シャムシ・イル
- シャムシ・イル (Shamshi-ilu) 簡易版
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シャムシ・イルについては、割と歴史に詳しい人でなければ、聞いたこともないという人は多いでしょう。関連技能を持たないPCが予め知らないでいても不思議ではないと思われます。
やや詳しい情報
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シャムシ・イルは、紀元前9世紀末頃から紀元前8世紀前半にかけてのアッシリア?の武官。アダド・ニラリ3世(在位、B.C.810年〜B.C.783年)の代のいずれかの時期に、アッシリア軍の総指揮官(大将軍)に任じられた。
アダド・ニラリ3世の死後、シャルマネセル4世、アッシュル・ダン3世、アッシュル・ニラリ5世と3代に渡り軍総司令官の地位に座り、後年に至るほど、専横が甚だしくなった、と、伝えられている。
シャムシ・イルが、アッシリア軍の総司令官として振舞っていた時期は、アッシリアの王碑文が少なく、あっても王宮の細かな動きを窺う手がかりのとぼしい時期にあたる。
他方、シャムシ・イルや、アッシリアの諸将による各方面への遠征記録はかなり多く、伝えられる大将軍シャムシ・イルの権勢を想像させる。
さらに、シャムシ・イルが大将軍だった時期を通じて、遠征地を征服した諸将の間に、征服地でアッシリア中央から半ば独立した支配者のような振る舞うことが増えていった。これも、各地の古代記録から推定される。こうしたできごとも、古代の歴史伝承に伝えられる「シャムシ・イルの専横」と符合する。
総じて、アッシリア大将軍としてのシャムシ・イルは四方に活発な軍事遠征を繰り広げ、多くの国を征服したが、それらをアッシリアの国家システムに統合することはしなかった、と言える。かえって、アッシリア国家統治の分裂を進める大きな原因を作ったと言えるだろう。
シャムシ・イルの最後については、定かには知られていない。現在までのところ、ティグラト・ピラセル3世の代に、シャムシ・イルが存命したことを伝える記録は知られていない。
さらに詳しい情報
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最後については、定かでないシャムシ・イルだが、一説に、現、シリア領のユーフラテス流域に知られるテル・アル・アーマル?(Tall al-Ahmar)の遺跡で発掘された地下墓所に遺る3基の墓標の1つが、シャムシ・イルの墓標かもしれない、とも言われている。
これらの墓標には、紀元前8世紀に、都市を支配していたとされる「アラム人の王、バール・ガヤー(Bar Ga'yah)」について記されている。このバール・ガヤーを、あるいはシャムシ・イルと同一人物ではないか(?)、とする説があるのだ。
テル・アル・アーマルの位置にあった古代都市は、シャルマネセル3世の代には、アッシリアに征服され、アッシリアによるユーフラテス川流域支配の拠点都市とされていた。
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参照:[アッシュル・ダン3世] [+αのワールド用語] [アッシュル・ニラリ5世] [アダド・ニラリ3世] [シャルマネセル4世]