ルクソール市
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「ルクソール市」は、普通は、現在のエジプト=アラブ共和国で、特別な行政区になっているルクソール地域の中心的な地域、とイメージされる。
この地域は、ナイル川の右岸(東岸)に面し、南北に細長い。カルナック大神殿?、ルクソール神殿?の遺構を擁す。対岸には、王家の谷?などを後背に控えたハトシェプスト葬祭殿?などの遺跡地帯もある。
中エジプト地方にあって、外国人単独行動制限地域内で、制限が外されている地域のハブ・センターと言える。外国人観光客の立ち寄りはたいへん多い。
【参照イメージ】
- Photos:Egypt - Luxor(Trek Earth)
- Wikimedia:Category:Luxor
ルクソールについてのフリー・ファイル集アーガイブ。
【参照地図】
(エジプト=アラブ共和国主要都市図,Wikimedia Commons)
(ルクソールの領域,Wikimedia Commons)
やや詳しい情報
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「ルクソール」が、都市の現代名で、古代ギリシア語で伝えられた都市名が「テーベ」。古代に栄えたエジプト都市の通例通り、古代には、ナイル川の東岸が普通の居住区で、西岸が墓域(ネクロポリス)だった。
ルクソール市の市街地は、ナイル川東岸にあった古代都市テーベの遺跡の南域に、部分的に遺跡に重なるように存在。テーベ遺跡の観光拠点である他、製陶業、製糖業が営まれる。
実は、行政区としてのルクソール市の市域は、ほとんど、特別行政区であるルクソール地域に等しい広さなのだが、一般の観光客にはあまりそうした意識は無い。彼らの多くは、ホテルなどが多い、右岸の中心街区を「ルクソール市」とイメージしている。
さらに詳しい情報
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「ルクソール」が現代の地名で、古代ギリシア語で伝えられた都市名が「テーベ」。古代エジプト名「ワアセト」。
この古代都市の遺跡は、ナイル右岸のルクソール市南域に、部分的に遺跡に重なるように存在している。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
捕捉情報
2007年現在、エジプト当局は、中エジプトから上エジプトにかけてのナイル流域を外国人の単独行動制限地域に指定しています。しかし、ルクソール市と西岸の遺跡地帯は、この制限地域の例外と扱われています。詳しくは、「エジプトの外国人単独行動制限地域」の項を参照してください。
ここでは、ルクソール市及び、ルクソール西岸の遺跡地帯が、エスナからエドフの間の単独行動制限の無い地域内で、1種、ハブ・センターのようになっていることを強調しておきます。
例えば、ルクソール市や西岸遺跡地帯からは、エスナの北やエドフの南に位置する遺跡スポットを訪れる観光客を遺跡警察が警護、引率する、いわゆるコンボイが多数発着しているそうです。こちらの関連は「遺跡警察」の項も参照してください。
参照地図
- Luxor 地図
Luxor Karnak 地図
Valley of the Kings & Queens 地図
(Nile South 地図,Super Travel Net) - Map of Luxor East & West Bank(Luxor Map,Egypt myway)
- Al Uqsur, Egypt Page(World Index)
- Luksor(World City Database)
- National Geographic Society - Maps
インタラクティブ・マップ。“Luxor”で検索、表示される候補から“Luxor,Egypt”を選択するといい。
基礎情報
人口14万2千人(1992)。
環境帯としては、乾燥気候帯に分類されている。
概要
テーベは、古代ギリシア語による古称で、遺跡をなした古代都市のエジプト名は「ワアセト」。
元は、ワアセトは、古代の上エジプト第4ノモス(州)の州都だった。古王国時代の後半から重要度が高まり、第1中間期の混乱の内に、ワアセトを拠点にした地方豪族が勢力を拡大。王朝を宣すとエジプト再統一を果たした、第11王朝である。
中王国時代の開幕と共にエジプト全土の王都として栄えたが、第12王朝時代がはじまると王都はファイユーム?地方に遷都された。
しかし、ワアセトでは、第11王朝時代に主神としていたメンチュ神?崇拝に代わって、アメン神?崇拝が採り入れられ、宗教的重要度を増した。後に幾つもの王朝に関わりを持つアメン神官団?のスタートは、第12王朝時代と言っていい。
その後、第2中間期の混乱を、テーベ候が収拾、新王国時代の開幕と共に、再びエジプト全土の王都となった。アメン神官団が独立国家とも言える勢力を築くのは、この新王国時代を通じてのこととなる。
現在のルクソールは、遺跡の多いエジプトでも、類をみない広い遺跡地帯を擁す観光拠点になっている。
カルナック神殿を利用し、夜に神殿をライトアップしておこなわれる、「音と光りのショー」が観光客には有名。
周辺の主要遺跡など
- 東岸
- 現在の中心市街の北方に、メンチュ神殿と、アメン大神殿とカルナック神殿の神殿複合体の遺跡が存在。カルナック神殿自体が、中王国時代のアメン神殿を内陣に組み込む形で、多年に渡る造築が重ねられる神殿複合体。アメン大神殿は、カルナック神殿、及び、周囲の小神殿を囲壁で囲った複合建造物。
- メンチュ神殿、カルナック神殿の東には、アテン神殿址が遺る。
- メンチュ神殿の南には、参道で結ばれたムト神殿遺跡が存在。
- 市域の南部、ルクソール駅から少し離れたナイル川沿いにルクソール神殿遺跡が位置。
- 市域中心街の北寄り、ナイル川沿いにルクソール博物館が位置。他に、東岸と西岸とを結ぶ小形フェリー乗り場の近くに、小ぶりなミイラ博物館が位置。
- 西岸
- ナイル川岸の平地部には、岸壁を背にするように大きな遺跡が複数存在。これら遺跡群の後背に、墓域である王家の谷と、王妃の谷とが存在。
- 観光客用の小形フェリーで渡河すると、正面にメムノンの巨像が存在。
- メムノンの巨像に向かって左手(北側)奥に、ラムセス3世神殿が存在。同神殿から右手方向に向い、ラム背有無、貴族の墓、ハトシェプスト葬祭殿、セティ1世葬祭殿などが存在。
- ラムセス3世葬祭殿の奥に王妃の谷が位置。
- ハトシェプスト葬祭殿の後背に王家の谷が位置。王家の谷に至るには、普通、セティ1世葬祭殿の奥から、遺跡群の背後を回り込むような坂道を通って岸壁上に移動する必要がある。
交通路
カイロから南下し、アスワンに至る基幹鉄路の駅が、市域南部のネイル河畔から1kmほどの距離に位置。
ナイル川の東岸と西岸とは、10数人乗りの小形フェリー、及びファルーカ(1本マストの小形舟)で結ばれている。
自動車道は、ナイル東岸沿いをアスワンにまで至る基幹道が1本、ナイル西岸沿いを上流のエドフに至る道が1本存在。
東岸の道からは、ルクソールの北で、東方に向うルートが分岐、紅海西岸の都市を結ぶ基幹道に連絡している。
西岸の道からは、ルクソールの南で、西方に向うルートが分岐、西方沙漠内のオアシス都市、集落を結ぶ地方道に連絡。
市域の東方4kmほどに、ルクソール空港が位置。同空港は、エジプト空軍の軍事施設としても利用されている。
リンク
関連項目
資料リンク
- Wikipedia英語版:Luxor
Wikipedia英語版:Luxor_Governorate - Wikitravel英語版:Luxor
Wikitravel英語版:Egypt - Luxor Travel Guide(World66)
- City of Luxor
オフィシャル・サイト、英語表示とアラビア語表示とを選択できる。 - ルクソール、トラベルサポート (OTOA)
- ルクソール基本情報(JTB)
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