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中央ヨーロッパ

中央ヨーロッパ 
ちゅうおうヨーロッパ
(Central Europe) 
簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「中央ヨーロッパ」(中欧)は、ヨーロッパ州の中部を指す地域区分。

 19世紀半ば頃から唱えはじめられた、と言われるが、明確な形で主張されるようになったのは20世紀に入ってから、とも言われる。歴史的、文化的な地域区分であることが多く、しばしば、政治的主張とも結びつけられた。

 第2次世界大戦?後、政治的な意味での西ヨーロッパ東ヨーロッパとを対照的に用いることが多くなり、一時期、「中欧」が用いられることは、極めてまれになった。(あるいは、極めて限定的に用いられた)

 旧ソ連崩壊?前後から、「中央ヨーロッパ」が用いられることが再び増えた。当然のように、用法は何種類かあり、それぞれの間の異同も少なくない。

 しばしば、ジョークとして「中央ヨーロッパとは、ヨーロッパの大陸部で西ヨーロッパからは東ヨーロッパとみなされ、東ヨーロッパからは西ヨーロッパとみなされる地域のことだ」とすら言われるほどだ。

 2006年現在、「中央ヨーロッパ」とみなされることが多い地域には、以下の国々の領域が含まれる。

 スイス連邦も、しばしば、上記の国々と併せて「中央ヨーロッパ」の国とみなされることがある。しかし、どちらかと言えば、西ヨーロッパの国に数えられることが多いようだ。

【参照イメージ】

  • Image:Europe map with description
    (ヨーロッパの地域区分の「一例」,スカイ・ブルーのストライプが入った部分はしばしば中央ヨーロッパとイメージされる)
    Wikimedia Commons

やや詳しい情報

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 中央ヨーロッパの地域協力機構としては、中欧イニシアティヴ?(CEI,Central European Initiative)がある。この機構は、通貨統合を含む政治協力はEU(欧州連合)?に委ねる型で、もっぱら加盟国間で協力した経済開発に取り組んでいる。

 2006年現在の加盟国は、次の17カ国。加盟国は隣接しているものの、普通言われる「中央ヨーロッパ」の範囲より広範囲に渡っている。

中欧イニシアティヴ加盟国
アルバニア共和国ウクライナ、オーストリア共和国、イタリア共和国クロアチア共和国、スロヴァキア共和国、スロヴェニア共和国、セルビア共和国、チェコ共和国、ハンガリー共和国、ベラルーシ?、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ?、ポーランド共和国、モルドヴァ共和国?モンテネグロ共和国ルーマニア、F.Y.R.M.(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)

 中欧イニシアティヴは、前身組織「ヘクサゴナーレ(6カ国間協力機構)」が、旧ユーゴスラヴィア連邦?の解体をきっかけにして1991年に改称したもの。

 1991年当時の加盟国は、イタリア、オーストリア、旧ユーゴスラヴィア、ハンガリー、チェコ=スロヴァキア。改称当時の加盟国も、普通よく言われる中央ヨーロッパの国ばかりではなかった。

 普通言われる「中央ヨーロッパ」により近い国家間協力機構としては、「ヴィシェグラード・グループ」がある。これは、1991年に、チェコ=スロヴァキア(当時)、ハンガリー、ポーランドの隣接した3カ国の首脳会談で合意された地域同盟で、加盟国間での経済協力と、ヨーロッパ統合への相互協力とを掲げている。

 チェコ=スロヴァキアが、チェコとスロヴァキアの2国に分離した後も、両国とも同盟に継続参加しているため、「ヴィシェグラード4」とも呼ばれる。

 地理学の分野では、西ヨーロッパと東ヨーロッパの境界にも諸説あり、統一見解らしきものは成り立っていない。これは、おそらく、中央ヨーロッパの範囲が、文化的観点や、歴史的観点、政治的観点から論じられがちな理由の1つになっていることだろう。

 文化的、歴史的な観点から言われる中央ヨーロッパは、しばしば「ハプスブルク朝のオーストリア帝国(神聖ローマ帝国)領だった地域」と、される。あるいは、より限定して、「ハプスブルク朝オーストリア領最大版図の東部」と、されることもある。

 後者の範囲には、ドナウ川流域諸国が多い。近年は、ドナウ川流域地域を指して中央ヨーロッパと呼ぶこともある。ただし、この用法でも、ドナウ川流域のドイツ領地域についての扱いは、まちまちなことが多いようだ。

さらに詳しい情報

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 政治的な観点での中央ヨーロッパは、19世紀半ばにハプスブルク朝の統治が弱体化した頃に唱えられた「ドナウ連合」構想に遡ることができる、とされる。

 ドナウ連合構想は19世紀には成立しなかったが、19世紀末から20世紀初頭のドイツ帝国で活動した政治家、フリードリッヒ・ナウマン?が、地政学の著作で唱えた『中欧』(“Mitteleuropa”ミッテルオイローパ)の影響力は小さくなかった。

 ただし、ナウマンは、「ネーデルラント王国やフランドル地方?は、ドイツ帝国の一部になるべきだ」との主張を唱えたし、第1次大戦中には、2年間、ポーランド併合を支援する民間機関にも関係していた。

 第1次世界大戦?末期、帝政ロシアが滅びると、「ドナウ合衆国」構想が唱えられた。しかし、ソヴィエト連邦の成立と東西陣営の対立とにより、ドナウ合衆国構想も実現しなかった。

 第2次世界大戦後には、「中央ヨーロッパ」は滅多に言われなくなった。言われる場合も、極、限定してポーランド、チェコ=スロヴァキア、ハンガリーを指すことが多かった。丁度、現在のヴィシェグラード・グループの4カ国にあたる。

 ソヴィエト連邦が崩壊した後の一時期、「中央ヨーロッパとは、旧社会主義陣営に属したが、新たにEUに加わった諸国の領域」との用法も唱えられた。しかし、この用法も、EUに加盟する東ヨーロッパの国が増えるに従って、成り立たち難くなり、現在に至っている。

 なお、フリードリッヒ・ナウマン以来、ドイツ語で言われるようになった「ミッテルオイローパ(Mitteleuropa,中欧)」は、英語で普通言われる中央ヨーロッパ(Central Europe)の範囲とは、微妙に異なる。

 現在、ドイツ語で言われる「ミッテルオイローパ」は、フリードリッヒ・ナウマンの主張とは異なり、普通はベネルクス3国?を含めたりはしない。しかし、クロアチアや、ボスニア=ヘルツェゴヴィナの一部、セルビアの一部はしばしば含められる。

 広義のミッテルオイローパは、実は、中欧イニシアティヴ加盟国の領域と重なる部分が大きい。

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