ムト女神
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「ムト女神」は、古代エジプトの新王国時代?に、「2つの国(上下エジプト)の女主人」として、高い神格で崇められた女神。
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「ムト女神」の崇拝は、確実なものとしては中王国時代?まで跡付けることはできる。しかし、新王国時代?の第18王朝?期に、王宮神話、国家祭儀と結びつけられ、急速に重要な神格とされていった。
神名の「ムト」は、神聖文字では禿鷹をデザイン化した絵文字で表された。音は、「母」を意味した。発音は、「ムゥト」だったとも「ムト」だったとも推定されている。
古代エジプト人は、禿鷹に母性の体現を見ていたのだ。女神は、多くの場合、禿鷹の飾り頭巾を被った人間の女性の姿で描かれた。
現在知られるムト女神の最も古い聖域は、中王国時代の第18王朝期、紀元前15世紀前半に、ハトシェプスト?がムト神殿を建立させたカルナック。神殿は、当時のカルナックの集落近くにあった、三日月状のイシェル湖に囲まれた位置に建立された。イシェル湖は、ムト神殿が建立される以前から女神の聖域だったことは確かで、その崇拝は中王国時代まで遡ることができる。
記録によれば、紀元前14世紀に、第18王朝のアメンホテプ3世?は、イシェル湖の周辺に数百の獅子女神の像を建立させた、と伝えられている。しかし、この神像は、多くが破壊されたのか、持ち去られたのか、少数しか発掘されてない。あるいは、アメンホテプ4世?(アケナトン)の宗教改革と関係していたのかもしれないが定かではない。
ともあれ、ムト神殿は、その周辺施設も含めれば、ハトシェプストが摂政として振舞っていた頃からアメンホテプ3世の頃まで、100年ほどをかけて造営されたのだと思われる。発掘された神殿址には、女神官がムト女神の崇拝をおこなっている図像が遺っていた。
第18王朝によるムト女神に対する手厚い処遇は、女神が、中王国時代以降、テーベでアメン神?の配偶神とされていたためだろう。王宮の太陽神神話で、アメン神が太陽神アメン=ラー?とされたため、厚遇されたもの、と思われる。
太陽神アメン=ラーの崇拝が高められるのに応じて、ムト女神は、「2つの国(上下エジプト)の女主人」とされ、プスケント冠を被った図像が定形化された。ハトシェプストはプスケント冠を被った自分をムト女神に見立てた像も作製させた。
アメン神の配偶新だったムト女神は、ラーの目とみなされるようになった。しかし、ラーの目はラーの娘でもあるので、ムト女神は、アメン=ラーの妻にして娘、とされた。
一方、ムト女神と太陽神との関わりが深まり、「2つの国の女主人」とされると、上エジプト、下エジプトそれぞれの加護女神とされた4女神、ネクベト女神、セクメト女神?、ウアジェト女神、バステト女神との同一視も進んだ。あるいは、古代エジプトの神話的イメージでは、ライオンは太陽と関係するとイメージされていたためかもしれない。
まず、ムト=ウアジェト=バステト女神が唱えられ、前後してムト=セクメト=バステト女神が唱えられた、最終的にはムト=ネクベト女神として、「2つの国の女主人」は完成された。
「2つの国の女主人」ムト=ネクベト女神は、国家祭儀で祀られたが、民間や地方にどれだけ定着したかには疑問がある。例えば、メンフィスで、獅子頭の女神ムト=セクメトが祀られた事例などは知られている。4女神それぞれの聖地では、それぞれの同一視が広まったことはあるようだ。
アメン=ラー神が、太陽神から、自らを創造した造物神に高められると、配偶神であるムト女神の神格も高められ、「アメン=ラーによる世界創造の助力者」と位置づけられた。女神のこの神格は「9柱神に生命を与えた神の手」と唱えられた。
女神はさらに、「太陽の母」、「母の中の母」と呼ばれるようになった。万物の創造に関わったとされたことが関係していたはずだ。この段階のムト女神は、イシス女神と同一視され、イシス=ムト女神とみなされた。こうして、イシス=ムト女神は、太陽神の母であり、妻であり、娘でもある女神とされた。
【参照イメージ】
- Mut, Mother Goddess of the New Kingdom, Wife of Amen, Vulture Goddess by Caroline Seawright(Tour Egypt!)
英文の解説記事だが、ムト女神関係の写真などが複数掲載されているコンテンツ。 - ムト神殿址から発掘された獅子頭女神像(ルーブル蔵)(ムト=セクメト女神と思われる,Repro-tableaux.com)
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ムト女神が、中王国時代にカルナックのイシェル湖を聖地として崇拝されていたことは、テーベの発掘によって跡付けられている。テーベでは、中王国時代にアメン神が招来されるまで、メンチュ神?の崇拝が盛んだった。
この時期のテーベでは、ムト女神は、メンチュ神を養子として養った母神とされていた。古代エジプト人は、「禿鷹にには雄がおらず、雌は風を受けて孕み卵を産むと信じていた」と、伝えられている。あるいは、こうした信仰があったので、古い時代のムト女神には配偶神がなく、メンチュ神を養子にしたのかもしれない。
ともあれ、かなり後代、新王国時代にムト女神が「9柱神に生命を与えた神の手」、「太陽の母」、「母の中の母」と唱えられたのは、古くから母性を体現する女神とのイメージを有していたためと思われる。
さて、中王国時代、テーベに招来されたアメン神の崇拝が高まると、アメン神の配偶神だったアムネト女神?に代わり、アメン神の配偶神とされた。これとほぼ同時に、月の神であるコンス神?が息子神とされ、テーベの3柱神が形成された。おそらく、家族である3柱神のイメージが、独り神だった古い女神のイメージに勝ったのだろう。
ちなみに、コンス神が息子神とされたのは、ムト女神の聖地、イシェル湖が三日月状だったことからの連想、とする説がある。これは、あり得ないことではないが、さして確証があるとも思えない。
さらに遡ると、古王国時代?後半、第5王朝?最後のファラオ?であるウナス?のピラミッドでは、ウナスがムト女神と邂逅する様子を語ったと思われるピラミッド・テキスト?が記されている。
ただし、この頃のムト女神が、どこでどのように崇拝されていたかを示す手がかりや物証は、現在までのところ知られていない。
多くの研究者は、中王国時代以前は、テーベ近傍の一集落だったカルナックの、さらに近傍で崇拝されていたローカルな女神がムト女神ルーツだったのだろう、との推測をとりあえずの仮定としている。大変大胆な仮説として、現在の南アフリカ地域で、バンツー系の一部のエスニック・グループに、禿鷹と母性を結びつける神話が見られることから、古代のヌビア以南との結びつきを考える説もある。が、後者の説は、今のところ少数意見だ。
ウナスのピラミッドに、なぜ、やや唐突な感じでムト女神についてののピラミッド・テキストが記されたのかも定かには解明されていない。
GM向け参考情報
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ムト女神の神格(再整理と補完)
- 呼称
- カルナックで 「イシェルの女主人」。この称号は、おそらくは中王国時代に遡るだろう。しかし、新王国時代にイシェルにムト神殿が建立された前後から定着した可能性も棄てきれない。
- 新王国時代に 太陽神アメン=ラー?の配偶神として「アメン神の妻」、「2つの国(上、下エジプト)の女主人」、「女神たちの女王」、「天空の女主人」。
- 造物神アメン=ラーの助力者として、「9柱神に生命を与えた神の手」。
- 太陽神神話と結びついた後にテーベで、ラータウイ女神と同一視され、「太陽の母」、「母の中の母」。
- 雌ライオンの頭を持つ女神、ムト=セクメト女神として、メンフィスで「プタハ神?の家の前にいるもの」。
- 図像
- 多くの場合、禿鷹を模した飾り頭巾を被り、その上にプスケント冠を戴いた人間の女性の姿で描かれた。衣服は、明るい赤と青を使った柄物のドレス。この姿で、天の川を行く天空船に座した姿もよく描かれた。
- 後代、雌ライオンの頭部を持つ女性の姿で描かれることもあった。この場合、頭頂にウラエウス?に囲まれた太陽円盤を戴いていることがある。
- やはり後代、女神と関係するとされた動物の姿でムト女神が顕されることもあった。コブラ、雌ネコ、雌牛、雌ライオンである。
- 持物
- 中王国時代から 禿鷹を模した飾り頭巾(しばしば「禿鷹の皮」と呼ばれることもある)。デザイン化された花飾りを、頭部に据えた杖。アンクも持つ。
- 新王国時代に プスケント(ファラオの2重冠)
- 獅子頭の女神として 太陽円盤、ウラエウス?
- エンブレム
- 神聖文字では、禿鷹の絵文字。これは、「ムウト」の神名を現わした。
- 禿鷹を模した飾り頭巾を被った上からプスケント冠を被った女性の横顔が、標識とされることも多かった。
- 神聖動物
- 不明。特になかった、と思われる。
- 聖域
- テーベ(現在のルクソール)の、近傍に位置したカルナックに遺る神殿址が、現在知られる最も古い聖域と思われる。
- アメン神?の崇拝と結び付けられつつ、ブバスティス、ヘルモンティス、メンフィスでも祀られるようになった。
- 主要祭儀
- イシェル湖のムト神殿では、女神の祭りの季節に、神像を特別なボートに乗せ、さほど大きくはなかったイシェル湖を1週した。
- 年に1度、新年祭の時には、アメン神の神像が、群集に担がれ、イシェル湖のムト女神のを訪れた。これは、豊穣を招く、「良き結合の儀式」の類だったと思われる。
- 「2つの国の女主人」ムト=ネクベト女神は、国家祭儀で祀られた。
- 他の神々との関係
- テーベでは、メンチュ神?を養子にした母神とされた。
- 中王国時代、テーベにアメン神?が招来され、アメン神の崇拝が高まると、ムト女神が、アメン神の古い配偶神アムネト女神?にとって代えられた。この後、コンス神?が息子神とされ、テーベの3柱神が形成された。
- アメン神が太陽神アメン=ラー?神として崇拝されるようになると、アメン神の配偶新だったムト女神は、ラーの目とみなされるようになった。しかし、ラーの目はラーの娘でもあるので、ムト女神は、アメン=ラーの妻にして娘、とされた。
- 「2つの国女主人」とされると、上下エジプトの守護女神、ネクベト女神、セクメト女神?、ウアジェト女神、バステト女神の4女神との同一視も進んだ。様々な同一視が唱えられたが、王宮では最終的にはムト=ネクベト女神としての崇拝にたどり着いた。ただし、メンフィスで獅子頭のセフメト=ムト女神が祀られるなど、4女神それぞれの崇拝地では、個別にムト女神との同一視がなされたケースもある。
- アメン=ラー神が、太陽神から「自らを創造した造物神」へと高められると、ムト女神は、アメン=ラーによる創造の助力者で「9柱神に生命を与えた神の手」とされた。
- さらに、テーベではラータウイ女神と同一視され「太陽の母」「母の中の母」と呼ばれるようになった。この段階のムト女神は、イシス女神と同一視された。イシス=ムト女神は、太陽神の母であり、妻であり、娘でもある女神となった。
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参照:[バステト女神] [デール・エル-ハガル] [メニト] [ウアジェト女神] [ムト,ダフラ・オアシスの〜] [神話、伝説のキャラクター] [古代ムトの遺跡] [ネクベト女神] [小辞典ワールド編] [ファラオの2重冠]