セソストリス
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セソストリスは、古代ギリシア、古代ローマの歴史伝承に伝えられた、古代エジプトの征服王。
伝承のモデルになったファラオ?はいたかもしれないが、古代に伝えられたセソストリスの事跡は、ほとんどすべてが史実とは言えないイメージになっていた。
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古代ギリシア、古代ローマの歴史では、「セソストリスは、かつて、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡?両岸)から、メソポタミア地域まで、全世界を征服したエジプトの征服王」として伝えられた。
この場合の「世界」は、古代ギリシア人が古い時代に伝統的にイメージした世界だったが、小アジア?(アナトリア西部)やスキティア?(スキタイ人の領域、現在の黒海?北方から中央アジアにかけてにあたる)やエチオピア?(現在のエチオピアではなく、ヌビア地域から東方にかけての広域)も征服した、と伝えられた。
もちろん現在の考古学研究では、ユーフラテス川を越えたりヨーロッパに侵攻したファラオが実在したとは考えられていない。古代エジプトの勢力がアナトリアやスキティアに及んだこともない。
セソストリスは、また、古代エジプト?を区分してノモス(州)を定めた、とも伝えられた。
こうした歴史伝承を伝えた古代歴史家には、ヘロドトス、メガステネス?、ディオドロス(Diodorus Siculus)、ストラボン?などそうそうたるメンバーも含まれていた。勢い、セソストリスを歴史上実在したファラオとみなす歴史イメージは、長く後世まで続いた。
後に、セソトリスは、古代エジプトの立法者で、神官、貴族、平民の身分制度を定め、セラピス神?の崇拝をエジプトに導入した、ともイメージされるようになった。セラピス神の崇拝が創建されたのは、プトレマイオス朝?時代なので、これはかなりの時代錯誤になる。いかに長い期間セソストリス実在説が信じられたかがうかがえる。
マネトーは、中王国時代?、第12王朝?のセンウセレト2世をセソストリスとみなしていた。センウセレト2世は、事跡がよくわかっていないファラオで、現在でもセソストリスのイメージ・ソースあるいは、イメージ・ソースの1人と唱えられることもある。あるいは、センウセレト3世こそが、セストリスのモデルだ、とする説もある。
あるいは、第19王朝?のセティ1世?やラメセス2世?をモデルとする説もある。
また、第15王朝?のキアン?や、第25王朝?のタハルカのイメージも混入している、とも言われる。
セソストリスの歴史伝承は、元々、古代エジプトに伝えられていた偉大なファラオの伝承を。ヘロドトスなどがギリシア世界に伝えたことで、イメージが膨らんだのだろう。ところが、末期王朝時代?の末に、エジプトがアッシリア帝国?、アケメネス朝ペルシア?に相次いで征服されると、今度は、エジプト人自身が、ギリシア人の伝えたセソストリスを誇大なイメージで語るようになった。
ローマ時代に伝えられたセソストリスは、既にこのように史実とはかけ離れた伝説上の人物像になっていた。セソストリスには、古くはモデルになった人物がいたかもしれない。しかし、ローマ時代に伝えられたセソストリスは、すでに、誰か特定個人をモデルにしたような人物ではなく、過去には実在しなかった理想のファラオになっていた。
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参照:[神話、伝説のキャラクター] [小辞典ワールド編]