スィーワ・オアシス
PCが予め知ってていい情報
- 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。
「スィーワ・オアシス」は、エジプトの5大オアシスの1つ。エジプト=アラブ共和国の西方沙漠北西部で、クァッターラ低地の東、エジプト砂漠の北に広がっている。
海面水位よりも低く、北西 〜 南東方向に細長いオアシス地帯の北西端は、現在のエジプト - リビア国境から、50kmほど。
- 【参照地図】
(エジプトの略地図,Wikimedia Commons)
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値=8〜10」
- 簡単な情報 (シナリオによっては、ゲーム前ブリーフィングでプレイヤーに伝えるGM裁量をしてもいいかもしれない)
- スィーワ・オアシスは、北西 〜 南東方向の長軸が80kmほど。最大幅20kmほどの地域に広がっている。高度は、海面下−18mほど。複数ある泉などを中心に多数の集落(農村)が散在。集落の内外は、ヤシの木などの植生も豊かだが、オアシス地域の内にも岩山や乾燥地は点在している。
- 細長いオアシス地帯の概ね中ほどで、集落が密に集まった間に、中心街区がある。中心街区から外れると、アシの類が生い茂った小さめの塩水湖もある。
- マルサ・マトルゥーフ市の概ね南西にあたり、地図上の直線距離で300kmほど。アレクサンドリア市の概ね西南西にあたり、地図上の直線距離でおよそ600kmほど。
- マルサ・マトルゥーフ市との間には、舗装された沙漠道がクァッターラ低地の北西外周を迂回したルートで敷設されている。現行の行政区ではマトルゥーフ県に属す。
- スィーワの東南東に位置するバフレイヤ・オアシスとの間も、舗装された沙漠道で結ばれている。両オアシスの間は、地図上の直線距離でおよそ450kmほど。
- エジプト内外の観光客は、西方沙漠のオアシスの内では多い。どちらかと言えばエジプト国内からの旅行客の方が多いが、アレクサンドリアなど地中海沿岸から足を伸ばす欧米人も決して珍しくない。
- 高層建築ではないが、欧米人向けの設備も整えたホテルが複数ある。中級クラスで、清潔なホテルも多数ある。レストランの類も簡素な作りのものが多数あり、小さなカフェも数軒が散在。
- なお、オアシスの中心街区の西方には、「スィーワ湖」と呼ばれる大きめの泉が近接している。この泉の周辺には、エジプト軍の軍事基地がある。
- 小事典版推奨判定
- 「交流+知性 目標値=8〜10」「情報+知性 目標値=10〜12」
- やや詳しい情報 スィーワ・オアシスの中心街区は、東西幅320〜330mほど、南北長400mほどの、ほぼ四角形の広場の周囲に広がっている。
- 広場の西には、旧市街シャーリーの遺跡が隣接。旧市街の北、広場の北西に近接したあたりは、銀行、インターネット・カフェ、長距離バスの発着所、観光案内所などが集まった地区。広場の東側にも、ホテルやレストランの多い地区が隣接している。
- スィーワ・オアシスの人口は、およそ2万数千人。伝統的にはベルベル系住民のオアシスで、現在でもリビア系ベルベル人が多数派。エジプト国内で“スィーワ方言”と呼ばれるアラビア語の方言が話されている。オアシス各所の建物や伝統衣装にも、ナイル流域のエジプトとは違った特徴が見られる。
- オアシス内に散在する集落は、農耕集落。主作物は、ナツメヤシやオリーブなど。
- 【参照地図】
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値=10〜12」
- やや詳しい情報 スィーワ・オアシスでのヒト集団の定住は、現在からおよそ1万年前頃まで遡るかもしれない(果たして、定住だったか、周期的にな巡回ルートの宿営地だったかなどの議論はある)。
- ナイル流域から古代エジプト王朝の文化的な影響が及んだのは、第26王朝?の頃のこと。この頃、古代エジプト風の墓域がジュベル・アル-マウター?で営まれはじめた。紀元前7世紀頃、キレナイカ地方にヘレネス?の移民団が入植を開始した頃、すでに、スィーワ・オアシスのアメン神殿?は、有名になっていたようだ。
- この頃のオアシスは、古代エジプト名「セケト・アム(Sekht-am)」の名で呼ばれ「ヤシの里」を意味した。
- スィーワ・オアシス内外の遺跡、史跡では、次のようなものが有名だろう。
- アメン神殿?=古代エジプトに侵攻したアレクサンドロス3世?が詣でたことで知られる。
- アレクサンドロス3世の墓所(?)?=1991年に発掘され「マケドニア?のアレクサンドロス3世?の墓所」と、報じられて世間を騒がせた遺構。
しかし、その後の研究で、初期の発見者が古代ギリシア語碑文を誤読していた、として、アレクサンドロスの墓所説は、ほぼ否認されている。 - シャーリーの遺跡=旧市街の遺跡。
- ヂェベル・アル-マーゥタ=古代末期から2千年ほど墓域として利用された岩山。
- 他に、スパとして使われている鉱泉や、塩水湖の小島などが観光スポットになっている。
- 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値=12〜14」
- 詳しい情報 エジプトのローマ時代、皇帝のエジプト総督府は、スィーワ・オアシスを主に、罪人の流刑地として使っていたようだ。
- 古代キリスト教やコプト教が、オアシスに広まった証拠はほとんど見られない。まったく伝わらなかったと考えるのも極端だが、少なくとも古代エジプト風の葬送儀式は長く後代まで営まれた。
- そのため、と言えるかどうかは微妙だが、イスラム教が下エジプトから上エジプトに広がっていった間も、スィーワ・オアシスにイスラム信仰は定着しなかった。708年にはアラブ軍を撃退。オアシスにイスラム経が浸透しはじめたのは、おそらく、12世紀〜13世紀頃と思われる。
- 1792年にオアシスを訪れた、ロンドン出身の冒険家ウィリアム・ジョージ・ブラウン(William George Browne )が、はじめてスィーワに入った西欧人とされている。
- スィーワ・オアシスは、1819年にムハンマド=アリー朝?に併合された。
- 小事典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値=14以上」
- さらに詳しい情報 スィーワ・オアシスの近傍では、2007年に、300万年前のものとされる2足歩行の足跡が化石化したものが発見された。「あるいは、現在知られる最古のヒトの足跡」かもしれない、と目されている発見だ。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
補足情報
- 「スィーワ湖の周辺に設けられたエジプト軍の基地」については、日本語のトラベル・ガイド本などでも断片記述を見かけます。基地の規模などについては調べきれていないので、さしあたり次のようなフィクション設定(案)を挙げておきます。
陸上部隊の基地で、規模はさほど大きくも無い、と想定。主要任務は、スィーワ・オアシス東方のリビアとの国境周辺の警備、と想定。
別称類
- 日本語別表記=「シワ・オアシス」「シーワ・オアシス」とも
主要国の言語
- アラビア語名(音写)=W??at S?wa(ウァラト・スィーワ)
- 英語名=Siwa Oasis
- フランス語名=Siwa Oasis
- スペイン語表記=Siwah Oasis
- ロシア語表記=(調査中)
- 中国語表記=(調査中)
その他
- 古代エジプト名の音=Sekht-am(セケト・アム)
リンク
関連項目
資料リンク
- Wikitravel英語版:Siwa
- Wikipedia英語版:Siwa_Oasis
- Wikimedia Commons:Category:Siwa
(スィーワ・オアシス関連のフリー・ファイル集アーガイブ) - SIWA - Intro〜SIWA - Practicalities(EGYPT,LOOKLEX)
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[クァーラ・オアシス] [スィーワ湖] [アフリカ州のランド・マーク] [マトルゥーフ県] [シャーリーの遺跡] [アッ-サラーム] [遺跡] [エジプトの5大オアシス] [マルサ・マトルゥーフ市] [ランド・マーク] [バフレイヤ・オアシス] [ヂェベル・アル-マーゥタ] [大砂漠,(北東アフリカの〜)]