ヘロドトス
PCが予め知ってていい情報
紀元前5世紀頃活動したイオニア?出身の旅行家、文筆家。
アケメネス朝のペルシア帝国領各地を旅して『ヒストリオイ』全9巻を著した。現在、普通『歴史』と呼ばれるこの本の原題は、当時の言葉で『探求』を意味した。
やや詳しい情報
ヘロドトスの生年は、B.C.484年頃かと推測されているが、今1つはっきりしない。没年は、B.C.425年頃とも言われるが、こちらは生年以上に定かでない。よく「ハリカルナッソスのヘロドトス」と呼ばれる。出身はハリカルナッソスだが、ドーリア系の出自だったようだ。
古代イオニア地方?のポリス、ハリカルナッソスで生まれた彼は、クーデタ計画に関与して追放に処された、と言う(ビザンツ時代に編まれた辞書の記事による)。当時、ハリカルナッソスがアケメス朝ペルシアに服属していたことが幸いしたのか、アケメネス朝帝国領の各地を旅行した。
アテネから、イタリア方面への移民団に加わった、とも伝えられている。
旅行の結果、著わされた『探求(歴史)』は、今風にいえば民族誌研究に基づく同時代史の書であり、当事者としての歴史記録でもなければ、現代的な意味での歴史研究書でもない。
詳しい情報
ヘロドトスが旅行した範囲は、小アジア、エーゲ海一縁、ギリシア本土、イタリア半島、リビア、エジプト、テュロス、バビロン、黒海沿岸に渡った。旅行後、寄留外国人として、かなり長期間、アテネ?に 居留したと思われる。
「世界帝国として広大な領土を誇った大ペルシア帝国に、吹けば飛ぶようなポリス同盟が戦勝できたのはなぜか?」を主題に据えた『探求(歴史)』を今風に言うなら、「ペルシア側とギリシア側、双方の民族性に溯った」探求の書である。
全9巻の内、主題となったペルシア戦争を直接扱ってるのは、6〜9巻、終盤1/3にあたる。1〜5巻は、ペルシア人の民族性を解明すべく、各地で見聞した風俗、地誌、各地で収集した神話、伝説とそれらの検討に費やされている。現代風にいえば民族誌研究の書、と言われる所以である。
GM向け参考情報
ヘロドトスの『歴史』は、「ブルーローズ」のシナリオ・ネタの宝庫です。
エジプトや、バビロン、あるいは黒海沿岸のスキタイ人について扱うなら、とても美味しい様々な神話、伝説が多数収集されています。
ご丁寧にも、同じ話題について、複数の伝説(異伝や異説)を並べて、自分として一番信じられると思えるのはどれか、なんて論評をしている箇所も少なくありません。これがありがたい(笑)。
一般に、古代ギリシアのポリスは、時代が下れば下るほど、自文化中心主義が甚だしくなり、自家中毒を起こしたように狭いポリス同士で競い合い、結局は統合もできず、マケドニアに統一された後にローマに併合されてしまうという、狭量さの目立つ文明でした。
しかし、東地中海交易路のまっただなかにあったイオニア地方出身のヘロドトスは、当時の人としては驚くほど、自文化の偏見を排除すべく勤め、ペルシア領各地での見聞を検討しています。
そういうわけで、『歴史』はネタの宝庫です。
残念なことに、ヘロドトスの収集した神話、伝説にも、現在の知見からは、信じ難いとされている部分と、信頼できるとされている部分とが入り交じっています。
「ブルーローズ」のシナリオ・ソースとしては、多少怪しげな話も交じっているくらいで、丁度いいくらいだと思いますが。
ヘロドトスの集めた伝説の信頼度については、いろいろな事情が関ってます。1つには、ヘロドトスは一旦収集した神話、伝説の相互検討については、比較的偏見が少ない人でしたが、神話、伝説の収集方法自体はあまりにナイーブだったと言われています。
現代の民族学者は、例えば、食習慣や食事のときのマナーと言った日常的なところからはじめて、徐々に結婚式とか、葬式とか儀式ばった風習についての研究へと進んでいったりします。
研究者が属す学派によって、流儀は様々ですので、一概には言えませんが、いきなり神官や僧侶に、核心的な神話について尋ねるようなことは、まずしません。
どの文化でも宗教家が核心教義について、余所者には語ろうとしないのは一般的だからです。ところが、ヘロドトスは、エジプトに行ってもバビロンに行っても、いきなり突っ込んだことを伝統神殿の神官に尋ねたりしています。
一言で言えば、方法論の不備と言えますが、これはヘロドトスの落ち度ではなく、ヘロドトスが時代に先んじ過ぎていた結果とみるべきだろう、と思われます。
また、「ヘロドトスの民族性分析は、パターン化されすぎている」、とも言われます。例えば、異郷で暮らしていたヘレネス?が何か事を起こすときは、たいてい「望郷の念やみ難く」と説明づけられている、との指摘があります。
ペルシアに亡命していた政治家が、ギリシア侵攻を進言するときも「望郷の念やみ難く」なら、ペルシアを裏切ってギリシア側に内通する傭兵の動機も「望郷の念やみ難く」だ、と言うのです。
これも、現在のように、学会などがあって、同じレベルの研究者同士で批判し合うことができなかった、先行者ならではの不幸の結果と言えるのではないでしょうか。
ともあれ、ローマ時代のギリシア系宗教家、文筆家のプルタルコスがヘロドトスを「歴史の父」と呼んだため、歴史家ヘロドトスという評価が長い間スタンダードになりました。しかし、立ち返ってみれば、プルタルコス自身、現代的な意味での歴史研究家ではありません。
伝統神殿の神官だった彼は、東方の密儀宗教が大流行していた頃のローマ帝国で、過去の尊敬すべき英雄の伝記などを書いて、伝統宗教の見直しを考えていた皇帝に見出された人です。
今風に言えば「国民が誇れる歴史」として英雄伝をたくさん執筆した人で、歴史家と言うよりは道徳家だったわけです。神官だったのですから当然かもしれません。
それ以前に、ローマ時代には、「歴史とはよりよい政治の手本を整理する学芸」とみなすのがスタンダードでした。現在のように、過去の真相を再構成するとか、より公正な歴史整理とか言った意識は、2の次、3の次だったわけです。
歴史研究の分野では、古代地中海世界で、現代的な意味での歴史書のルーツにあたる著作を最初に著わしたのは、ヘロドトスにやや遅れて『戦史』を現したアテナイ人のツキディデスとされています。
資料リンク
- ヘロドトス、著,松平千秋、訳,『歴史』(岩波文庫)
- 上巻,岩波書店,Tokyo.1978.ISBN 4-00-334051-5
bk1の購入案内を見る/アマゾンコムの購入案内を見る - 中巻,岩波書店,Tokyo.1978.ISBN 4-00-334052-3
bk1の購入案内を見る/アマゾンコムの購入案内を見る - 下巻,岩波書店,Tokyo.1977.ISBN 4-00-334053-1
bk1の購入案内を見る/アマゾンコムの購入案内を見る
- 上巻,岩波書店,Tokyo.1978.ISBN 4-00-334051-5
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(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) - 2006-12-29 (金) 10:27:05 鍼原神無 : イオニア出身と、ドーリア系出自の混同を訂正しました。
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