブルトン語)は、コーンウォール語に近いケルト系言語だが、現在でも日常語として使用する者が少数ながらブルターニュ地方の各所に散在している。(コーンウォール半島側では、ケルト系だったコーンウォール語の話者は途絶えている)
 なお、ブルターニュ地方は、18世紀のフランス革命前後の時期には、反革命勢力、王党派、カトリック勢力の牙城となった。
小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 フランス革命以降、フランス中央政府による中央集権的な言語政策で、ブルターニュ語(ブルトン語)の話者は減ったが。近年、少数言語として復興の努力もなされている。

  • 特に無い場合は、「増補待ち」と明示することを推奨します。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 歴史伝承では、中世初期にグレイト・ブリテン島?南部がアングロ・サクソン勢の勢力下に入るに従い、コーンウォール半島からケルト系のブルトン人(ブリテン人)が、ブルターニュに渡来した、と言われる。「これにちなんで、地域はブルターニュ地方と呼ばれるようになった」と、伝承は続くのだが、歴史の実態はもう少し複雑だった。
 古代ローマがガリア?に侵出するまで、地域はケルト系民族の勢力圏で、ブルターニュ半島の北側では、ケルト系のコリオソリテーヌス族が、南側では同じくケルト系のウェネティー族が支配的だった。特に、ウェネティー族は、イギリス海峡?ビスケー湾の沿岸航海を牛耳り、ブリテン島?から産出される錫などを搬送。ガロンヌ川沿いのルートを経由して西地中海沿岸のマッシリア?(現在のマルセイユの前身)まで運んでいった。
 紀元前1世紀後半、ローマ帝国に征服された後のガリアでは、ローマ文化とケルト文化が融合。ガロ=ローマ文化が形成された。ブルターニュ地域では、先住のケルト系諸族が、部族的なまとまりを失い、アルモリカ人と呼ばれるより大きな集団をなしていった。ガロ=ローマ文化に融合したガリア地域の内で、辺境にあたったブルターニュでは、ケルト系文化が色濃く伝えられた。
 古代末のゲルマン諸族の大侵入に伴う混乱期、ブルターニュ半島にはイラン系のアラン族?なども侵出。しばらく、多民族混住状態が続く。当時の記録によれば、地域では4種類の言語が用いられていた、とある。
 アングロ・サクソン勢の侵出から逃れるように、コーンウォール方面からブリテン人集団の移住があった、とされるのはこの時期のことになる。しかし、アングロ・サクソンのブリテン島侵出以前から、ブルターニュのケルト系民族とコーンウォールのケルト系民族とは密な交流を保っていた。また、アングロ・サクソンがイングランドを支配下に置いた後も、コーンウォールには長くケルト系集団が存続していった。
 「ブルトン人がブリテン島から渡来したために、地域がブルターニュと呼ばれるようになった」と言うのは、おそらく、民族大移動期の混乱が再ケルト化の方向で方向でまとまった出来事が、物語化された歴史だろう。あるいは、中世初期に地域に分立したケルト系小王国の由来譚がルーツであるかもしれない。
 ブリテン島からブルトン人が渡来する以前、ローマ支配下の時代にあっても、ブルターニュ地方がケルト系文化の色濃く伝えられた地域だったことは重視されるべきだ。
 ともあれ、大陸側のフランク人社会では、ブルターニュがケルト系文化の地であることを踏まえ、グレイト・ブリテン島?を「グラン・ブルターニュ(大ブルターニュ)」と呼ぶようになった。より正確に言うなら、大陸側で「グラン・ブルターニュ」の呼称が成立した後に、イングランド側でもこれに倣うように(あるいは便乗するように)「ブリテン島」を「グレイト・ブリテン島」と呼ぶ慣例を成り立たせた、とされる。

GM向け参考情報

 ブルターニュ地方には、新石器時代の巨石遺構が多い他、サンマロ湾?奥にはユネスコ世界遺産のモン・サンミッシェル?が存在。

 ケルト・ネタなども有望な地域です。

ブルターニュ地方略史

注記

 以下の時代区分は、この場限りの便宜的なものです。

石器時代
 ブルターニュ地域には、旧石器時代の遺跡は、若干の例外を除くと知られていない。
 B.C.4000年頃から、巨石記念物が建造されはじめる。半島北岸西寄りにあるパルヌネの石積み墳丘(現、フィニステール県)、西端にあるカルン島の石積み遺跡(フィニステール県)、半島付け根近くの南岸に位置するカルナックの立石群(モルビアン県)など。
 B.C.3000年を過ぎると、カルナック近くのガヴリニス島に巨石墳丘が築かれる。
 巨石記念物を築いたのは、既に土器を採用していた新石器人の集団だが、狩猟採取や漁労を生業に、完全な定住生活には移行していなかったと思われる。
 B.C.4000年頃には、北西フランスのパリ盆地まで、牧畜に依存度の高い定住農耕文化が広がっていたが、ブルターニュ半島の環境は、当時の農耕技術で定住集落を営むには適していなかったようだ。定住農耕文化は、パリ盆地から南に広がっていった。
 巨石記念物の建造には、集団に対する強い指導力が必要と思われる。想像の域を出ない論だが、あるいは、西に出現した農耕社会からのなんらかの圧力が、地域の石器人集団の結束を強めたのかもしれない。
 ブルターニュ半島で、定住集落が営まれるようになるのは、おそらくB.C.2500年頃以降のことと思われる。この頃には、車輪の制作技術とウシに引かせる荷車、ウマによる牽引などが伝わってきた。
青銅器時代〜鉄器時代
 さらに、青銅器の制作と使用が伝わる。ブルターニュ半島では、河川の流域で自然に流出した錫の小粒が採取された。一帯の住民は、当時の稀少品だった錫を交易品にし、牧畜に依存度の高い文化を採用することで、定住化していったようだ。B.C.2000年頃までには、ビーカー型土器、特にベル・ビーカー(鐘形盃土器)を作る文化が盛んになっている。
 B.C.700年頃までには、鉄器ケルト文化の優位がブルターニュ半島にも及んだ。
 古代ローマの記録によれば、ブルターニュ半島の北側では、ケルト系のコリオソリテーヌス族が、南側では同じくケルト系のウェネティー族が支配的になった。特に、ウェネティー族は、イギリス海峡とビスケー湾の沿岸航海の支配権を持ち、ブリテン島から産出される錫などを搬送。ガロンヌ川沿いのルートを経由して西地中海沿岸のマッシリア(現在のマルセイユの前身)まで運んでいった。
ローマ時代
 B.C.58年、ブルターニュ半島もカエサルに率いられたローマ軍にガリア遠征の一環として征服され、ローマ領ガリアのアルモリカ地方とされた。地域に複数存在していたケルト系民族は、アルモリカ人と呼ばれる集団を新たに形成した。
古代末期
 A.D.500年頃までに、ブルターニュ地方のローマ帝国の統治は喪われた。4〜5世紀頃、ブリテン島からアングロ・サクソン勢に圧迫されたケルト系民族が大挙して移住した、と伝えられる。4言語が併用されている、と記録されるほどの多民族混住状態がしばらく続く。
中世
 中世初期には地域にはケルト系の小王国3つが分立したが、845年ブルターニュ公国に統一された。フランク王国に臣従しつつ事実上の独立国だったブルターニュ公国では、ブルターニュ語など、ケルト系文化が後々まで残存した。
近世
 近世に、フランス王朝の権力が強まるとブルターニュ公国にも支配が及ぶようになり、1532年、公国はフランスに併合された。以降、代々のフランス皇太子がブルターニュ公と称す形式が慣例化。ブルターニュ地方は、パリから派遣される知事に統治されるようになった。

主要都市

ブルターニュ地域圏

交通路

ブルターニュ地域圏

別称類

 ローマ時代の古称「アルモリカ」。これは、地域で有力だったと伝えられるケルト系アルモリカ族の名にちなんだ地域名だった。

活用や検討

活用

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更新日時:2008/02/27 20:43:46
キーワード:
参照:[ランド・マーク] [ブルターニュ地域圏] [ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏] [ヨーロッパ州のランド・マーク]
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