エディンバラ
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「エディンバラ」は、スコットランド中部の東域で、フォース湾南岸の西寄りに面した行政区(エディンバラ・カウンシル・エリア)。及び、行政区の中心地エディンバラ市を指す。
エディンバラ市は、ロジアン地方?の中心的な都市でもある。都市規模は、グラスゴゥに次いでスコットランド第2位になっている。スコットランド自治府?の首府で、スコットランド議会を擁す。U.K.(連合王国)では、第7位の規模。「北のアテネ」とも呼ばれるエディンバラ大学?もある。
エディンバラ市の中心市街は、フォース湾からやや離れた地区を占めていて、ユネスコの世界遺産に指定されている。行政区内には、国際便も就航するエディンバラ空港?を擁す。港湾としては、エディンバラ市街の北東にリースの港?(Port of Leith)がある。
- 【参照地図】
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エディンバラ市は、グラスゴゥの概ね東北東、地図上の直線距離で72kmほどに位置している。
行政区(カウンシル・エリア)の総面積は、264平方km、人口は463,500人ほど(2006年)。市街地は、ユニタリーの中部から北東に偏って発展。市街地中心部の面積は78平方km。
ユネスコ世界遺産に指定されているのは、中世以来の旧市街から、18世紀に発展したニュー・タウンに渡っている。
- 【参照地図】
- エディンバラ行政区(カウンシル・エリア)略地図(Wikimedia Commons)
地図中、濃いグレイで彩色されている部分が市街地(都市化したエリア)で、俗に“グレーター・エディンバラ”とも呼ばれている。
中心街区や旧市街は、市街地エリアの1部に含まれている。
旧市街は、11世紀まで遡り得る。15世紀にスコットランド王国?の王都に遷都された。
地域は、概ねの平坦地の内に、火山岩で形成された小さな岩山や岩の丘が散在しているのが特徴。旧市街にあるエディンバラ城も、こうした岩山の上に築かれている。エディンバラの市街地が、ユネスコの世界遺産?に指定されたのも、こうした特徴的な地形に旧い市街地が遺っていることにもよる。
北海の影響で、気候は緯度が高い割には温暖。特に、冬季の気候は湿潤で、冷え込みも意外なほど軽やか。氷点下を記録する日は、2月頃に数日あるかないか。8月〜9月頃は日中最高気温が20℃内外に、同時期の1日の最低気温は10℃内外。
降水量は年間を通じて多めで、内でも、10月頃をピークに、9月頃〜翌年1月頃が多め。
エディンバラ市は、スコットランド王国?の王都だった都市で、行政、商業、文化の中心地。工業は、醸造業、化学工業、ゴム産業などが営まれているが、生産業や工業の分野ではグラスゴゥにはかなわない。エディンバラ市は、工業都市としての性格は薄い。
現在のエディンバラは、U.K.(連合王国)領内でロンドンに次ぐ人数の観光客が訪れる観光地でもある。年間で1,300万人ほどの観光客が訪れ、特に、毎年8月に催されるエディンバラ・フェスティバル?は、多くの観光客で賑わう。
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地域でのヒトの活動痕跡としては、紀元前8500年頃の集住地跡かと思える遺跡が、ユニタリーの北西部に知られている。
エディンバラ城が建っているキャッスル・ロックには、紀元前900年頃の集住地遺跡が知られている。ケルト系ブリトン人の砦が築かれていた。この先住民は、ゴドディン族?だった、と伝えられている。
638年頃、ノーサンブリア?のエドウィン?に率いられたアングル人?たちは、ゴドドィン族を倒し、キャッスル・ロックの上に、ダン・エダインの砦(Dam Edain)を築いた。11世紀頃までに、砦の麓周辺に形成された市場町が、現在まで続く旧市街のルーツになっている。
960年頃から、地域はスコット人の領域になった。1020年、スコットランドのマルコム2世?が、エディンバラ市の内外を領有。1074年に、スコット人の王マルコム3世?が、エディンバラ城を築いた。
1329年、エディンバラは、地域の公認マーケットとして特許状を得た。同時にレイスの港(Leith)も公認された。
1492年、スコットランド王国の王都が、パース?からエディンバラに遷都された。スコットランド王ジェィムズ1世の暗殺(1437年)がきっかけになった、と言われる。
1603年、イングランド王ジェィムズ1世が、スコットランド王を兼ね、イングランド、スコットランド両王国は同君連合体制に。以降の、スコットランド王を兼ねるイングランド王は、概ねエディンバラを訪れることがマレで、エディンバラの重要度は徐々に低下していく。
1707年、イングランド議会で連合法(Acts of Union)が成立し、エディンバラのスコットランド議会は閉鎖された。議会が再開されたのは、1999年のこと。1728年にはU.K.(連合王国)のエディンバラ公領が創建された。
GM向け参考情報
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参照地図
- SCOTLAND(EUROPA - Gateway of the European Union)
- Edinburgh(United Kingdom (General),World City Database)
- Edinburgh, United Kingdom Page(Directory of Cities, Towns, and Regions in United Kingdom,World Index)
- Map of Edinburgh(Edinburgh: Overview,Lonely Planet)
- City of Edinburgh Google Satellite Map(Scotland Google Satellite Map,maplandia)
補足情報
- エディンバラ市は、1994年の行政改革まで存在したロジアン州の州都だった。
「ロジアン」は、州制度が施行される前からの歴史的地域名。行政改革でロジアン州が廃止されてからは、歴史的地域名オンリーに戻った。 - リースの港?を擁すリース地区は、2008年現在、エディンバラのカウンシル・エリアには属しているが、エディンバラ市には属していない。
もちろん、市街地は連続している。
エディンバラ関連の著名人
- ノーサンブリアのエドゥイン?
536年〜632/633年。デイラ?の王と、ノーサンブリア王国?の前身ベルミカ?の王を兼ねたアングル人の族王。通例、ノーサンブリア王国の王に数えられることが多い。現在のエディンバラのあたりに遠征し、ゴドディン族?に勝利した。 - マルコム2世
スコット人の王。1005年に王位に就き、1034年に死去するまで王位にあった。980年生まれ。当時のエディンバラに特許状を与えた。 - マルコム3世
スコット人の王。1058年生まれ、ダンカン1世?の長子。父がマクベス?に殺害され、イングランドに亡命。1054年にスコットランドに戻り、マクベス勢に挑む。1057年にランファナンの戦いでマクベスを討ち取った。スコット人の王位は、マクベスの養子ルーラッハに移ったが、ルーラッハが王位に就いて4ヵ月でこれを討ち取り、マルコム3世として即位。たびたびイングランドに侵攻し、1093年5度めのイングランド遠征中に戦死。 - メアリー・ステュワート?
スコットランド王ジェィムズ5世?の娘。1542年生まれ、生後6日めにスコットランド女王に。1548年、スコットランド王国で反乱が起き、ヴァロア朝のアンリ2世のフランス王宮に託される(亡命)。1559年、ヴォロア朝のフランソワ2世の后としてフランス王妃に。フランソワ2世の病死後、1561年にスコットランドに帰国。イングランド王位継承権を巡り、女王エリザベス1世?と対立。1587年、反乱首謀の罪で、イングランドで処刑された。 - ジョン・ノックス
宗教者。スコットランド長老派の創始者で、スコットランドのキリスト教改革派の指導者の1人。1505年頃〜1515年頃のいつか、ロジアン地方?東部で生まれた。スコットランドで宗教活動をはじめたが、亡命などでイングランド、ジュネーヴ、フランクフルトなどを転々とした。1559年にスコットランドに帰還。メアリー・ステュワート?に度々、カソリック信仰から離れるよう説教をした。1572年、スコットランドで死去。 - ディヴィッド・ヒューム
政治思想家、歴史学者、哲学者。啓蒙主義的で、亡命中のルソー?と交友をもった。1時期、パリのU.K.大使館で秘書として勤務していた。1711年、エディンバラ生まれ。1776年、エディンバラで死去。 - アダム・スミス
経済思想家、モラリスト、哲学者。主著『道徳感情論』、『国富論』。1723年、スコットランドで、現在のファイフ?に生まれる。グラスゴゥ大学でモラル哲学を学び、オックスフォード大学に進んだが、退学。エディンバラで、修辞学や文芸学を教諭。この頃、ヒュームと交友を持つ。1790年死去。 - ウォルター・スコット
作家。生前は詩人として知られていたが、後世はむしろ『アイヴァンホー』などの歴史小説で知られる。1771年エディンバラ生まれ。1832年死去。 - ジェームズ・クラーク・マックスウェル
電磁気学に大きな影響を残した理論物理学者。1831年エディンバラ生まれ。1879年ケンブリッヂ?で死去。 - チャールズ・ロバート・ダーゥイン?
適者生存の進化論を唱えた進化論者。1809年、イングランドのシュロップシャー?(ウェスト・ミッドランズ?)で生まれる。1882年死去。1825年からしばらく、エディンバラ大学で医学を学んだが、1827年に自主退学。後、ケンブリッジ大学に。 - ロバート・ルイス・スティーヴンソン
作家。冒険小説『宝島』、SF風の設定を使ったサイコ小説『ジキル博士とハイド氏』などが有名。1850年、エディンバラ生まれ。1894年サモア諸島?で死去。 - アレクサンダー・グラハム・ベル
電話を発明した発明家、科学者。1847年エディンバラ生まれ。1882年U.S.A.(合衆国)国籍に帰化。1922年カナダで死去。 - アーサー・コナン・ドイル
作家。シャーロック・ホームズのシリーズ、他で有名。1859年エディンバラ生まれ。1930年死没。
晩年は心霊主義(スピリチュアリズム)にのめり込み、降霊会などに出席。心霊写真や妖精の写真を収集したりもした。 - ショーン・コネリー
映画俳優。アカデミー賞受賞者。初代のジェィムズ・ボンド(007)役で有名。1930年、エディンバラ生まれ。2008年現在、存命中。 - トニー・ブレア?
政治家。第18代労働党党首。第73代U.K.首相(1997年〜2007年)。1953年エディンバラ生まれ。2008年現在、存命中。首相退任後は、外交分野で活躍。
別称類
- 日本語別表記=エジンバラ
- 英語別称=Edina(エディナ)
主要国の言語
- 英語名=Edinburgh
- フランス語表記=?dimbourg
- スペイン語表記=Edimburgo
- アラビア語名の音=(調査中)
- ロシア語表記=Эдинбург
- 中国語表記=?丁堡
その他
リンク
関連項目
資料リンク
- Edinburgh: Overview(Scotland: Overview,Lonely Planet)
- Wikitravel日本語版:エディンバラ(Wikitravel日本語版:スコットランド)
Wikitravel英語版:Edinburgh(Wikitravel英語版:Scotland) - Edinburgh Travel Guide(Scotland Travel Guide,World66)
- Wikipedia英語版:Edinburgh
Wikipedia英語版:Timeline_of_Edinburgh_history - Wikimedia Commons:Category:Edinburgh
エディンバラ関連のファイル集アーガイブ。
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参照:[グラスゴゥ,スコットランドの〜] [ダンディー,スコットランドの〜] [アバディーン,スコットランドの〜] [フォース湾] [ヨーロッパ州のランド・マーク] [スコットランドの中部地方] [ブリガンティア女神] [U.K.(連合王国)] [U.K.(連合王国)の諸地域] [スコットランド] [ヨーロッパ州の現存国家]