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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビアいせきぐん
(Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae)

PCが予め知ってていい情報

 「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」は、エジプト=アラブ共和国南部に存在するユネスコ世界遺産の登録名。1979年以降、文化遺産として登録されている。

 アスワン県南部で、ハイダム湖?周辺に散在する遺跡群を一括したもの。アブ・シンベル神殿?イシス神殿が代表格の遺構として有名。 

【参照イメージ】

【参照地図】

追加情報

小辞典版推奨判定
「情報+知性 目標値8〜10」
やや詳しい情報 「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」は、アスワン・ハイダムの建造に伴い、アスワン・ダムより上流の人口湖周辺(狭義のヌビア地域)で水没の危機に瀕した遺跡群の内、移築作業により保全された一群の遺跡を指す。
 この遺跡群は、アスワン県の南部で、アスワン市市街よりも南で、アスワン・ダム(アスワン・ロウダム)の人口湖から、アスワン・ハイダムの人口湖湖畔に渡って散在している。
 アブ・シンベル神殿?と、フィラエ島?からアギルキア島?に移築されたイシス神殿とが有名。他に、ハトホル神殿、カラブシャ神殿、ケルタッシ神殿、ベイト・アル・ワーリ神殿、ダッカ神殿などが移築された。
 アスワン・ハイダムは、1960年に着工され、1970年に完工。
 「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の移築は、アスワン・ハイダム起工が報じられた後にユネスコが提唱。各国の協力を得て1960年代から1980年頃にかけて実行された。移築が不可能と判断され、レリーフなどを分解し、一部保存のみに断念された遺跡も少なくはなかった。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」
やや詳しい情報 「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae)」、今更だが、何かと誤解を招き易い件名になっている。60年代当時のユネスコのあわてぶりが想像される。
 まず、“Nubian Monuments”だが、これは「ヌビア地域の記念建築物(Monuments at Nubian-area)ととるべきで、保全されたいずれの古代遺構もヌビア系(nubian)文物ではない。次に「アブシンベル・からフィラエまで」は「エジプトのヌビア地域」ではあっても、歴史的ヌビア地域の全体からみると極一部に過ぎない。
 もちろん、遺跡群がヌビア文化と無関係とは言えない。もともとアスワン一帯?の土地は、ヌビア文化と古代エジプト文化とが入り混じった土地だからだ。また、古代ヌビア文化が、エジプト文化を租借しながら独自の文化を生み出して行ったことも確かだ。
 しかし、下ヌビアに遺る、よりヌビア的な遺跡と比較すると、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア記念建築物(Monuments)」はあまりにエジプト的だ。
 「古代エジプトの貴重な遺産」ではあっても「古代ヌビア文化の典型」ではない。
 1960年代の前半は、移築の予備調査と並行して、ヌビア遺跡地帯の発掘調査もダム工事と競争しながら取り組まれた。現在移築保全された遺構群も貴重だが、人口湖の湖底に沈んでしまった遺跡地帯?の発掘記録も、ユネスコの達成として記憶されるべきである。

GM向け参考情報

用途

 アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、一般人が「遺跡」と聞いてイメージする石造りの大きな遺構が多く、観光スポットになっています。

 遺跡群が散在する、アスワン・ロウダムから、アスワン・ハイダムにかけての一縁は、カイロ?からギザにかけての一縁、ルクソールに継ぐ、エジプトの観光スポットになっています。アレクサンドリアに匹敵するかもしれませんが、アレクサンドリアの方が長期滞在の外国人も多いリゾート地であるのに対し、より観光地らしい地域とは言えます。エジプトの外国人単独行動制限地域からは外れていることも大きいです。

 交通の便も比較的よく、観光客的な視点から上辺だけを見ると、一見「風光明媚なのんびりした観光地」に見えるはずです。特に、ハイダム湖を行きかうファルーカや、フェリー客船はのんびりした雰囲気をかもし出すことでしょう。

 しかし、しかし、プロの調査員の目から見れば、ハイダムは軍事拠点、防衛拠点であり、スーダン国境の国境警備も厳しい地域であるはずです。

 考古学的には、実はユネスコ世界遺産に指定されている遺構の多くは、中王国時代?以降の構築物です。地域はさらに古くに遡りますが、一般観光客の多くは、そこまでは意識していないでしょう。

 例えば、ハイダム湖に沈んでいる、より古い遺跡を絡めたシナリオなどは「ブルーローズ」らしいかもしれません。正規の調査をするとなると、申請や認可などが大変で、エジプト当局からいろいろ制限もつけられそうです。しかし、陰謀組織が密かにおこなう不正規発掘なら、そうしたことも気にする必要はありません(もちろん、当局にかぎつけられないような警戒は必要ですが)。

 PCチームがそうした不正規調査を阻止した、と思えるところから、オーパーツかもしれない謎の出土遺物を追うワールド・ワイドな冒険がはじまる、なんてシナリオはおもしろそうです。

関連遺跡

アブ・シンベル神殿?
 古代エジプト?第19王朝?のラメセス2世?命で建立されたラー=ホルアクティ神?の岩窟神殿。現在は、移築されハイダム湖?西岸の南部に位置している。
ハトホル神殿?
 ラメセス2世の命で、ハトホル女神と王妃ネフェルティティ?とに献じて建立された岩窟神殿。現在は、アブ・シンベル神殿?の南に隣接する位置に移築されている。
フィラエ島のイシス神殿
 現在は、アスワン・ロウダム?の人口湖湖上の北東部で、フィラエ島に隣接したアルギア島に移築されている。イシス神殿自体は、プトレマイオス朝?時代に大々的に増築された物だが、細かく分析すると、いわゆるヘレニズム?期の建築スタイルが、それ以前の伝統エジプト建築から変遷した様子が察せられる遺構で貴重。
 建築複合の内には、「ネクタボ1世?のキオスク」など、プトレマイオス朝以前の構築物や、「トラヤヌス帝?のキオスク」などローマ時代の構築物も複合している。

活用や検討

活用

検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)