ブヘン
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「ブヘン」は、古代エジプト王朝が植民市を築いた、下ヌビア(歴史的ヌビア地域北部)の古代地名。要塞があったことで有名。
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「ブヘン」は、現在のスーダン領北部で、ナイル川第2急湍の左岸に位置していた。現在のワディ・ハルファの対岸あたりに位置していたことになる。
遺跡地帯は、現在ヌビア湖湖底に沈んでいる。ブヘンの遺跡調査は、アスワン・ハイダム建造に際して、ユネスコの提唱で実施された、遺跡救済国際プロジェクトの達成の1つだ。
- 【参照地図】
「ブヘンの要塞」は、古代エジプトの第12王朝期?に築かれた。おそらく、センウセレト3世が数回おこなったヌビア遠征の過程で築かれた物。B.C.1860年前後のいつ頃かに築かれた、と推定されている。
ただし、ブヘンの地には古王国時代?にも1時期、エジプト勢が進出したこともあったようだ。進出はおそらく第4王朝期?のことで、あるいはスネフェル?の代のことだったかと思われる。遺跡から発掘された石碑に刻まれた碑文からは、エジプト勢は第5王朝?末頃まではブヘンに居住し、地元勢力の勃興によって北へ撤収していった、と推定されている。
“ブヘンの要塞”は、13,000平方kmの敷地を、高さ10mほど厚さ5mほどの囲壁で囲んだもの。格子状の街路を持った小さな街も囲壁の内に設けられていた。この街は、最盛期には3,500人ほどの人口が居住していた、と見積もられている。
“要塞”の名が有名になってしまったブヘンの遺跡だが、実態は城壁都市のような性格も備えた場所だった。 第2急湍周辺地域を管轄する、エジプト王朝の総督府であり、アスワン地方との間の関所のような役割も持ち、公益拠点と税関のような役割も担い、さらには、ナイル上流に設けられたエジプト側拠点のバック・アップのために軍団が駐屯していた。
古代エジプトの第13王朝期?、ブヘンの城壁都市は、勃興してきたクシュ人?勢力に制圧された。エジプト王朝が再度ブヘンを確保したのは、第18王朝?のアハメス1世?の代のことになる。その後、第20王朝期?の末頃までにブヘンは、再び下ヌビアの土着勢力に制圧された。
アスワン・ハイダムの完工前におこなわれたブヘンの発掘調査では、ハトシェプスト女王?が建立させたアメン神の神殿も発掘された。この遺構は、スーダン共和国の首都ハルトゥームに移築された。
GM向け参考情報
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参照イメージ
- ブヘンの城壁都市推定復元図(Wikimedia Commons)
補足情報
別称類
主要国の言語
- アラビア語名の音=(調査中)
- 英語表記=Buhen
- フランス語表記=Bouhen
- スペイン語表記=Buhen
- ロシア語表記=Бухен
- 中国語表記=(調査中)
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キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [遺跡] [センウセレト1世] [歴史的ヌビア地域略史] [センウセレト3世] [クシュ王国]